大國魂神社 一宮と三宮

 地図帳を拡げて、日本全国を見回してみると、各地に、「〇宮」(〇の位置に和数字が入り、一宮、一の宮、一之宮、一ノ宮と表記はいろいろ)という地名が見いだされる。「大宮」とか、「宮前」とか、「宮」を使った地名が、これも各地にあり、その地域にある神社に因んで、また敬愛を込めて名付けられたものと思料される。旧尾張国の愛知県には一宮市があり、神奈川には二宮町があり、多摩のあきる野市にも二宮という町がある。三宮といえば、神戸第一の繁華街であり、四宮は神奈川の平塚に、京都市には四宮駅が、東京都杉並区には四宮小学校がある。神戸には五宮町があり、………この「一之宮」「二宮」というのは、平安から鎌倉時代にかけて逐次整った一種の神社の格を表すものだ。

総社 大國魂神社

 総社・惣社(そうじゃ)とは、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った神社のことである。多くは律令制による律令国範囲内で神を集めたものをいうが、荘園や軍・郷・村などの地域のものを集めたものもあり、祭神の合祀だけでなく、神社の統合である場合もある。律令制により、祭祀、行政、司法、軍事を総統括する国司の着任後の最初の仕事は、赴任した律令国内の定められた神社を順に巡って参拝することであり、管内神社の祭典を行なう便宜上、広域な国にあっては、国中の神社を一か所に集めてお参りするという便宜を図るため「総社」を設けて、一度に一か所で祭典を行うことにした。

岡山県=旧備中の備中国総社宮がある市の名称は、まさに「総社市」といい、総社市総社二丁目にある。

           大國魂神社 大鳥居

  大國魂神社の歴史

大國魂神社(府中市宮町在、京王線府中駅から南西へ徒歩5分、JR南武線府中本町駅の東徒歩2分)、大國魂大神を武蔵国の守り神としてお祀りした神社である。創建は景行天皇(第12代天皇、ヤマトタケルの父)41年で、皇紀換算で西暦111年とされていて今から約1900年前となるとするが、実際には4世紀前期から中期と推定されている。

            大國魂神社   拝殿

  御本殿  左右の双殿には、一ノ宮から六ノ宮が祀られている

        大國魂神社 ご朱印 #上部の「総社」の注目!

 

当時は国造が代々奉仕したが、大化の改新により広域を管轄する武蔵国府がこの地に置かれたので(すぐ近くに武蔵国府跡がある)、国司が国造に代わり、祭祀担当として祭典を行う便宜上、ここに武蔵総社を設けた。拝殿の後ろの、御本殿の左右の双殿には、武蔵国内著名神社六社を合祀したので、大國魂神社は六所宮とも称せられていた。当社は昔から崇敬者が非常に多く、関東一円にわたり、毎年5月5日の例大祭には、夜間八基の神輿が古式の行列を整え、闇夜に御旅所へ渡御するので、俗に府中の「闇夜祭(くらやみまつり)」といわれて、毎年の賑いが続いている。康平5年(1062)、前九年合戦平定の際に、源頼義と義家の父子が、欅の苗木千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定され、「馬場大門のけやき並木」として大國魂神社の名物になっている。

鎌倉幕府、並びに北条・足利両氏も篤く崇敬したが、徳川家康が幕府を開くとともに、神領地五百石を寄進。明治維新には准勅祭社となり、その後県社に、官幣小社に列せられている。

六所宮の祭神は、武蔵国在の下記六祭神。「武州六大明神」とも呼ばれた。

  一ノ宮 小野大神 (小野神社)    東京都多摩市一ノ宮

  二ノ宮 小河大神 (二宮神社)    東京都あきる野市二宮

  三ノ宮 氷川大神 (氷川神社)    埼玉県さいたま市大宮区高鼻町

  四ノ宮 秩父大神 (秩父神社)    埼玉県秩父市番場町

  五ノ宮 金佐奈大神(金鑚神社) 埼玉県児玉市神川町

  六ノ宮 杉山大神 (杉山神社)    神奈川県横浜市緑区西八朔

 一宮と三宮

律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められており、通説によると一宮の起源は、国司が巡拝する順番にあると言われている。とはいえ、一宮と三宮を比べれば、それぞれの神社の歴史・祭神は別にして、和数字に社格順位が表わされていると受け止められるのが自然であり、一宮>二宮>……>六宮と上位・下位が評価付けされるというのが通常の感覚だろう。「おらが国の神社は一宮だ」といわれれば、三宮所在の地域では、「一宮には敵わない」と判断されそうだ。現在「武蔵国の一宮」と称する神社が三か所ある。大國魂神社の双殿の「一宮の小野神社」と大國魂神社では「三宮とされる氷川神社」とその分かれ宮といわれる「氷川女体神社」である。

1.小野神社

            小野神社   拝殿  

小野神社「一之宮表示塔」   小野神社 ご朱印                                                                                                    

小野神社は、京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩6分ほどの多摩市一ノ宮町にあり、式内社(小社)論社、旧郷社である。元慶8年(884)には、正五位に昇格の歴史がある。式内社とは、927年にまとめられた律令の施行規則『延喜式』の巻九・十である『延喜式神名帳』に、当時「官社」と指定された全国の神社一覧に掲載されている2,861の神社のことで、1000年以上の歴史を持つ古社といえよう。また、官社とは国から奉幣を受ける神社であり、官社は神祇官が祀る官幣社と、地方官(国司)が祀る国弊社に分けられ、大・中・小の順に格が下がる。その他の諸社は、府社=県社=藩社>郷社>村社の順に分けられる。一つの式内社に対して、複数の候補が挙がる場合があり、これを論社と呼ぶ。

         府中小野神社   府中市住吉町

「小野神社」にも、聖蹟桜ヶ丘の小野神社(多摩川の南岸・左岸、一宮)のほかに、府中市住吉町(多摩川の北岸・右岸、京王線中河原駅の北&南武線西府駅の南の中間地)に小野神社がある。多摩川の度重なる氾濫で遷座が行なわれた結果、2社になったともいわれ、どちらかが本社でもう一方は分祀ともいわれる。大國魂神社の祭礼で多摩市の小野神社が武蔵一宮として保護を受けて、六所宮=大國魂神社への崇敬が高まるのに対し、府中市の小野神社は衰微したという。府中市の小野神社は、狭い敷地に鳥居から拝殿・本殿が並び、武蔵一宮の表示もなく、式内社・郷社と示した提灯がぶら下がっている。

多摩市の「小野神社」は、毎年五月の「闇夜祭」(東京都指定無形民俗文化財)には「一宮」と表示の神輿・太鼓で祭礼を盛り上げる。

  
  暗闇祭 一宮神輿            暗闇祭 三宮神輿 

 

2. 氷川神社

         

        氷川神社  一の鳥居 
                                                                                                                 
 
    

                       氷川神社(大宮氷川神社)   拝殿・本殿に向かう楼門

                          「武蔵国一宮」の表示塔 

埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある大國魂神社の六宮が、氷川神社(別の氷川神社と区別するときは大宮氷川神社と呼ばれる)である。初詣には、約二百十万人の人出を数えて、毎年の国内十位以内に列せられる埼玉第一の神社である。式内社であり、正四位上。明神大社という国家的事変の解決を祈願する祭祀対象に祈願する神社で、全国に203社あるなか、武蔵国では、大國魂神社の三宮=氷川大神と五宮の金佐奈大神 (金鑚神社、  埼玉県児玉郡神川町)の僅か二か所だけ。勅祭社であり、旧社格官幣大社。正月元旦に宮中での天皇による四方拝で遥拝される別格の神社。明治維新後、天皇の江戸入り後最初に奉拝した神社で、武蔵国鎮守社とされていた。

今では、これだけの大神社だから「一宮」の社格は当たり前のこととして、「武蔵国一宮」と称しており、埼玉県民に疑うものはないと言っていいだろう。氷川神社が官幣大社であり、一宮とされる小野神社が小社・郷社であることからすれば、世間的な社格区分から判断すれば、氷川神社が武蔵国一宮と称するのは当然の仕分けともいえよう。こういった判断・区分もあって、室町時代以降には、氷川神社=当然の一の宮として一宮の地位を確立したと言われている。埼玉県大宮と多摩市・府中市は距離が離れており、「一宮」の称号を争って諍いを呼ぶこともあまりなかったのであろうし、室町時代からの埼玉では「一宮」、年一度の出張先府中暗闇祭では「三宮」として、近時は平穏に使い分けされているようだ。

過去には、全国各地で一宮争いの紛争があったようだが…。

加えて、埼玉県大宮台地近辺の古代から湧水地から湧き出る清冽な泉で、氷川神社の起こりの水神を祀ったことから氷川神社への氷川信仰が始まったといわれる。この見沼といわれた、さいたま市(北区、大宮区、見沼区、浦和区、緑区)と川口市に存在した巨大な沼は、現在も広い緑地空間があり、「見沼田んぼ」と呼ばれているが、旧見沼を西北から南東に延びる一直線により結ぶ、氷川神社と中山神社(旧中氷川神社)と氷川女体神社(さいたま市緑区在、正式には氷川女體神社)の三神が囲んでいる。太陽は夏至には西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となり、見沼を「御沼」として敬愛される広大な神域を有していたといわれている。この氷川女体神社は、「武蔵国一宮」の称号を公示しており、全国の一宮を集めた「全国一の宮会」にも加盟している。

 氷川神社  ご朱印          氷川女体神社 ご朱印

   

  氷川女体神社  拝殿            氷川女体神社 額束

 古代から近代までの日本には、仏教、皇室信仰、神の道等に対する、深い崇敬の心持ちが各地で窺い知ることが出来る。はてさて、「宗教心ない」といわれる現代日本ではどうなのか。どちらが喜ぶべき姿勢なのか、これでいいといった方が楽なのか、といろいろ考えざるを得ない。

 また、地域の神仏の由来・歴史・変容と、多摩川氾濫等の年代的大変事を兼ね合わせてみてみると、いろいろとそれぞれの年代での庶民の暮らしの面白い事情が窺えて、好奇心を誘われて、大変面白い。

 

 

資料     大國魂神社パンフレット・ホームページ  

       氷川神社パンフレット・ホームページ

       氷川女体神社パンフレット    

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