都立公園150周年記念 公園めぐりデジタルスタンプラリーを終えて

3つのバッチを獲得

9月のブログ(東京都都市公園制度制定150周年記念イベント「公園めぐりデジタルスタンプラリー)において、スタンプラリーに参加し、スタンプ10個を集めてパンダの銅バッチをもらったことを記しました。その後も公園めぐりを続け、スタンプ20個で銀バッチ、30個で金バッチを獲得しました。

87箇所中86箇所を訪れる

その頃には、都内と言えども知らない場所を訪ねるのがすっかり楽しくなっていました。対象となっている公園は、87箇所あります。ここまで来たらと思い制覇を目指して公園めぐりを続けました。結果、小笠原諸島父島にある大神山公園を除く86箇所を訪れることができました。イベントは、2024年3月31日まで。デジタルスタンプは、期限がくると消去されてしまうようなので、記念にスタンプ帳を作っておくことにしました。

スタンプ帳を見る

多摩地区は、だいたい土地勘もあり、今までに訪れた公園もありましたが、都内全域にわたるとなると初めて訪れる場所も多くありました。舎人ライナー、ゆりかもめ、りんかい線などなじみの薄い路線に乗ったり路線バスにも随分乗りました。最近は相互乗り入れをしている線も多く、かなり路線情報のアップデートが必要でした。

道中のあれこれ

隅田川以東ではスカイツリーを目近に感じることになりますが、ほぼ真下というのはなかなかありません。人だかりは、桜とスカイツリーのコラボレーションを写真に収めようという人たちでした。多摩人としては、撮らずにはいられません。
ランチで偶然飛び込んだレストランが、普段は行列ができるリーズナブルで美味しいステーキの店でした。ミックスフライでなくステーキを食べるべきでしたね。

印象に残ったところ

「林試の森公園」は、目黒区の住宅街の中にありながら、起伏がありケヤキ・クスノキ・ポプラ・スズカケなどの大木がみられます。
明治33年(1900)6月に農商務省林野整理局の「目黒試験苗圃」が始まりで、その後「林野試験場」と名称を変し、林野庁の付属となり昭和53年(1978)まで使用されていました。

筑波研究学園都市に移転した跡地を整備し、平成元年(1989)6月1日に都立公園として開園しました。

普段、多摩の丘陵地に生活しているせいか、海をみるとテンションがあがるようです。午後から晴天になった日、ビーチでは思い思いのスタイルでくつろぐ人達が多く見られました。私もすっかりリラックスして散策を楽しみました。

嘉永6年(1853)6月にペリー提督の率いる米国艦隊が浦賀に現れたのをきっかけに、防衛のために台場(砲台)の築造が計画されました。11の台場の築造を予定していましたが、結果的に品川沖に6つの台場が造営されました。これらの台場は、使用することなく放置されていました。現在、6つの台場の内4つは湾内整備のために取り除かれ第三台場と第六台場が国指定の史跡にされています。

台場公園は、第三台場であったところで海上にありましたが、埋立地造成により陸続きで歩いて行けるようになりました。第六台場は、立入禁止になっていますが、台場公園(第三台場)から眺めることができます。

今まで全く縁がなかった場所に旧邸宅の庭園があります。今回、旧古河庭園と旧岩崎邸庭園を訪ねました。

旧古河邸は北区西ヶ原にあり、山の手台地の南斜面という地形を活かし、北側の小高い丘に洋館を建て、南向き斜面に明るい洋風庭園、低地に池と日本庭園を配しています。洋館前のバラ園が素晴らしいです。

旧岩崎邸は文京区湯島にあり、越後高田藩江戸屋敷から元舞鶴藩知事・牧野邸と変遷し、明治29年(1826)に三菱創始者・岩崎家の本邸として建設されました。往時は、1万5,000坪余りに20棟もの建物が並んでいたそうです。
第二次世界大戦後、国有財産となり、最高裁判所司法研修所として利用されました。平成年(1994)に文化庁の所管となり、平成13年(2001)東京都の管理となりました。写真の洋館は、昭和36年(1961)に重要文化財に指定されています。

浜離宮恩賜庭園と小石川後楽園は、広大で季節ごとの見どころも多く、また訪れたいと思わされます。また、外国からの旅行者が多いことも共通しています。浜離宮は、観光バスで訪れる観光客も多く団体で通訳付きで見学していました。近くの築地場外市場も旅行者がとても多く、築地本願寺境内にはカフェも併設されていました。

向島百花園の歴史は古く、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830)に作られた花園だそうです。骨とう商を営んでいた佐原菊塢(さはらきくう)は、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、元旗本、多賀氏の屋敷跡である向島の地に、花の咲く草木鑑賞を中心とした「民営の花園」を開園しました。

開園当初は、360本の梅が主体で、当時有名だった亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどでした。その後、様々な植物を集めて四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説には「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたといわれています。また園内には、文人墨客たちの29の句碑石碑が随所に立っています。

「百聞は一見に如かず」といいますが、自分の足で歩いて回ったことで、新たに認識したりまた情報が更新されたりといったことが多くありました。楽しいイベントを体験させてもらったと思います。
バッチも3月半ばには、銀バッチ・金バッチは「在庫なし」とのことでした。多くの人がこのイベントを楽しんでいたのでしょう。


<参考文献>

  • 都立公園ガイド(令和5年度~6年度) ・・・・・・・ 東京都