青梅市内にある松尾芭蕉の句碑
芭蕉の生い立ち 芭蕉は、寛永21年(1644)伊賀国阿拝郡(現三重県伊賀市)の土豪一族出身の松尾与左衛門の次男として生まれる。明暦2年(1656)、12歳の時に父が死去し、兄の半左衛門が家督を継いだ。
芭蕉の生い立ち 芭蕉は、寛永21年(1644)伊賀国阿拝郡(現三重県伊賀市)の土豪一族出身の松尾与左衛門の次男として生まれる。明暦2年(1656)、12歳の時に父が死去し、兄の半左衛門が家督を継いだ。
青梅市景観形成重要資源 概要 青梅市では平成16年(2004)2月15日に「青梅市景観まちづくり基本方針」が決定され、青梅市の美しい景観を育むことに関して必要な事項を定めることにより、優れた景観づく
場所 東京都青梅市の中心JR青梅駅その北正面にそびえる海抜273mの山が金比羅山です。 創建 今から400年以上前(1610年頃)青梅街道の宿場として始まった頃、青梅の鎮護と商売繁盛の神としてここに妙
Ⅰ.稚子橋 青梅街道千ヶ瀬バイパスが市民会館から多摩川に架かる万年橋に続く道(国道411)に突き当たるT字交差点の左側に、以前「ふじや」という割烹旅館があり、その門の端に「稚子橋」(わかこばし)という
青梅の地名の由来になった青梅市の金剛寺にある梅の木 金剛寺 青梅市天ケ瀬にある真言宗豊山派の寺院で青梅山無量寿院と号し、本尊は不動明王です。承平年間(931~938)、寛空(かんくう)上人が創建し
中武馬車鉄道 明治34年(1901)9月に東京府西多摩郡青梅町(現東京都青梅市)から埼玉県入間郡扇町屋(現埼玉県入間市)を経て、入間郡入間川町(現狭山市)まで全線開通した。 武蔵野鉄道(現西武鉄道池袋
かわせみとは ◎ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に分類される鳥。 ◎分布は、ヨーロッパおよびアフリカ北部からインド、東南アジアにかけて分布し、広い分布の中でいくつかの亜種に分かれている。暖かい地域で
先のブログで、規模が大きく、歴史的価値が高く、景観が良いと評価されている多摩川の8つの堰のうち、河口側から上流へ向かって順に7つの堰(調布取水堰、ニヶ領宿河原堰、ニヶ領上河原堰、大丸用水堰、日野用水堰
即清寺の紹介 即清寺は、山号愛宕山明王院で真言宗豊山派の寺。 元慶年間(877~885)現喩和尚(げんゆおしょう)の開創。建久年間(1190~1198)に源頼朝が御家人の畠山重忠に命じて諸伽藍を造営
畠山重忠 畠山重忠は、約800年以上前の鎌倉時代に秩父地方を治めていた鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝が挙兵した当初は平家方として敵対していたが、頼朝が安房国で再挙兵した時に臣従して治承・寿永の乱で活躍
御嶽駅から山頂ケーブル駅 前に都道で一番短い停車場線(羽村停車場線55m)を歩いたが、今回は一番長い十里木御嶽停車場線(15,539ⅿ≪青梅市内5,409ⅿ・あきる野市内10,130ⅿ≫)を歩く。全線
「フセギ」と言えば 都内清瀬市下宿(したじゅく)の「フセギ」が有名で、毎年5月3日の行われる伝統行事です。集落に疫病や悪霊が入ってくるのを「ふせぐ」ために二本の大木の間に全長20mほどもある大きな藁の
神社の雰囲気醸し出す駅舎 御嶽駅の駅頭に立って、この日もいつものように駅舎の屋根を見上げたり、振り返ったりしてしまった。御岳山上にある武蔵御嶽神社の玄関口であることから駅舎は、入母屋造りの屋根に神社を
1.御嶽菅笠とは 天保5年(1834)国学者・齋藤義彦によって作成された。 江戸時代、御嶽講と呼ばれる御嶽信仰(現青梅市の御岳山・武蔵御嶽神社) が、関東一円に広がっており、御嶽神社への道中案内で、今
鐘楼いただく駅の跨線橋 前回の「軍畑駅前の顔」から続く。青梅線軍畑駅下の青梅街道から分けた青渭通りを歩くこと1.5㎞ほど。西隣の沢井駅の跨線橋が見えてから塚瀬踏切を渡った。目についたのは跨線橋の屋根に