青梅丘陵ハイキングコースを歩く

青梅市内のハイキングコースの1つである青梅丘陵の尾根道「青梅丘陵ハイキングコース」の起点は、青梅市勝沼1-197付近の旧成木街道「カトリック青梅教会」のところで、当初は、「林間道路入口」の標識も建てられていたというが今は無い。

この林間道路が整備されたのは、昭和4年(1929)秋に始まった世界金融恐慌の嵐にさらされ、多くの失業者が生まれた。青梅町では永山に林間道路を整備する事業を起こし多くの方々を救う失業対策事業を行った。この事業は、昭和6年(1931)秋に始まり、4年の歳月を掛け、昭和10年(1935)に完成した。長さ約4㎞である。

その後、この林間道路は、戦後にも整備され、沿道には「都立青年の家」(現在の永山ふれあいセンター)や「青梅鉄道公園」などが建てられたり、宅地が造成されたりして現在に至っている。

入口からは両側が宅地の急な坂を登り、歩いて行くと勝沼神社が左手に見えて来る。この神社は、正安3年(1301)勝沼城主三田下総守長綱が別の場所に神明皇大神宮として創建したと伝えられる。安永3年(1774)9月に現在地に遷座。明治元年(1868)勝沼神社に改称した。

また坂道を登り、平道になった右手に青梅鉄道公園がある。この公園は、鉄道開業90周年記念事業として昭和37年(1962)10月9日開園した鉄道公園であり、過去に使用された実物の鉄道車両11両を屋外展示しているので一度入って見るのも良い。

この先からからが尾根道になります。今は、ここからが本格的なハイキングコースになり、整備当時の石垣が両側に残る所に古びた「青梅丘陵ハイキングコース」の看板がある。

少し歩くと、左手下に「永山公園総合グラウンド」が有るので、トイレと給水するのも良い。グラウンドを過ぎると左側の高台に「金毘羅神社」は建っている。この神社は、「御嶽菅笠道中」の青梅宿の北側に鎮座して描かれている。境内に石造りの亀を台にした七星権現と十二方角名所碑があり、必見だ。

ここから少し登ると右側に東屋風の第一休憩所があり、晴れていると、筑波山やスカイツリーが見える。

ハイキングコースに戻ると、左急斜面下の林の中に小さな池が見える。「かっぱ池」といわれている池で、明治の頃には水が滾々(こんこん)と湧いて流れていたという。明治27年(1894)開通の青梅鉄道青梅駅がこの池の真下に出来たのは、当時の蒸気機関車の水補給に利用するためだったともいわれている。

雨降りの時には水の流れが多くなり、駅線路に土砂等が流れ込むのを防ぐため、土留めが作られて居た様で、現在も一部の土留めが残っている。

両側を木々に囲まれたハイキングコースを少し行くと、左下にコースからは見えないが、秋葉神社(火の神様)がある。この神社も「御嶽菅笠道中」の青梅宿の北側に鎮座して描かれている。

ここから右に大きく折れて行くと、「叢雨橋」がある。この橋は、川に架かっているのでは無く、切通の上に架かっていて、下は青梅坂で、青梅市森下と黒沢の下栃谷を結ぶ峠道だ。この峠道は、江戸時代末期に青梅の機屋(はたや)が青梅市小曽木や成木の農家から賃機(ちんばた)の青梅縞を持ち帰った坂で、「絹の道」といわれる。昭和52年(1977)この下にトンネルが開かれ、今は通る人も居なくなった。

ここを過ぎ右に左にカーブすると、左手に宗教団体によって建てられた塔がある(現在は使用されていない)。その一角に、小さな石碑が立っている、その石碑には「中国の傑僧無際大師(けつそうむさいだいし)渡来の聖地ミイラの山」と刻まれていて、以前この地にあったお堂には、中国の高名な禅僧の即身仏(ミイラ)が祀られていたという。その禅僧とは、曹洞宗を開かれた石頭(せきとう)禅師であるといわれている。戦前の地図には、この場所を「石頭山」と記したものもあるという。

戦後になって、そのミイラは横浜市鶴見の總持寺に移され、現在も安置されているとの事である。

この先からは、両側から木々が覆いかぶされ日も当たりにくいハイキングコースの中を歩く。

木々の中を抜けると開けた場所に出る。左手急斜面下に青梅線と現青梅街道が通り、線路と青梅街道の間に小さな公園がみえる。その公園は、江戸時代に青梅に居たという義賊(大泥棒?)の裏宿七兵衛の屋敷跡だ。七兵衛の墓は青梅駅近くの宗建寺にある。ここを過ぎると上り坂が続き、両側から木々が覆いかぶされ日も当たりにくいハイキングコースになり暫く歩くと目の前が開ける。そこは第四休憩所だ。ここも東屋風になっていて雨降りには雨が凌げる場所で、青梅の多摩川南側の街並みと日の出町との境の山並みが見える。ここまでが4㎞弱で、一休みするのが良い。ハイキングコースに戻ると、左側は南斜面で日当たりが良く、春先はスイセン、山桜の桜並木、紫が綺麗な筆リンドウやキン蘭、ギン蘭も咲く場所だ。ここを過ぎるとあの心臓破りの坂、矢倉台の長さ200m位の坂が待っている。

急坂道を息を切らせて登るとそこは矢倉台、展望がとても良い高台で、四季を問わずここからの展望は心が和む。そんな場所であるため、中世に青梅を支配していた三田氏は、滝山城の北条氏照の攻撃にそなえてここに見張りを置き、多摩川南側一帯を監視していたといわれている。

ハイキングコースもこの先200m(失業対策事業の道はここまで)先からは幅の狭い尾根道になり、三方山、辛垣山(辛垣城跡)、雷電山を過ぎ、軍畑へ至る。

 

勝沼城と辛垣城を結ぶこの尾根道を三田氏の家臣たちが頻繁に通り北条氏照との軍に備えていたと思うと考え深い。