五日市街道は見ていた
私が暮らす武蔵野市の主要道路の一つに五日市街道があります。その歴史や成り立ちについて気に留めることはあまりなかったのですが、今回の新型コロナによる自粛は思い起こす時間を与えてくれました。 五日市街道は
私が暮らす武蔵野市の主要道路の一つに五日市街道があります。その歴史や成り立ちについて気に留めることはあまりなかったのですが、今回の新型コロナによる自粛は思い起こす時間を与えてくれました。 五日市街道は
千川上水は、元禄9年(1696年)、本郷・下谷・浅草方面への給水のために開削された総延長約30㎞の上水である。現在の西東京市と武蔵野市との市境付近にある境橋で玉川上水の分水によって誕生した。 河村瑞賢
武蔵野市八幡町に、五日市街道に面して関前八幡神社と延命寺という寺社が並んで建っている。江戸時代この地域は関前村と呼ばれ、開村時の寛文10年(1670)に鎮守八幡神社が創建された。その後明治維新の神仏分
武蔵野市の主要道路の一つ、「中央通り」は武蔵野市をほぼ南北に走り、「千川上水」を横切ると、上水と並んで走る練馬区の道路と交差する。交差点の北側は練馬区である。交差点の名前は「更新橋」。 その交差点の四
ブログとは縁のなかった私ですが、徒然なるままに綴ってみたいと思います。 大正6年(1917)、群馬県出身の中島知久平(1884-1949)という人物が兵器としての航空機に注目し、海軍機関大尉を辞して郷