三鷹市新川に戦国武将、柴田勝家ゆかりの史跡を訪ねる
三鷹市の南方で、市内をほぼ南北に流れる仙川と東西方向に走る中央自動車道の交点付近にビルが立ち並ぶ新川団地が建っている。 新川団地が建っている地域一帯は小高い台地の地形を成しており、かつて島屋敷と呼ばれ
三鷹市の南方で、市内をほぼ南北に流れる仙川と東西方向に走る中央自動車道の交点付近にビルが立ち並ぶ新川団地が建っている。 新川団地が建っている地域一帯は小高い台地の地形を成しており、かつて島屋敷と呼ばれ
江戸の大泥棒(義賊?)といえば、鼠小僧次郎吉、寛政9年(1797)~天保3年(1832)は、江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉(じろきち)。 本業は鳶職であったといわれる。大名屋敷だけを狙って盗みに入り
堀之内の保井寺(ほうせいじ)を通りかかった時に「新選組 斎藤一諾斎の墓所」なる案内板が目に付きました。そこで「斎藤一諾斎とは、どんな隊士か?」「多摩に墓所があるとは?多摩の出身なのか?」気になって調べ
甲州街道の追分から高尾駅までのイチョウ並木が黄色く色づき始め、時折吹く風も手伝ってか落ちた銀杏が歩道一面に広がっていました。暑い日が続いていましたが、季節は秋ですね。 このイチョウ並木の黄葉のなか
立川駅から奥多摩方面へ電車で行く場合、ホリデー快速と奥多摩行きを除いて青梅駅で乗り換えなければならない。その青梅-奥多摩駅(13駅18.2㎞)区間には「東京アドベンチャーライン」の愛称がある。平成30
戦後の民主化と新田開発の研究 戦前戦中の全体主義から敗戦後GHQの指導のもと民主化が始まりましたが、歴史研究の世界も民主主義的な研究が始まりました。菊地利夫著「新田開発」はこの分野の必読書とされていま
小金井神社(小金井市中町4丁目)の境内に石臼を散りばめて造った石臼塚が建っている。石臼は、米、麦、そばなどの穀粒を挽く道具で、昭和20年代中頃まで庶民にとって欠かすことのできない生活必需品の一つであっ
江戸幕府は、幕府の体制が整うに連れ、江戸の町の人口は急速に膨れ上がり、慢性的な水不足に陥った。そのため幕府は、承応2年(1653)多摩川の水を羽村から江戸まで通す玉川上水を開削することを決定した。 承
大國魂神社のなかには、いくつかの境内社がありますが、その一つ松尾神社をご紹介します。 日本三大酒神神社 酒神神社とは、お酒に関係のある神を祀った神社のことをいいます。 数ある酒神神社の中でも、大神神社
まだ蝉の鳴き声が賑やかな頃、八王子市石川町にある「石川町龍頭の舞」の舞台・「西蓮寺」と「御嶽神社」を訪ねました。 「西蓮寺」 「西蓮寺」は、大日如来を本尊とする真言宗智山派の寺院で、天正元年(15
文具や家電など昭和レトロの製品が平成生まれのデジタル世代などに「かわいい!」「しんせんっ!」とウケているという。旧青梅街道沿いを中心に青梅駅前とその周辺に吹いているレトロ風に懐かしさと歴史の風格を感じ
武蔵野八幡宮(武蔵野市吉祥寺東町)の境内に、吉祥寺ウドの由来を述べている案内板が立っている。 江戸時代、武蔵野八幡宮の周辺は畑作農業が盛んで、ウドの栽培も盛んであったという。 日本でウドの栽培が始まっ
令和2年、東京都内で唯一の日本遺産に認定された八王子の歴史文化を語るストーリー「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語」、そのストーリーを紹介する展示施設・「桑都日本遺産センター八王子博物館」(
東京都心のお盆が始まりました。正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教の法会の一つで、亡くなった方があの世から私たちのこの世へ会いに来る期間のことらしいです。 東京のお盆 東京都心では新暦の7月15日
梅雨も間近かの6月初め、高幡不動尊に参詣し、境内に咲くアジサイを見て来ました。 高幡不動尊 高幡不動尊として親しまれている