「第23回多摩めぐり 山口貯水池(狭山湖)を育んだ狭山丘陵の恵みと自然保護」を12月18日に開催します

第21回多摩めぐり 将門伝説を秘めた奥多摩鳩ノ巣に渓谷と白丸調整池ダムの魚道を訪ねる

湖面を見ながらセラピーロードを歩いて爽快感を存分に味わった

ガイド:菊池 等

主なコース

JR青梅線鳩ノ巣駅 → 青梅街道古道 → 将門神社 → 御幸姫観音 → 双竜の滝 → 玉川水神社 → 鳩ノ巣渓谷遊歩道 → 白丸調整池ダム・魚道 → 白丸湖畔森林セラピーロード → JR青梅線白丸駅

10月30日、21回目の多摩めぐりで奥多摩町の鳩ノ巣と多摩川上流の白丸調整池ダムを訪ねた。新型コロナウイルス感染拡大で多摩めぐりの開催を1年間、見合わせていたが、10月末ごろに感染状況の警戒レベルがそれまでの最も低い値になったことから今年初めて開催できた。参加者は初参加組もいて21人。案内したのは菊池等さん。

今回のテーマは鳩ノ巣に語り伝えられている平将門にまつわる地と、調整池ダムの建設によって遮られていた魚の通り道が新たに造られた魚道見学だ。

沿道に人と歴史を浮き立たせていた聖観音と馬頭観音

路端に江戸時代からの“顔”

青梅線鳩ノ巣駅から斜面にへばりつく民家脇の急こう配の坂を登り、山中にある将門神社を目指した。歩いた道は青梅街道の古道だ。東へ行けば、青梅、田無、新宿へ。西へ向かえば、山梨県の大菩薩峠を越えて甲府・酒折へと続く。いまは山中の古道の大部分に分け入ることができないが、ここ鳩ノ巣ではいまも地元の人たちの生活道路であり、江戸時代に行き交った人々の匂いが道沿いにあった。享保13年(1728)に建てられた石像の聖観音や安政4年(1857)に建立された馬頭観音などがそれだ。

67年ぶりに将門の霊 安住の地に

間もなくして忽然と将門神社の鳥居前に出た。ホオノキの大葉だけが舞い落ちており、住民によって掃き清められた階段だと感じた。奥にある社を見上げた。付近の住民有志が昭和50年(1975)に再建した総檜造りの社殿だ。

将門と子孫の思いを忍ばせる将門神社

将門神社建立に紆余曲折あった。この地には元々、日本武尊を祀った穴沢天神があり、その近くに延喜年中(901~922年)に鎮守府将軍だった藤原利仁が陣中衛護の神とした八千戈命(やちほこのみこと)を祀った多名沢神社を起こした。その後、平将門を祀る平親王社(将門神社)を置いた。穴沢天神を奥の院とし、将門神社は多名沢神社の相殿とした。

だが、明治41年(1908)皇国史観を盾に将門神社の存立に異が下り、将門神社本殿、将門霊像(高さ42㎝の木造)、灯籠(文政3年=1820年建立)を棚澤村にあった熊野神社に合祀された。その後、荒れ果てていた跡地に67年ぶりの昭和50年に将門神社が再建された。

社殿の近くの山中に安置した将門の妃・御幸姫を祀った「御幸姫観音」は、ほっそりした体と遠方を見る涼やかな目が優しさにあふれていた。神社再建と同時に再興された像だ。いまも奥多摩町の民家戸口に御幸姫のお札を掲げて平安を祈る習わしが受け継がれている。この山上には穴沢天神社と三面不動尊の祠もあった。

眼下の鳩ノ巣坂下集落に目を降ろすように立つ御幸姫観音(右)

「新皇」自称して朝敵に

平将門は、桓武天皇の血を引く平安中期の武士で、平清盛らと同じ桓武平氏の一人だった。将門の父・良将(鎮守府将軍)が亡くなった後、拠点の下総国や常盤国に広がった平氏一族の抗争が関東諸国に及び、各地を攻略。将門は朝廷朱雀天皇に「新皇」を自称して東国の独立を企んだ。下総に王城を築き、文武百官を任命するなどして朝敵になった。

しかし、翌天慶3年(940)2月、朝廷の討伐の命を受けた征東大将藤原忠文らが到着する前に、下野国軍事の官職である押領使(おうりようし)藤原秀郷の援軍を得た平貞盛に将門は討たれた。討ち首は京都の七条河原にさらされた。いわゆる将門の乱以後、武士の力が強まっていくことになった。

東国の支配を企てた将門は、武蔵国や相模国を巡検したことが将門記などにあり、西多摩地域にも踏み入れていただろう。現に羽村や青梅、奥多摩地域の神社や寺、山上に合わせて20か所ほどゆかりの地がある。将門一族や舎弟たちは戦場から国々へ逃げ、一部は奥多摩に隠れ住み、将門の英雄説を語り継いたものだろう。

子孫の鎮守 参詣者で賑わう

中でも奥多摩町棚沢では将門の子である将軍太郎良門が亡父の遺影を奉納して崇めた将門宮(将門大明神)を将門の子孫と自認した棚沢村領主・三田弾正忠平次秀らが鎮守にしてから栄えたと伝わり、秩父で生き残った将門一族が奥多摩に移り住んだという言い伝えもある。

江戸時代には秩父一帯の将門神社講中が神職家の三田家に泊まり、参詣でにぎわい、江戸時代後期に発行された「新編武蔵風土記稿」にも記載されるほどだった。

三田家では高祖を将門とし、その子・良門を経て、姓を相馬(そま)から原島、三田、山宮と替え、再び三田に戻して今に続いている。

涼やかな滝と折れ曲がる地層

双竜の滝を見つめる参加者たち

一行は山上から一気に多摩川べりまで下り終えて、足を止めたのは双竜の滝だった。北方の川苔山(1364m)山系から流れ出た水でできた西川が多摩川に注ぐ直前の落差18mの直瀑だ。この日は一筋の流れだったが、雨量が多い時期には二筋が流れ落ちるという。滝周辺の重なり合う岩、流水による浸食で岩の割れ目を露わにし、流水の細さとは裏腹に武骨さ、力強さを表していた。滝口に被さるガードレールがお生憎だが、滝に触れられたことで良しとしよう。

ここでの見ものは、もう一つある。滝の中断左(階段脇)の岩壁が褶曲(しゅうきょく)していることだ。奥多摩域が海だったころにプランクトンの珪質(けいしつ)の殻が積もってできた地層が地殻変動で曲がりくねり、縞模様になったものだ。地殻変動の威力を見せつけられた。

バウムクーヘンのように折れ曲がった地層が表出していた

安全祈願と旅人の目標地

この地点は、すでに多摩川随一の景勝地、鳩ノ巣渓谷であり、足下で重なり合う岩と曲がりくねる流水面が見下ろせる岩頭に玉川水神社が建つ。高さといい、松や雑木が神域を醸し出している。祠の前は一行が集まれないほど狭い。

玉川水神社は、明暦3年(1657)に江戸市中で起きた大火「振袖火事」の後、市中復興の木材を送り込むため、作業小屋を建て、泊り込める飯場を設けた折に神社を祀った。

このあたりから上流は、岩が多く、流速があることから奥地の氷川や日原(奥多摩町)、丹波山(山梨県)などから管流しで木材を下ろした。

岩上の神社の森にはいつも2羽のハトが仲睦まじくいて、朝夕には餌を運ぶ様子を作業員たちが見ていた。いつしかこの地を鳩ノ巣飯場と呼ばれ、道行く人々の目標地にもなって地名になったという。

多摩川の水辺から高さ20m以上もある岩頭に建つ玉川水神社。足元が切れ落ちている

岩また岩に映える深緑と水

一行は、渓谷を見ながら岩に座り、昼食をとった。日差しは、岩や木々の陰影を濃くし、水の音が心地よい。微風が頬を撫でる。

一度に渡れる人数は5人までという吊り橋の鳩ノ巣小橋を恐る恐る渡る。「揺れてる、ゆれてる」と悲鳴も出て、上流にも下流にも続く岩の絶景をゆっくり見る心地も一瞬、飛ぶ。

鳩ノ巣渓谷の荒々しい岩と、それを噛む水、映える緑。いつまでも見続けていたかった

鳩ノ巣小橋を渡って多摩川右岸の遊歩道を上流約500mの白丸調整池ダムへ向かう。大石小石、小さな登り、下りの坂が連続する。段差もさまざま。「どこへ足、置くの?」「ここは遊歩道じゃない」と抑えきれない恐怖感と疲労感めいた声も渓谷に響く。

それでも巨岩奇岩を見落とすまいと、目先を変える。流水面全体が陽を受けて光の川になっている。光の線になっている小さな波も見逃したくなかった。

急流の深い鳩ノ巣渓谷に吸い込まれそう

多摩川の源流は、鳩ノ巣あたりから約56㎞上流の笠取山(1953m)の水干(みずひ)だ。一ノ瀬川、丹波川と名前を変え、奥多摩湖(小河内貯水池)で多摩川となる。

鳩ノ巣渓谷で見られる巨岩奇石は、秩父山地をはじめ、全国各地に分布する秩父古生層で2億年以上前の地質だ。そんな大昔の“顔”がゴロゴロして、それを踏んでいることにもコーフンした。

光の河に目がくらんだ
岩を縫って進む途中で一息つく

圧巻のダム堰堤と多摩川

白丸調整池ダム堰堤にたどり着いた。目に飛び込んできたのがダム下流に30mほど切れ落ちたところでチョロチョロ流れるように見える多摩川だった。両サイドに山が迫るのも手伝って深さの印象が増幅する。左岸には206.8mにわたって階段状の「明かり水路部魚道」があった。

堰堤から見下ろす多摩川。左岸の階段状になっているのが魚道の「明かり水路部」
堰堤(下方の通路)直下のダムと多摩川を一望する展望台(右上)に立つ参加者

東京都交通局が昭和38年(1963)に都電の電車運行の電力を賄うために建設したダムだ。ダムの地下に発電施設を備えている。総貯水量は89万2900㎥。堰き止めた水は下流の御岳にある多摩川第三発電所へ主にトンネルで送水(落差69m)して1万6400kw(最大)を発電している。

堰堤61mを渡り終えると、また階段が待っていた。登り終えた先は、眼下に広がる貯水施設の全景と切れ落ちたダムだった。断崖地によくぞ建設したものだと再び実感する。

40年ぶりにダム越えできた魚

管理棟から直に螺旋階段を下りると、流水音が反響するトンネルの魚道だ

魚道へ下りる螺旋階段をぐるぐる回った。魚道は平成14年(2002)国土交通省が多摩川の生態系を取り戻すために新設したものだ。トンネル部分125mの大半を見学した。トンネル内を流れ下る水音は思いのほか大きい。ヤマメやマス、アユなどが行き来しているという。この日も小魚が一塊になっていた。上段のマスに向かうのか、次のステップに備えていた。トンネル部分より長い明かり水路部はダム堰堤から大部分が見えた。魚道ができるまで40年ほど、道を閉ざされた影響はどれほどのものだったのだろうか。魚道に流す水を生かして観光用にも1100kw発電している。

トンネルの魚道。10mで1m下がるきつい急流にも魚たちは果敢に立ち向かう

水と緑と風に解放された心と身

白丸駅へ向かうために調整池右岸のセラピーロードを楽しんだ。鳩ノ巣渓谷で岩と格闘したのとは大きく異なり、平坦な山道だった。覆い被さる木々の下、色づき始めたカエデなどの葉を日光が透かし、緑が浮き立つ。光の鏡になった湖面。入り組んだ対岸の山斜面の陰影が様々な深緑を見せた。水に浮き、風を感じて遊ぶサップを楽しむ人々の笑顔……。2年近く、新型コロナ感染拡大を避けてそれぞれが閉じこもった生活をしてきた身を解放した。まさに森林セラピーだった。湖面は数馬橋まで続いた。

湖面を悠々と滑ってサップを楽しむ人たちの姿にも癒された

川合玉堂と田山花袋も魅了した地

橋のたもとに日本画家・川合玉堂が明治36年(1903)春に詠んだ歌があった。
『山の上のはなれ 小むらの名を聞かむ やがてわが世を ここにへぬべく』


作家・田山花袋は、大正9年(1920)に数馬橋で見た光景をこう書いた。
『多摩川の楓溪(ふうけい)は ことにすぐれている…溪もよければ谷の形もよい 水の音にふれて瀬をなしているのも面白い 道は楓溪と相対して秋は美観である』

菊池さん
菊池さん

コロナ感染による緊急事態宣言が解除され、約1年ぶりに開催した多摩めぐり。参加者は21人で通常より定員を減らしての開催でした。

鳩ノ巣駅を出発し、棚沢集落の中を通る青梅街道古道を歩き、将門神社、御幸姫観音像を訪ねてから多摩川沿いに戻り、鳩ノ巣渓谷の「水神社」でお昼ご飯。午後から本番の鳩ノ巣渓谷岩場の遊歩道を500m程歩き、目的地の白丸調整池ダムへと向かいました。

最大の難関はダム手前にある高さ15m位の登り階段です。慣れない岩場の遊歩道に足元を気遣いながら歩いた後の階段には参加者の悲鳴にも聞こえる声の連発でした。全員何とか登り終わり、ダムに着いたと思ったら、また階段を登り、魚道入口の管理棟へ到着。

今回の最大の見どころである多摩川の白丸調整池ダムに設置された落差27mを超える「魚道」でした。ほとんどの参加者が初めて見る魚道内部。早速、下りの螺旋階段を15m位下りて魚道内部を歩きました。魚道の途中にある魚の休憩水槽を参加者が入れ替わり覗き込んで「あ!小さい魚がいる」と喜びの声。魚道内部も楽しんで貰えました。

魚道見学の後は、ダム湖畔のセラピーロードを1㎞強歩き、白丸駅へと向かいました。最後まで怪我人や落伍者もなく多摩めぐりを終えられたことに感謝します。

【集合:10月30日(土)午前10時30分 JR青梅線鳩ノ巣駅/解散:白丸駅午後2時45分ごろ】