一ノ宮から六ノ宮へ 武蔵国大國魂神社六所宮
これまで、一宮・三宮、総社についてまとめ不十分なまま、このブログに書き連ねてきた。総社は、特定地域内の神社の祭神を集めて合祀した神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある。日
これまで、一宮・三宮、総社についてまとめ不十分なまま、このブログに書き連ねてきた。総社は、特定地域内の神社の祭神を集めて合祀した神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある。日
平成6年7月22日 多摩川は東京の南を東京湾に向かって東流している。「我らがふるさと」東京都(23区と30市町村)については、700余の古墳が確認されており、下図の通りに分布し
相変わらずの古墳ブームが華やかに継続している。 奈良、京都には世界遺産古墳があるとはいえ、「我らがふるさと」東京都(23区と30市町村)については、古墳がどれだけ確認されているかと言えば、700余の古
23区生まれの筆者が、多摩にはじめて住んだのは、約40年前の府中市押立町であった。府中市南の多摩川沿いの周囲団地の一角である。「押立(おしたて)」という、ちょっと意味不明の町名であった。多摩川を渡れば
稲城市 地図 稲城市は、東京都心の新宿から西南に約25キロメートル離れて位置しており、東西、南北ともに約5.3キロメートル、面積17.97平方キロメートルで、多
前回7月3日のブログ「武蔵国国府はなぜ府中に置かれたか(703年)? 1300年前の府中の謎を探る」として、現在の東京都と埼玉県並びに川崎・横浜の大部を一国とした武蔵国が、約1300年前の701年の大
五畿・七道 武蔵国 21郡 「多摩めぐりの会」のブログでは、東京都の23区以外の多摩地区(いわゆる三多摩地区)の各所の自
古墳ブームが続いているようである。墳丘の長さおよそ500mに及ぶものをはじめとして、世界でも独特な鍵穴型の前方後円墳が多数集まり、これらと多数の中小古墳が密集して群をなしている、あの仁徳天皇陵を含む
われわれが小さい頃、昭和の時代のテレビ時代劇の登場人物で「代官」といえば、当然に“悪”代官であって、商人ややくざ稼業と結託して、悪辣に庶民を虐げ、ぜいたくな暮らしをしている、何の役割を果たしているのか
このブログでは、一昨年の7月から、身近な神仏を取り上げてきた。我々は、幼少時から、地元の寺社に出向いて本堂本殿奥の神仏に向かい、或いは道路沿いに居ます神仏に、手を合わせて拝んできたが、はてさてどんな姿
小生は、多摩川の南岸の稲城市に住み、年に2回は多摩川を渡って、多磨霊園に墓参に通う。 多摩と多磨、子供のころから「多摩」と「多磨」に慣れてきて、それが書き間違いではないことがわかると、多摩は多摩川だか
多摩川には、上水や用水などに引き入れるため、川をせき止め、水位を調整する「堰(せき)」が8ヶ所にあり、玉川上水の入口たる羽村堰はその一つである。今日は、現在の稲城市北西にあり、府中市の郷土の森公園を対
ブログ「大國魂神社 一宮と三宮」をお話しする中で、武蔵国の古くて大きな神社の主祭神が、天照大神を主柱とする高天原にいる神々である天津神ではなくて、天照大神が国譲りを迫った、出雲の国にいる弟の須佐之男命
先般は「大國魂神社 一宮と三宮」(2月24日)の表題で始めて、律令制下での、「武蔵の国」の祭祀・行政・司法・軍事を総統括する国司の着任最初の仕事が国内有力神社への参拝であることから、広域の管轄地域内神
地図帳を拡げて、日本全国を見回してみると、各地に、「〇宮」(〇の位置に和数字が入り、一宮、一の宮、一之宮、一ノ宮と表記はいろいろ)という地名が見いだされる。「大宮」とか、「宮前」とか、「宮」を使った