町田市野津田に自由民権運動の足跡を訪ねる~2
自由民権資料館は、町田を中心に多摩地域・神奈川県の民権運動関係資料を収集・保管し、研究成果を常設展示や企画展示を行っています。2022年11月3日にリニューアル・オープンしました。解説が図解され、展示
自由民権資料館は、町田を中心に多摩地域・神奈川県の民権運動関係資料を収集・保管し、研究成果を常設展示や企画展示を行っています。2022年11月3日にリニューアル・オープンしました。解説が図解され、展示
御嶽駅から山頂ケーブル駅 前に都道で一番短い停車場線(羽村停車場線55m)を歩いたが、今回は一番長い十里木御嶽停車場線(15,539ⅿ≪青梅市内5,409ⅿ・あきる野市内10,130ⅿ≫)を歩く。全線
歩くには平坦地の街並みもいいが、それとは一味違う緩い坂がある“山村の風情”にも癒しがあり気持ちが穏やかになる。ましてや多摩地域西端の奥多摩町であれば、なおさらだ。青梅駅以西のJR青梅線の愛称「東京アド
重忠、ついに死す ドラマ『鎌倉殿の13人』でわれらが中川大志くんの畠山重忠が死んでしまいました。悲しいです。 重忠の鎌倉幕府での活躍 本日は重忠の鎌倉幕府での活躍や苦悩などを探っていきましょう。 重忠
先のブログで、多摩川に設置されている主要な8基の堰のうち、河口から上流へ向かって、順に5つの堰(調布取水堰、ニヶ領宿河原堰、ニヶ領上河原堰、大丸用水堰、日野用水堰)の特色などについて触れてみました。
「フセギ」と言えば 都内清瀬市下宿(したじゅく)の「フセギ」が有名で、毎年5月3日の行われる伝統行事です。集落に疫病や悪霊が入ってくるのを「ふせぐ」ために二本の大木の間に全長20mほどもある大きな藁の
小生は、多摩川の南岸の稲城市に住み、年に2回は多摩川を渡って、多磨霊園に墓参に通う。 多摩と多磨、子供のころから「多摩」と「多磨」に慣れてきて、それが書き間違いではないことがわかると、多摩は多摩川だか
明治10年代を中心に盛り上がりを見せた自由民権運動。現在の町田市域をはじめとした多摩地域は、自由民権運動が盛んであった時期、神奈川県に属していました。神奈川県は、武蔵国(武州)6郡と相模国(相州)9郡
北多摩のほぼ中央にある小平市、西武線でもっとも古く開設された小川駅周辺を歩いてみた。 ㈱ブリヂストンの最寄り駅で、東口を出て府中街道にぶつかれば目の前がブリヂストン5分ほどで着く。アッシーで使う車のタ
額縁の車窓、ホームは2階席 御嶽駅を出た青梅線下り電車は、隣の川井駅まで4㎞あまりの区間で蛇行をくり返して、さらに30mほど登る。進行方向右手に木々が生い茂る山の斜面が迫る。左手の車窓は木々の間に見え
義経、頼朝、死す ついに源頼朝が死んでしまいましたね。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の話しですが。この2週前に菅田将暉くん演じる源義経も亡くなっているのですよね。弁慶の立ち往生が描かれていませんで
先のブログで、多摩川に設置されている主要な8基の堰のうち、河口側から上流に向かって、順に4基の堰(調布取水堰、ニヶ領宿河原堰、、ニヶ領上河原堰、大丸用水堰)の特色などについて触れてみました。 今回は、
井上泰助(いのうえ・たいすけ)(安政4年(1858)~昭和2年(1927))は、日野の出身で、井上源三郎の兄で千人同心である井上松五郎の次男として生まれました。 慶応3年(1867)10月の土方歳三に
これまで、何回か浅川を見て歩いてきましたが、今回は、浅川の支流の一つである川口川に出かけ、橋を見ながら散策を楽しみました。 川口川は八王子市上川町西部の今熊山を水源として東南へ流れ、川口町、楢原町
昭和30年(1955)に6っの村が八王子市と合併して「町」を経ないで市になった。そのうちの一つ川口村の中央を流れる川口川の上流部を歩く。 川口川は浅川の左支川でもっとも北に位置する一級河川(延長14.