井ノ頭通り~水道道路の名は忘却の彼方へ
明治・大正期における東京市の水対策 明治から大正期にかけての急速な人口増加により、当時の東京市は生活用水確保のために新たな水源を確保する必要がありました。そこで、東京市は、狭山丘陵に上貯水池と下貯水池
明治・大正期における東京市の水対策 明治から大正期にかけての急速な人口増加により、当時の東京市は生活用水確保のために新たな水源を確保する必要がありました。そこで、東京市は、狭山丘陵に上貯水池と下貯水池
先日、朝目覚めると、久しぶりに涼しく気持ちの良い日だったので、2階ベランダのシャッターをガラガラっと開けました。暑い日差しを除ける為、しばらくシャッターの上半分を閉めたままにしていました。 部屋から外
全国植樹祭は、戦後の国土緑化運動の中心的な行事として第1回、昭和25(1950)年、以来、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、全国各地から緑化関係者等の参加を得て、両陛下のお手植えや参加者による記念植樹等
前回7月27日は、街歩きをすれば、至る所でご面会する地蔵・地蔵尊・お地蔵様の優しい柔和なお顔の意味するものは何なのかを、説明させていただいた。今回は、これも各地の寺院でしばし
秋の七草の歌といえば、山上憶良の2首が有名である。 「芽の花尾花葛花撫子の花姫部志又、藤袴朝顔の花」 「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種(ナナクサ)の花 この歌のように秋の七草に最初にハギが
前回に続き町田の気になるスポットを訪ねてみました。 「町田市立忠生公園」は、多摩丘陵の谷戸の地形を活かした公園です。 通称「忠生がにやら自然館」と呼ばれる自然観察センターがあり、谷戸に生育する昆虫や植
国道20号を東京から甲府方面に向かう八王子市大和田町3丁目で、多摩川の支流浅川に架かる大和田橋を渡ります。太平洋戦争末期の昭和20年8月2日に、アメリカ戦闘機B29が67万個の焼夷弾で市街地を火の海と
前回のブログでは、一等三角点「連光寺村」のある多摩丘陵にちょっと触れました。(一等三角点「連光寺村」) 今回は、「イルカ丘陵」と呼ばれる丘陵について書きます。 ■「イルカ丘陵」とは 「そんな丘陵の名前
寝起きに飲む1杯のコーヒー。三度の食事。新聞、本を読む。パソコンに向かうときも、ボケ~とテレビを見るときも、イスやソファが欠かせない。和室を使うのは寝るときだけだ。ましてや今日のようにコロナ禍を避ける
猛暑つづきのこの頃ですが、近場でジャブジャブ足を濡らしたいと思うのは、子供だけじゃない大人だってそうです。稲城市を流れる三沢川にこんな願いを叶えてくれるスポットがあります。 京王よみうりランド駅から北
籾摺り(もみすり)がたいへん 前回、実際に手作業でやってみると籾摺りがいちばん大変だったと言うお話しをしました。では昔の人は大量に採れた籾をどうやって籾摺りして玄米(げんまい)にしていたのでしょうか。
多摩地域勉強中のmaruです。 前回、立川に新しくできた「たましん美術館」に行ってきましたが、今回は同じく立川に新しくできたもうひとつの美術館「PLAY!MUSEUM」に行きました。 「PLAY! M
私が暮らす武蔵野市の主要道路の一つに五日市街道があります。その歴史や成り立ちについて気に留めることはあまりなかったのですが、今回の新型コロナによる自粛は思い起こす時間を与えてくれました。 五日市街道は
旧国立駅舎が完成 JR国立駅前、ずーっと建築中だった赤い三角屋根の建物。電車で通り過ぎる際に車窓から眺めるだけでしたが、遂に完成したので、途中下車してみました。 旧国立駅舎とは 1926(大正15)年
青梅市内のハイキングコースの1つである青梅丘陵の尾根道「青梅丘陵ハイキングコース」の起点は、青梅市勝沼1-197付近の旧成木街道「カトリック青梅教会」のところで、当初は、「林間道路入口」の標識も建てら