東京の青梅で見られるようになった「二ホンカモシカ」
二ホンカモシカ 二ホンカモシカは、鹿の仲間では無く、ウシ科の動物である。高山に棲むイメージを持っている方も多いかと思いますが、亜高山帯以下のブナやミズナラを主とした冷温帯落葉広葉樹林が主たる生息場所で
二ホンカモシカ 二ホンカモシカは、鹿の仲間では無く、ウシ科の動物である。高山に棲むイメージを持っている方も多いかと思いますが、亜高山帯以下のブナやミズナラを主とした冷温帯落葉広葉樹林が主たる生息場所で
青梅市の山中にある「迷い子石」 青梅市の山中にある迷い子石 山中の森の中にある「おにぎり岩」と「こんにゃく岩」は、何処から来たのか? 本来であれば、「自然状態では絶対にその位置に存在することが無い石
青梅宿の性格と特徴 江戸から青梅を通って、甲府盆地へ向かう道が旧青梅街道である。旧青梅街道は江戸時代初めの頃は、成木の石灰を江戸城建築用に運搬するために開かれた道で、成木と江戸を結ぶ道であったので「成
青梅宿の神社仏閣にある石仏を紹介します。石仏に興味のある方は巡ってみては如何でしょうか! 巡るコースと地図 JR東青梅駅→1.乗願寺→2.宗徳寺→3.住吉神社→4.梅岩寺→5.金剛寺→6
江戸の大泥棒(義賊?)といえば、鼠小僧次郎吉、寛政9年(1797)~天保3年(1832)は、江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉(じろきち)。 本業は鳶職であったといわれる。大名屋敷だけを狙って盗みに入り
江戸幕府は、幕府の体制が整うに連れ、江戸の町の人口は急速に膨れ上がり、慢性的な水不足に陥った。そのため幕府は、承応2年(1653)多摩川の水を羽村から江戸まで通す玉川上水を開削することを決定した。 承
★東京都は、小笠原父島八ツ瀬川の時雨ダム ★神奈川県は、境川の本沢ダムと酒匂川水系河内川の三保ダム ★埼玉県は、荒川水系有間川の有間ダム ★千葉県は、小磯川の元名ダム の5ケ所しかない。(日本全国では
第1回目のブログではきくちゃん流サボテンの育て方を書きましたが、それらを1年間行ってきました。そして、殆どのサボテンを植え替えして鉢を一回り大きい鉢にしました。そして沢山付いたいたサボテンの子供も植
今回は新茶の季節に因んで、地元の「狭山茶」を紹介します。 青梅市今井地区から入間市金子地区に広がる富士山をバックにした「狭山茶畑」 狭山茶の主産地である埼玉県西部では、いつから茶の栽培・製茶が始まった
1.青梅鉄道の設立と開業 明治21年8月(1888)当時神奈川県西多摩郡福生村の酒造業(田村半十郎)、羽村の養蚕業(指田茂十郎)、沢井村の木材業(小沢太平)の三名は、西多摩郡日向和田にて向こう7年以内
日本各地の雪女伝承 *新潟県小千谷地方では、独身の男のところに美しい女が訪ね、女は自ら望んで男の嫁になるが、嫁の嫌がるのを無理に風呂に入れると姿がなくなり、男が切り落とした細い氷柱の欠け片
今回は、新年に当たりおめでたい七福神めぐりを紹介します。 ◎七福神とは *寿老人-福禄寿から特に長寿を司る役割が分離されたとされている。寿老人は、福禄寿のような特異な姿ではなく、白髪白鬚の老人で、寿命
「まいまい」は、「カタツムリ」の事であり、井戸の形がその殻に似ていることから「まいまいず井戸」と呼ばれる。 地表面をすり鉢状に掘り下げてあり、すり鉢の底の部分から更に垂直の井戸を掘った構
立川飛行場の始まりは、大正11年(1922)6月、陸軍航空第5大隊が岐阜県各務原から立川へ移駐したことから始まる。 大正時代の立川飛行場 その後、昭和時代の初めに民間空港としても共同利用されていた時期
全国植樹祭は、戦後の国土緑化運動の中心的な行事として第1回、昭和25(1950)年、以来、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、全国各地から緑化関係者等の参加を得て、両陛下のお手植えや参加者による記念植樹等