棒ノ嶺(棒ノ峰・棒ノ折山)の名前の由来
棒ノ峰 東京都西多摩郡奥多摩町と埼玉県飯能市との境にある標高969mの山で、奥多摩と奥武蔵の山域の境にあります。棒ノ嶺は今上天皇が皇太子殿下時代の1986(昭和61)年6月17日午前10時前、埼玉県側
棒ノ峰 東京都西多摩郡奥多摩町と埼玉県飯能市との境にある標高969mの山で、奥多摩と奥武蔵の山域の境にあります。棒ノ嶺は今上天皇が皇太子殿下時代の1986(昭和61)年6月17日午前10時前、埼玉県側
開花の様子 我が家の月下美人は、17~18年育てています。9月30日の夜に開花しましたので一週間前から開花迄蕾が大きく成る様子の写真を添付します。 月下美人 このサボテンは、メキシコの熱帯雨林地帯が原
青梅の地名の由来になった青梅市の金剛寺にある梅の木 金剛寺 青梅市天ケ瀬にある真言宗豊山派の寺院で青梅山無量寿院と号し、本尊は不動明王です。承平年間(931~938)、寛空(かんくう)上人が創建し
中武馬車鉄道 明治34年(1901)9月に東京府西多摩郡青梅町(現東京都青梅市)から埼玉県入間郡扇町屋(現埼玉県入間市)を経て、入間郡入間川町(現狭山市)まで全線開通した。 武蔵野鉄道(現西武鉄道池袋
かわせみとは ◎ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に分類される鳥。 ◎分布は、ヨーロッパおよびアフリカ北部からインド、東南アジアにかけて分布し、広い分布の中でいくつかの亜種に分かれている。暖かい地域で
即清寺の紹介 即清寺は、山号愛宕山明王院で真言宗豊山派の寺。 元慶年間(877~885)現喩和尚(げんゆおしょう)の開創。建久年間(1190~1198)に源頼朝が御家人の畠山重忠に命じて諸伽藍を造営
畠山重忠 畠山重忠は、約800年以上前の鎌倉時代に秩父地方を治めていた鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝が挙兵した当初は平家方として敵対していたが、頼朝が安房国で再挙兵した時に臣従して治承・寿永の乱で活躍
「フセギ」と言えば 都内清瀬市下宿(したじゅく)の「フセギ」が有名で、毎年5月3日の行われる伝統行事です。集落に疫病や悪霊が入ってくるのを「ふせぐ」ために二本の大木の間に全長20mほどもある大きな藁の
今年で3年目 前回2回の投稿の中で、第1回目は、園芸店で購入して来たサボテンをそのまま育てるのでは無く、園芸用の土(水はけの良い物)に植え替えて肥料(鶏糞、牛糞、堆肥、化学肥料)を土に混ぜた物に植え替
1.御嶽菅笠とは 天保5年(1834)国学者・齋藤義彦によって作成された。 江戸時代、御嶽講と呼ばれる御嶽信仰(現青梅市の御岳山・武蔵御嶽神社) が、関東一円に広がっており、御嶽神社への道中案内で、今
二ホンカモシカ 二ホンカモシカは、鹿の仲間では無く、ウシ科の動物である。高山に棲むイメージを持っている方も多いかと思いますが、亜高山帯以下のブナやミズナラを主とした冷温帯落葉広葉樹林が主たる生息場所で
青梅市の山中にある「迷い子石」 青梅市の山中にある迷い子石 山中の森の中にある「おにぎり岩」と「こんにゃく岩」は、何処から来たのか? 本来であれば、「自然状態では絶対にその位置に存在することが無い石
青梅宿の性格と特徴 江戸から青梅を通って、甲府盆地へ向かう道が旧青梅街道である。旧青梅街道は江戸時代初めの頃は、成木の石灰を江戸城建築用に運搬するために開かれた道で、成木と江戸を結ぶ道で
青梅宿の神社仏閣にある石仏を紹介します。石仏に興味のある方は巡ってみては如何でしょうか! 巡るコースと地図 JR東青梅駅→1.乗願寺→2.宗徳寺→3.住吉神社→4.梅岩寺→5.金剛寺→6
江戸の大泥棒(義賊?)といえば、鼠小僧次郎吉、寛政9年(1797)~天保3年(1832)は、江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉(じろきち)。 本業は鳶職であったといわれる。大名屋敷だけを狙って盗みに入り