造形美と静流域が魅力の多摩川の堰~ニヶ領上河原堰

先のブログで、多摩川に設置されている8基の主要な堰のうち、多摩川河口に最も近い調布取水堰と2番目に近いニヶ領宿河原堰の特色などについて触れてみました。
今回は、多摩川河口から数えて3番目に位置するニヶ領上河原(にかりょうかみがわら)堰について述べてみたいと思います。

ニヶ領用水開削時に誕生したニヶ領上河原堰

ニヶ領上河原堰の誕生は、ニヶ領宿河原堰と同様に、江戸時代初期、幕府代官小泉次大夫によって稲毛領と川崎領の2つ(ニヶ)の領地(二つの領地を合わせると現在の川崎市のほぼ全域に相当)へ多摩川の水を引くために開削された農業用水、ニヶ領用水(慶長16年(1611)完成)と深い関わり合いがあります。

ニヶ領用水の開削にあたって、多摩川右岸に取水口が2か所作られました。2か所のうち、最初に作られた取水口へ多摩川の水を引くための取水堰として設けられたのがニヶ領上河原堰(慶長16年(1611)完成)でした。2番目が先のブログで紹介したニヶ領宿河原堰(寛永6年(1629)完成)です。

ニヶ領用水と2つの取水堰 京浜河川事務所ニヶ領用水より

当時の堰は、多摩川の水が豊富で、川の流れが多少変化しても並べ替えが容易にできる蛇籠(じゃかご、竹で編んだ長い筒に石材を詰めたもの)を積み上げて造っていました。蛇籠のニヶ領上河原堰は、300年以上の長きにわたってニヶ領用水へ多摩川の水を引くために活躍しました。

蛇籠 土木学会論文集(水工学)より
蛇籠時代のニヶ領上河原堰

しかし、大正・昭和期に入ると、川崎地区で多摩川の水を工業用水として利用しようとする動きや神奈川県と東京市の間で多摩川の水利争いが起きます。そのため、蛇籠の堰では対応が難しくなり、昭和20年(1945)新たな堰に造り変えました。その堰は砂礫を積み上げて、そこへ堰柱を立てる構造の固定堰でした。水が透過しやすいように工夫されており、下流で取水する東京都に配慮した堰ということです。

昭和20年から昭和46年まで稼働したニヶ領上河原堰

今日のニヶ領上河原堰

しかし、この堰も昭和41年(1966)の台風によって一部が損壊したため、昭和46年(1971)に固定堰、可動堰(引上げ式)、魚道から成る堰に再建しました。さらに、平成24年(2012)、固定堰の部分を可動堰(起伏式)に改築し、より洪水に強い堰に補強しました。それが今日のニヶ領上河原堰です。

今日のニヶ領上河原堰は、JR南武線稲田堤駅から歩いて10分ほどの場所にあります。多摩川河口から約30㎞上流にあって、堰の長さは425m、左岸が調布市染地、右岸は川崎市多摩区上布田に位置しています。堰の長さ425mは、多摩川の主要な8基の堰の中で最長です。

多摩川を挟んで調布市染地と川崎市多摩区上布田を結ぶニヶ領上河原堰

ニヶ領上河原堰の造形美は、ニヶ領宿河原堰と同様に、多摩川の流れが織りなす風景と調和がとれていて多摩川の魅力を高めていると評価され、多摩川50景に選定されています。

右岸(向かって左側)から左岸に向かって可動堰(引上げ式)3門と同じく可動堰(起伏式)5門が見えている

さらに、ニヶ領上河原堰の下流域には水辺の生き物の楽園となっている場所があります。そこは河原が広がっていて、多摩川の水が穏やかに流れる静流域となっています。今年も四季折々、静流域で水鳥をはじめさまざまな水辺の生き物の躍動する姿を観ることができるでしょう。

ニヶ領上河原堰の下流部に広がる静流域
静流域に集まる水鳥たち

参考資料
 *国土交通省 京浜河川事務所資料
 *ニヶ領用水取水入口に関する史的考察
 *地理院地図