全国でも珍しい石臼を祀った塚~小金井神社の石臼塚
小金井神社(小金井市中町4丁目)の境内に石臼を散りばめて造った石臼塚が建っている。石臼は、米、麦、そばなどの穀粒を挽く道具で、昭和20年代中頃まで庶民にとって欠かすことのできない生活必需品の一つであっ
小金井神社(小金井市中町4丁目)の境内に石臼を散りばめて造った石臼塚が建っている。石臼は、米、麦、そばなどの穀粒を挽く道具で、昭和20年代中頃まで庶民にとって欠かすことのできない生活必需品の一つであっ
武蔵野八幡宮(武蔵野市吉祥寺東町)の境内に、吉祥寺ウドの由来を述べている案内板が立っている。 江戸時代、武蔵野八幡宮の周辺は畑作農業が盛んで、ウドの栽培も盛んであったという。 日本でウドの栽培が始まっ
テレビ番組で、NHKのガッテン!に興味を持ち、見る機会が多いのだが、先日、”まさか!?育てて最強「あさり」新調理術”の放映があり、見てしまいました(2021・6・19)。 アサリは、鮮度が命で、生きた
今回は、あきる野市戸倉の里山を歩いてみました。あきる野市戸倉は、あきる野市の西方に位置する地区で、里山にはヤマザクラで有名な光厳寺(こうごんじ)と、中世の城跡、戸倉城跡(とくらじょうあと)を有する城山
前回のブログで紹介した浅間嶺に続いて、今回も檜原村のハイキングコースを歩いてみました。今回は秘境散策で、神戸岩(かのといわ)と天狗滝を目指すコースです。檜原村の神戸岩と天狗滝は、浅間嶺から見ると北東の
浅間尾根は、東京都檜原村のほぼ中央部を東西方向に延びている尾根です。起伏の少ない尾根で、標高800~900mの稜線が続いています。浅間嶺は、その浅間尾根のほぼ中間地点に位置しており、ジャガイモの形(私
太宰治が三鷹市で暮らしていた家を再現して、かつての太宰の日常の生活ぶりや創作活動の様子を表わした展示室「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」がオープンしたので行ってきました。 展示室は、JR三鷹駅南口を
先のブログで、かつて武蔵野市に5万人を収容できる「グリーンパーク野球場」と呼ばれる球場があったことを紹介しました。当時、大人数の観客を球場へ輸送するために鉄道も敷かれていました。その鉄道が、「三鷹駅」
武蔵野市の空撮写真を眺めてみると、都立武蔵野中央公園の東隣に、都営住宅などを間に挟んで円を描くように敷設された道路とその道路に囲まれて立ち並ぶビル群が写っています。ビル群はUR都市機構の武蔵野緑町パー
明治・大正期における東京市の水対策 明治から大正期にかけての急速な人口増加により、当時の東京市は生活用水確保のために新たな水源を確保する必要がありました。そこで、東京市は、狭山丘陵に上貯水池と下貯水池
私が暮らす武蔵野市の主要道路の一つに五日市街道があります。その歴史や成り立ちについて気に留めることはあまりなかったのですが、今回の新型コロナによる自粛は思い起こす時間を与えてくれました。 五日市街道は
千川上水は、元禄9年(1696年)、本郷・下谷・浅草方面への給水のために開削された総延長約30㎞の上水である。現在の西東京市と武蔵野市との市境付近にある境橋で玉川上水の分水によって誕生した。 河村瑞賢
武蔵野市八幡町に、五日市街道に面して関前八幡神社と延命寺という寺社が並んで建っている。江戸時代この地域は関前村と呼ばれ、開村時の寛文10年(1670)に鎮守八幡神社が創建された。その後明治維新の神仏分
武蔵野市の主要道路の一つ、「中央通り」は武蔵野市をほぼ南北に走り、「千川上水」を横切ると、上水と並んで走る練馬区の道路と交差する。交差点の北側は練馬区である。交差点の名前は「更新橋」。 その交差点の四
ブログとは縁のなかった私ですが、徒然なるままに綴ってみたいと思います。 大正6年(1917)、群馬県出身の中島知久平(1884-1949)という人物が兵器としての航空機に注目し、海軍機関大尉を辞して郷