大黒天 ?

府中の大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)へ年始参りに行ってきた。コロナ禍対応の3密を避けることもあり、3ヶ日を過ぎて4日の初詣であったが、参道を取り巻く土産飲食屋台が皆無で例年年始の雑踏風景の無いのは初めて見る光景だ。それでも、お札・お守りや破魔矢を求める人の列は長く延びていて、相変わらずの人気である。自宅から多摩川を渡り、小一時間歩いて府中競馬場の西脇を過ぎれば大國魂神社であり、二十年余年始参りを続けて破魔矢をいただいて来るのが我が家の正月になっている。

                                                       府中大國魂神社の隋神門

                                                          大國魂神社の拝殿

大國魂神社は、第12代景行天皇41年(皇紀換算によれば西暦111年)に造られ、出雲臣天穂日命(いづものおみあめのほひのみこと)の後裔が初めて武蔵国造に任ぜられ、その後大国武蔵国の総社として、国司が武蔵国内神社の奉幣巡拝と神事執行等の便のため、武蔵総社として大國魂大神を武蔵国の守り神としてお祀りした神社だ。本殿の両側には、武蔵国六所の神々(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を祀った六所宮が置かれ、大國魂大神は出雲の大国主神と御同神で、大昔武蔵国を開かれた、福神又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様だ。

 

さて、身近な仏神シリーズの今回は、お正月七福神の中心に座す大黒天である。

    大黒天は、これまでお話してきた不動明王・四天王・弁才天と同様に、ヒンドゥー教から仏教に取り込まれた、もともとは青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。大黒天( Mahākāla:マハーカーラ)は、ヒンドゥー教のインド神話の三大神の一人シヴァ神の異名であり、「mahā 偉大な」「kāla 時間/死」から転じて「時を超越した者」や死を意味する。マハーカーラと妻マハーカーリーは「カラ」すなわち「時間 」の擬人化された存在であり、何にも拘束されない「時間 」は慈悲を示さず、世界あるいは宇宙全体を容赦なく滅し尽くす「破壊/再生」を司る様相にある。マハーカーラは通常、色が黒く、黒が全ての色を吸収して溶かし込むように、すべてを包含する性質を備え、究極または絶対の現実を表わす。

大黒天( Mahākāla:マハーカーラ)Wikipediaより

    大黒天は、日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。

下谷七福神の英信寺/三面大黒天

(正面は大黒天、左に毘沙門天、右に弁財天)

 大黒天の本来の像容は、一面二臂、青黒か黒色で憤怒の相で表現され、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている。この袋の中身は七宝が入っているとされる。

しかしながら、その憤怒相は鎌倉期の頃までで、それ以降、大国主神と習合して現在のような柔和相で作られるようになり、室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主神と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となり、室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合して微笑の相が加えられ、さらに江戸時代には米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在は、福徳円満な顔に微笑を浮かべ、頭巾をかぶり左肩に大きな袋を背負い、右手には打出の小槌を持ち、米俵に乗るその姿で親しまれ、「大黒さん」として、今日まで広く親しまれ、信仰されている。

曹洞宗大本山總持寺正面受付の木彫り日本一の大黒尊天(高さ180cm)

 

今回初詣に訪れた府中の大國魂神社の主祭神は大國魂大神 で、大国主神と同神とされている。大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。出雲大社・大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神。

奈良県大神神社の大国主大神木像(平安後期作)

古くから神像として伝えられる憤怒相の木像(Wikipediqaより)

 須佐之男命は、伊邪那岐命の神産みにおいて、黄泉の国から帰還し、禊を行った際に、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたが、姉の天照大御神と争い高天原を追い出され出雲に下り、八岐大蛇を退治して大蛇の尾から出た草薙剣を天照大御神に献上して出雲にとどまった。大国主神は、その須佐之男命の6世の孫といわれ、日本国の創神という。その後、天照大御神から国譲りを要請され、交渉の末に国を譲り、黄泉の国の王となった。大国主命の、数多い別名のうちに、「偉大な国の神霊」とする大国魂神があり、出雲大社と同神であり、日本国内には大国魂神を祀った多くの神社がある。

 

この多摩地区で大黒天=大国主神を探せば、大国魂神社の主祭神がまず登場するのだろうが、神仏習合もあって、日本の神の像は、造られていないことが多く、大國魂神社主祭神大国魂大神の実像はない。本殿に向かい、拝殿の前から礼拝するだけだ。神像を探すならば、境内入口の隋神門に、随神像として俗に右大臣左大臣と呼ばれる「豊磐間戸命」「櫛磐間戸命」という門の神様が見られるが、神社の主祭神ではない。

前掲の總持寺の大黒尊天像で、想像豊かに大黒天像を心に映してみてほしい。