川口川の橋めぐり‐2~大正橋から上流に向かって
前々回のブログで紹介しましたが、川口川の橋めぐりをさらに上流に向かって続けたいと思い出かけました。 八王子駅北口から川口小学校行のバスに乗り途中楢原町停留所で下車しました。秋川街道から高尾街道に出て川
前々回のブログで紹介しましたが、川口川の橋めぐりをさらに上流に向かって続けたいと思い出かけました。 八王子駅北口から川口小学校行のバスに乗り途中楢原町停留所で下車しました。秋川街道から高尾街道に出て川
先のブログで、多摩川に設置されている主要な8基の堰のうち、河口から上流へ向かって、順に5つの堰(調布取水堰、ニヶ領宿河原堰、ニヶ領上河原堰、大丸用水堰、日野用水堰)の特色などについて触れてみました。
先のブログで、多摩川に設置されている主要な8基の堰のうち、河口側から上流に向かって、順に4基の堰(調布取水堰、ニヶ領宿河原堰、、ニヶ領上河原堰、大丸用水堰)の特色などについて触れてみました。 今回は、
これまで、何回か浅川を見て歩いてきましたが、今回は、浅川の支流の一つである川口川に出かけ、橋を見ながら散策を楽しみました。 川口川は八王子市上川町西部の今熊山を水源として東南へ流れ、川口町、楢原町
昭和30年(1955)に6っの村が八王子市と合併して「町」を経ないで市になった。そのうちの一つ川口村の中央を流れる川口川の上流部を歩く。 川口川は浅川の左支川でもっとも北に位置する一級河川(延長14.
これまでに、南浅川に架かる橋を何箇所か渡り、橋に関わる歴史をみてきましたが、今回は、その南浅川の源流を見たいと思い、新緑に木々が染まる頃、JR高尾駅北口から出発し、南浅川の上流に向かい旧甲州街道を歩
合流地から上流へ 八王子市内を流れる川はすべて右岸側から多摩川に流れ込む。浅川の支流を奥深く遡ってみた。「幽邃(ゆうすい)の地にして四隣みな山を以て隔つ」と新編武蔵風土記稿(以下「風土記」という)に書
霜月とはいえ暖かい日が続くなか、10月に歩いた南浅川橋から上流に向かって次の橋・古道橋(こどうばし) まで遊歩道を歩きました。 この遊歩道は武蔵陵墓地への参道の傍にある陵南
堀之内の保井寺(ほうせいじ)を通りかかった時に「新選組 斎藤一諾斎の墓所」なる案内板が目に付きました。そこで「斎藤一諾斎とは、どんな隊士か?」「多摩に墓所があるとは?多摩の出身なのか?」気になって調べ
甲州街道の追分から高尾駅までのイチョウ並木が黄色く色づき始め、時折吹く風も手伝ってか落ちた銀杏が歩道一面に広がっていました。暑い日が続いていましたが、季節は秋ですね。 このイチョウ並木の黄葉のなか
まだ蝉の鳴き声が賑やかな頃、八王子市石川町にある「石川町龍頭の舞」の舞台・「西蓮寺」と「御嶽神社」を訪ねました。 「西蓮寺」 「西蓮寺」は、大日如来を本尊とする真言宗智山派の寺院で、天正元年(15
令和2年、東京都内で唯一の日本遺産に認定された八王子の歴史文化を語るストーリー「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語」、そのストーリーを紹介する展示施設・「桑都日本遺産センター八王子博物館」(
桜から若葉へと季節が移る頃、浅川の鶴巻橋の近くにある「東京都水道局元本郷浄水所」を訪ねました。 そこは八王子市最初の浄水場「元本郷町浄水場」が建設された場所で、当時の「ポンプ棟」が立っ
浅川に架かる橋に、その名前が人の名前に由来するという橋があります。 3月の声を聞き、春もそこまでという日に浅川に出かけました。八王子市平岡町から中野上町へと秋川街道(都道32号・八王子五日市線)が浅川
中世の昔に谷慈郷と呼ばれたこの地域、現在の加住丘陵中央部を東西に流れる谷地川流域に当たる。今では、最上流部にカップラーメンの聖地と呼んでもいいだろう、日清食品の研究施設が建っている谷地川に行ってみた。