水道水の「水はむら」手にハケと湧水と田んぼ散歩~羽村駅前の顔

JR青梅線羽村駅に降り立った。青梅線駅前の顔シリーズで取り上げようと、買い求めたい「水」を探した。羽村市の水道水をまるごとペットボトル(500㎖入り)に詰めた「水はむら」だ。駅東口前のコンビニにない。向かいのスーパーにもなかった。聞けば公共施設で販売しているという。駅から近い公共施設といえば、複合施設がある。羽村市役所もそう遠くはない。いやいや、この水を求めるなら羽村市水道事務所が最適だろう。この事務所は市内で一番高い地にあり、配水塔も見られる。事務所のロビーに据えられた自販機に「水はむら」は、あった。1本100円。3本ゲットして市内の湧水など水にまつわるポイントをつないで“ハケと湧水と田んぼ散歩”をしようとしゃれこんだ。

地下水の味損なわずまろやか

「水はむら」の品名はミネラルウォーター。原材料は地下水100%。羽村市の水道は浅井戸(深さ7~10m程度)からくみ上げて、浄化して一般家庭に配水している。その水道水をペットボトルに詰め込んだものだ。東京都水道局の水道事業に加わっていない羽村市ならではの一品で、その飲み心地はすっきり感が口中に広がるなか、地下水本来のまろやかさを感じた。埼玉県秩父市の(株)秩父源流水が製造して平成19年(2007)度から販売している。

「地下水100パーセント」を明記して販売している「水はむら」。ラベルに羽村市公式キャラクター「はむりん」も登場

同市内に3ヶ所ある浅井戸からくみ上げた水を塩素処理などして各家庭に配水しているが、ペットボトル用は熱処理している。一般的には河川の水を浄化して家庭に配水しているが、羽村の水道水の原水は、すべて地下水。自然浄化力の高さを生かしており、原水の味を売りにしている。

1000分の2㎜の病原虫も除去

自慢の装置は平成16年に取り入れた膜ろ過(まくろか)施設だ。チューリップ畑で知られる市内羽中の「根がらみ水田」付近にある。水は各水源の原水槽から膜ろ過ユニットに送り込まれる。ここでは1000分の2㎜の穴が開いたスポンジ状の膜でろ過する。塩素系に耐える高い生命力があるといわれる病原虫のクリプトスポリジウムを完全に除去するシステムだ。規模は国内最大級だそうだ。ここでろ過した水を浄水場へ送り、さらに3ヶ所の配水塔を経て一般家庭へ送られる。浄水場では水槽に魚を飼って水質の安全を確認しているという。

化学工場のような設備を整えた膜ろ過施設(羽村市水道事務所発行パンフレットから)

配水にも地の利を生かしている。市内緑ヶ丘にある第1配水場の配水塔は、市内でも最高地にあり、配水塔の高さは約35m。周辺の住宅に比べて巨大さが目につく。内径18m。2層式で6250㎥入る。他の2ヶ所の配水塔も河岸段丘の上に建設されており、各家庭へ電力を使わないで自然流水で配水している。コンパクトな羽村市だから水道管に水が長く滞留することがないのも利点とか。毎月初めに行っていた水道施設見学会は、新型コロナウイルス感染拡大防止で現在、開催を見合わせている。

10階建てビルの高さほどある第1配水場の配水塔

昭島市や首都圏1都3県も「水道水」販売

自治体独自の水道事業を行っている昭島市でも地下70mよりも深い層を流れる深層水をくみ上げている。ペットボトルの「あきしまの水」(500㎖入り)は、ふるさと納税の返礼品に充てている。こちらも「カルキ臭とは無縁。市販のミネラルウォーターと変わらないおいしさ」とアピールしている。

首都圏の自治体で水道水のペットボトルを販売しているのは東京都の「東京水」(採水地は葛飾区の金町浄水場)、神奈川県の「神奈川のおいしい水 森のハーモニー」(採水地は相模原市緑区の早戸川)、埼玉県の「埼玉県の水道水 彩の水だより」(採水地は三郷市の新三郷浄水場)、千葉県の「ちばポタ」(千葉県の「ちば」と水道局マスコットキャラクター「ポタリちゃん」を組み合わせて命名。採水地は松戸市のちば野菊の里浄水場)がある。

ハケから出る6ヶ所の湧水 羽村市

多摩地域の自治体は、武蔵野台地にあり、水に恵まれた土地柄ではない。羽村市も同様で西端の低地に多摩川を抱えているが、生活用水に生かす術がなかった。羽村駅東口に「まいまいず井戸」があるように水に苦労した土地柄だ。江戸市中や都心の人たちの命水を送り続けている玉川上水は羽村市民にとって垂涎の的だった。

だが、多摩川に並行するように羽村市には東から立川崖線と拝島崖線が延びているほか、地元で言われる五ノ神崖線、小作崖線、川崎崖線、羽村崖線、根がらみ崖線、美原崖線があり、これらは不連続に多摩川に近づくにしたがって階段状に低くなっている。このハケからいくつもの水が湧いている。羽村の元々の集落は、これらの崖線周辺だった。

環境省の調査によると、東京都には171地点(島しょ除く)に湧水がある。多摩地域で一番多いのが調布市の27ヶ所、次いで立川市の11ヶ所、日野市10ヶ所。羽村市には6ヶ所ある。この日は近寄れる3ヶ所を訪ねがてら沿道にも立ち寄ろうと青梅線を渡って羽村駅から西方へ向かった。

旅人潤し、上水工事、農作物運搬の馬も

新奥多摩街道の六差路に差し掛かると、稲荷神社(羽東2丁目)鳥居下に当たる急坂の「お寺坂」途中に馬の水飲み場跡がある。旧鎌倉街道の下であり、旅人が行き交い、玉川上水の建設用資材を運んだ道だった。坂の下に住む農家の人たちがハケの上にある畑へ肥料などを運搬するのに苦労した地点でもある。荷車を引く馬に頼っていたことから水飲み場を作った。明治27年(1894)に青梅鉄道が開通しても多摩川の砂利を羽村駅まで運ぶのも馬車を使った。水飲み場は馬にとって潤いの泉だった。いまは涸れているが、きれいに保存されている。

急坂の途中にある「馬の水飲み場跡」。明治時代中頃まで荷車が通れるほどの細い道だった

縄文人の生活支えた? 弁天の泉

稲荷神社裏手で右折して雑木林の道を進む。裸木のケヤキの大木は、間もなく若葉を広げるだろう。見えてきた聖徳神社を左折してハケを下り、稲荷緑地(羽東2丁目)の裾伝いに進むと住宅が途切れた。その先に「弁天の泉」がある。緑地の上には縄文時代の山根坂上遺跡があることから長らく貴重な水だったことが伺われる。井戸風に掘られているが、いまは、ふたをされて中を覗けなかった。地元の人は「ひょっとしたら、この時季、涸れているかもよ」といい、梅雨時期以降は豊富に湧くそうだ。

ハケの中段にある「弁天の泉」

稲荷緑地は東京都の立川崖線緑地保全地域に指定されており、平成19年(2007)から地元の人たちが稲荷緑地の会を作り、月2回、1万4千㎡の下草やシュロ、ササなどを伐採したり、ゴミ拾いなどしたりして整備しているから林は見通しが良い。

東京水道の守護神 玉川水神社

西の多摩川方面に足を向けて玉川上水取水口に近い奥多摩街道に出た。玉川水神社がある。本殿は天保時代に小林播磨守が建てたといわれ、東京水道(玉川上水)の守護神と崇められてきた。水神社としては最も古い一つだそうだ。

本殿脇の石燈籠は、筏師が寄進したもので、燈籠に刻まれた「桴」は「木が浮く」を当てたもので安全を祈願した。隣接する荘厳な茅葺きの陣屋門は、玉川上水を管理した江戸幕府の陣屋の名残で江戸市中へ水を送る役目の重さを漂わせている。

春風に揺れる「三春の滝桜」と大シダレザクラ

奥多摩街道を横切り、多摩川沿いの上水公園通りへ入る。雨乞街道ともいわれ、昔、付近の住民たちは、夏の日照りが続いて木製の龍頭を淵に沈めて雨乞いしたという言い伝えがある道だ。この道から羽村堰上が一望でき、脇の堤防に平成13年(2001)に植えられた「三春の滝桜」が開花を待っていた。

街道沿いの禅福寺山門も目につく。禅福寺は臨済宗建長寺の無二法一禅師が開山したが、度重なる火災で古い記録はない。四脚門(薬医門)は寺が創建された応安年間(1368~74)の100年ほど後の寛正3年(1462)に建立された。切妻造りの茅葺屋根で重厚な趣がある。四脚門は室町時代中期の遺構として羽村市の指定有形文化財になっている。門前の地蔵尊も古く文政10年(1827)地元の講中が建立した。

室町時代中期の禅福寺山門

屋根よりも高い民家の庭先にあるシダレザクラ。揺れる花すだれにうっとり(2018年写す)

禅福寺の西隣りにある民家の屋根から抜きん出たシダレザクラは枝全体が赤く開花寸前だ。植えて数十年になるという。民家の庭先を彩る一本で、根元から見上げる枝ぶりは、天に向かって大手を広げた姿に似ていた。例年、花笠のように垂れる花々が春風にしおらしく揺れる様に見とれる。

色とりどり チューリップのパッチワーク

通りに戻って坂を下ると、一面に「根がらみ水田」が広がる。多摩川から灌漑用水を引いた羽村市唯一の水田地帯だ。8haある。ここから見る空は高く、広い。北の青梅方面に向かって右の根がらみ崖線と、左の多摩川をはさんで連なる羽村草花丘陵に掬われているような水田だ。そんな光景を田んぼ道に座って眺めながら飲んだ「水はむら」が体に染み渡った。コロナ禍による窮屈な気持ちがほぐれていく。

水田では市内の子供たちが稲作を体験し、その子らも手伝って昨秋植えたチューリップがいま、ちっちゃい葉を広げている。花は例年4月中旬から下旬に60種、40万球ほど見られる。赤、ピンク、白、黄、オレンジ、紫など、畑一面がパッチワークの花園になり、人出が多い。夏のシーズンには大賀ハスの花も見られる。

水田の多摩川寄りには「水車があるカフェ」があり、一休みしたいところだ。根がらみの水車は、江戸時代に据えられ、明治から昭和にかけて5基も水車が回っていた。水を送り、精米や製粉などの動力として使われていた。カフェにある水車は40年ほど前に復元されたものだ。この南東に水道事業の「膜ろ過」施設があり、西に第1水源がある。

連なるチューリップの花の列に誘われて時間が経つのも忘れて歩くのが例年のこと(2020年写す)

根がらみ水田北側にある踊り子草公園で間もなく咲くオドリコソウ(2020年写す)

夏に大賀ハスの花も楽しめる根がらみ水田(2011年写す)

このあたりの桜並木の多摩川堤防は「大正土手」といわれる。明治時代末に2度にわたる洪水で田畑が水没して大正2年(1913)から10年がかりで護岸工事して復旧させた。当時あった「一本杉」は、いま代替わりして大杉に育ちつつある。

2階建て鐘楼と清浄感ある湧水

根がらみ水田北西の森の間に大屋根が見える建物は臨済宗建長寺派の一峰院だ。中世期にこの一帯を支配していた豪族、三田雅楽之助(みた・うたのすけ)将定が応永31年(1424)に開基した。十一面観音像や不動明王像などの寺宝がある。

気高さ漂う一峰院の鐘楼と本堂

参拝者がまず見上げるのが鐘楼門だ。文政2年(1819)建築。1間門だが、3ヶ所に扉が付いた一間三戸の様式で、入母屋造りの桟瓦葺き。山門としての楼門であり、2階に腰縁を設えて、梵鐘を吊るして鐘楼を兼ねている。一般的な楼門に比べて建ちが高く、壁がない。

本堂の左手奥に境内を潤す湧水がある。水は澄んでおり、浮草が瑞々しく目に映った。清浄感がある。

湧水が流れ続ける一峰院境内の池。清々しい

語り継ぐ豪族三田氏ら弔う五輪塔

多摩川堤防に戻り、上流を目指す。雑木の下に三田雅楽之助将定らの墓があった。一族は羽村周辺に住んでいたといわれるが、詳しくはわからない。五輪塔2基は新編武蔵風土記稿に記されており、様式からも江戸初期のものといわれる。中央の宝筐印塔は江戸中期の様式であり、昭和初期にこの地に移されたようだと文化財標にあった。ただ、将定の時代から200年以上も後の石造物であることから将定の墓と特定はできないが、江戸時代から語り継がれてきた豪族であり、羽村での足跡を表すものとして市指定史跡にしている。

一峰院の再建に熱心だったといわれる三田雅楽之助将定ら一族の墓

ホタルの乱舞が待たれる清流

墓地の北に清流のバロメーターである証しがあった。ホタル養殖地だ。水が音を立てて湧いていた。ここはゲンジボタルの発生地であり、エサのカワニナが豊富で、4月に入れば、幼虫は3㎝ほどに育ち、水から這い出て土に潜って、5月ごろにサナギになる。6月には成虫になって夜霧だけを吸って3~4日間光って生涯を閉じる。そのいっときの光を私も楽しむ一人だ。

多摩川堤防脇に作られたホタル養殖地

石積みから力強く生え出た格好のシイ。力感がみなぎっている

藤原秀郷手植えの都天然記念物シイ

阿蘇神社はすぐだ。阿蘇神社は多摩川左岸のハケの上に推古天皇9年(601)に創建されたという。平将門や藤原秀郷らが造営したと伝わる。武士集団を率いて青梅市勝沼に本拠を置いた三田定重が7回目の改修をしたと棟札に記してあるそうだ。

見逃せないのは東京都天然記念物のシイだ。多摩川沿いに石積みで作られた高さ十数メートルの崖の上の社殿横から根を伸ばしていた。樹高18m、幹回り6.2m。多摩川側に大きく懸垂している枝ぶりは見事。まさに老樹、ここにありだ。平将門を討った藤原秀郷が天慶3年(940)に社殿を造営したときに手植えしたと言い伝えられている。

汗引いた「間坂の稲荷様」の湧水

阿蘇神社を後にして奥多摩街道を上り、間坂交差点を左折して最初の路地を右折した。民家の垣根の間を抜けた先に目指してきた八幡稲荷神社(羽中3丁目)がハケ縁にあった。地元の人は「間坂の稲荷様」と呼んで親しんでいる。社殿後ろに湧水をたっぷり湛える縦3m、横5mほどの池は、これまでどんな渇水期でも涸れたことがないという。湧水はハケから噴き出ているのか、底から湧ているのか、分からない。が、池の水量は、きょう一番豊富だった。気温20度近いこの日の散歩で、しっとりかいた汗が引いていった。「水はむら」を飲んだ喉が音を鳴らした。

「間坂の稲荷様」の湧水。澄んだ水にコイが悠々と泳いでいた