江戸時代中期の青梅に伝説の医者が居た

 ペニシリンは、昭和3年(1928)にイギリスのアレクサンダー・フレミングによって発見された世界初の抗生物質だ。昭和17年(1942)に欧米で実用化に成功し、第二次世界大戦中に多くの負傷者を救ったことから「20世紀最大の発見」ともいわれている。

日本でも「碧素」(へきそ)という名前で昭和20年(1945)に実用化に成功している。

 フレミングがペニシリンを発見するに至った経緯は、彼がブドウ球菌を培養中にカビの胞子が「ペトリ皿」に落ち、カビの周囲のブドウ球菌が溶解しているのに気が付いたことがきっかけだったというが、フレミングよりずっと前、それも江戸時代の日本で、ペニシリンのような薬を使って治療していた医者がいたという。

足立休哲像

 医者の名前は足立休哲(あだちきゅうてつ)万治3年(1660)徳島生まれ。
 やがて江戸に出た後、武蔵国の青梅・森下に移り住み、そこで開業医として活躍していたという。大変な名医として知られ、貧乏人には無料で診察し、金持ちには高額の治療費を請求したのだとか。

 次のような逸話が残されている。
 あるとき、北島五兵衛という金持ち商人がひどい病気にかかり重体となった。休哲先生が彼を治療したところ、無事に回復。その後、北島家の番頭が謝礼として五両を差し出すと、休哲先生は「ご主人の命がたったの五両ですかい」といわれたそうで、番頭が恐る恐る治療費を聞くと「まあ、この10倍程でしょうな!」とすましていったのだとか。北島家はいわれるまま五十両を支払い、休哲先生はこの五十両を貧しい人々に分け与えたと伝わる。
 それほど腕の良さが評判だった休哲先生だが、彼が治療の際に使っていたといわれるのが秘伝の薬。その入手先は勿論、製法も明らかにされていません。ところが、あるとき先生の女中の一人が、台所の床下のカメの中から休哲先生が何かを取り出している所を目撃した。ある時、女中がカメの中を確かめるとカメの中にあったのは青カビだったという。

 休哲先生はどこで青カビの効用に気が付いたのか?それがわかる記録はいまのところどこにも残されていないようだ。
 休哲先生は、特に耳の病気を治すことで有名だったとか。宝暦2年(1752)に93歳で亡くなったが、彼の死後、村人によって小さな祠が建てられ、神格化された。今でもその祠は残っており、「休哲様」といわれ、眼と耳の御利益のある神様として信仰されている。

 休哲様の御利益については、眼の病気の人は「絵馬を」、耳の病気の人は「穴の開いた石を奉納し、手洗水をつけて拝むと治ると伝えられている。

休哲様の祠


参考資料
*青梅を歩く本(青梅市教育委員会編)
*足立休哲像画(青梅市文化財ニュース)