武蔵国分寺種赤米のはなし(6)〜唐臼について〜
籾摺り(もみすり)は唐臼(からうす)で行う 脱穀(だっこく): 稲(いね)→籾(もみ)+稲わら 籾摺り(もみすり): 籾(もみ)→玄米(げんまい)+籾殻(もみがら) 精米(せいまい): 玄米(玄米)→
籾摺り(もみすり)は唐臼(からうす)で行う 脱穀(だっこく): 稲(いね)→籾(もみ)+稲わら 籾摺り(もみすり): 籾(もみ)→玄米(げんまい)+籾殻(もみがら) 精米(せいまい): 玄米(玄米)→
武蔵野市の空撮写真を眺めてみると、都立武蔵野中央公園の東隣に、都営住宅などを間に挟んで円を描くように敷設された道路とその道路に囲まれて立ち並ぶビル群が写っています。ビル群はUR都市機構の武蔵野緑町パー
立川飛行場の始まりは、大正11年(1922)6月、陸軍航空第5大隊が岐阜県各務原から立川へ移駐したことから始まる。 大正時代の立川飛行場 その後、昭和時代の初めに民間空港としても共同利用されていた時期
今回は唐臼について書く予定でしたが、今年作っている赤米株が次々と枯れ出してしまい緊急で原因を調べることになりました。予定を変更して「陸稲の連作障害について」書くことにします。唐臼については次回以降とし
全国植樹祭は、戦後の国土緑化運動の中心的な行事として第1回、昭和25(1950)年、以来、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、全国各地から緑化関係者等の参加を得て、両陛下のお手植えや参加者による記念植樹等
国道20号を東京から甲府方面に向かう八王子市大和田町3丁目で、多摩川の支流浅川に架かる大和田橋を渡ります。太平洋戦争末期の昭和20年8月2日に、アメリカ戦闘機B29が67万個の焼夷弾で市街地を火の海と
前回のブログでは、一等三角点「連光寺村」のある多摩丘陵にちょっと触れました。(一等三角点「連光寺村」) 今回は、「イルカ丘陵」と呼ばれる丘陵について書きます。 ■「イルカ丘陵」とは 「そんな丘陵の名前
籾摺り(もみすり)がたいへん 前回、実際に手作業でやってみると籾摺りがいちばん大変だったと言うお話しをしました。では昔の人は大量に採れた籾をどうやって籾摺りして玄米(げんまい)にしていたのでしょうか。
旧国立駅舎が完成 JR国立駅前、ずーっと建築中だった赤い三角屋根の建物。電車で通り過ぎる際に車窓から眺めるだけでしたが、遂に完成したので、途中下車してみました。 旧国立駅舎とは 1926(大正15)年
自粛生活を経て、週一の相模原通いが再開しました。車で町田を通って行くのですが、多摩丘陵の向こう側の街は起伏というより山あり谷ありの地形に始まり、ちょっとした未知の世界で新鮮な驚きをもたらしてくれます。
都知事選挙(とちじせんきょ) 今度の日曜日は都知事選挙が行われますね。知事と言えば昔の藩主です。明治政府になって王政復古の中央集権になりましたが、戦後は地方の時代を合言葉に地方分権が進みつつあるのは事
千川上水は、元禄9年(1696年)、本郷・下谷・浅草方面への給水のために開削された総延長約30㎞の上水である。現在の西東京市と武蔵野市との市境付近にある境橋で玉川上水の分水によって誕生した。 河村瑞賢
「多摩聖蹟記念館」の開設のきっかけ 多摩市にある「旧多摩聖蹟記念館」は、明治天皇が多摩村連光寺に行幸したことを記念して、元宮内大臣田中光顕が中心になり昭和5年に建てられた。この記念館が建つ大松山は、近
皆さん、こんにちは。 新型コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されましたが、「新たな日常」のなかまだまだ自粛生活が続きそうですね。自粛生活での運動不足を解消するために時々散歩に出かけています。散歩の途中
曲がり松の奇跡 平成9年(1997)、画期的な発見がありました。それまで日本では、西日本の三か所でしか生存していないと思われていた在来品種のジャポニカ種赤米稲が、遠く東日本のそれも国分寺市東恋ヶ窪の畑