新田開発のはなし(1)〜榎戸源蔵に注目して〜

東京都心のお盆が始まりました。正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教の法会の一つで、亡くなった方があの世から私たちのこの世へ会いに来る期間のことらしいです。

東京のお盆

東京都心では新暦の7月15日をお中日(おちゅうにち)に7月13日のお迎えから7月16日の流しまでの5日間の期間です。地方は旧暦のお盆なので8月15日をお中日に8月13日から8月16日が一般的ですよね。

多摩のお盆

多摩地域の農家さんなどむかしから住んでいる方は、多摩盆や勝手盆といって8月1日をお中日に7月31日の迎えから8月2日の送りまでの3日間の様子です。これはもともと新暦の東京盆を行っていましたが、養蚕が盛んになり忙しいこの時期をずらして期間も短縮したと言うことらしいです。朔日盆に合わせたのかも知れませんね。

このように7月末から8月初めにお盆を行うのは、八王子、立川、府中、国立、国分寺、小平、小金井、調布、西東京市あたりと多摩一円で日付も若干違うみたいです。まさしく勝手盆ですね。他の多摩地域はどうなのでしょうか。

新田開発

今回は昭和の時代に武蔵国分寺種赤米が発見された武蔵野新田の一部、榎戸新田について調べていこうと思います。

江戸の三大改革

江戸の三大改革といえば、八代将軍徳川吉宗による「享保の改革」、老中松平定信による「寛政の改革」、そして老中水野忠邦による「天保の改革」が有名ですが、江戸時代がその当初の資産を使いつくし新たなフェーズへと進むために必要だった最初の改革である享保の改革の一部としての武蔵野新田開発に注目してみました。

武蔵野新田開発

享保期に行われた武蔵野新田開発の一部は、第八代将軍・吉宗→南町奉行・大岡越前守忠相→榎戸新田名主・榎戸源蔵という体制で行われました。この榎戸源蔵は武蔵野新田82カ村の新田村総代を務めた男です。大人物ですね。

榎戸源蔵

この榎戸源蔵は榎戸新田の名主です。

「調布玉川惣画図」の出版に協力

相沢伴主の「調布玉川惣画図」の出版の協力するために「伴主無尽」という講を主宰して允中流の門弟に呼び掛けて出版費用を集めた。

妙法寺の謝恩塔

享保年間(1716年から1735年)に行われた武蔵野の新田開発の際に、干ばつなどによる不作で農民が困ったとき、夫食(食料のこと)貸付など各種の農民保護、営農指導等に 尽力した川崎平右衛門、伊奈半左衛門の両代官に感謝して、榎戸源蔵が武蔵野新田の人々と造立した宝篋印塔の謝恩塔が妙法寺にあります。大正12年の関東大震災により倒壊し ましたが、昭和26年に再建とのことですが、人々の名前等も劣化で剥がれ落ちつつあります。

川崎・伊奈両代官感謝塔(妙法寺)

途中になりました、これからも榎戸源蔵について調べていこうと思いますのでよろしく願いいたします。