江戸時代の古文書を読んでみよう

江戸時代の古文書を読んでみよう

今回は「江戸時代の古文書を読んでみよう」です。私は学生時代に理科系の学生だったので国語は苦手なんです。特に口語と違って助動詞までも活用変形する古典は大の苦手でした。しかし、こんなわたしでも江戸時代の古文書は読むことは出来ます。今回は古文書講座の内容を書きたいと思います。

ポイントはくずし字

江戸時代(近世)はそう昔ではありません。私たちのおじいさんのその又おじいさんは江戸時代生まれでしょうから私たちを同じ感覚の人たちですし、古典文法は気にするほど問題になりません。文法よりも「くずし字」の解読が大きなテーマになります。

読む古文書は「国分寺由緒書上」。新編武蔵風土記稿を幕府が作るときに「武蔵国分寺はこんな建物ですよ」とお上に上納した史料です。解読を通して、国分寺寺院の歴史を学び、近世文書に親しみましょう。

このブログの内容は

1.古文書(こもんじょ)を読む
 一 予備知識
 二 古文書を見てみる
 三 翻刻
 四 読み方
 五 語句
 六 補足
2.辞書や参考図書の紹介
 一「くずし字用例辞典」
 二「音訓引き古文書字典」
 三「古文書解読事典」
 四「史料を読み解く近世の村と町」
3.おわりに

こんな感じで進めたいと思います。
最初は古文書を実際に読んでみましょう。

1.古文書(こもんじょ)を読む

一 予備知識

まず奈良時代の建立された官寺の武蔵国分寺について復習しておきましょう。

国分寺とは

国分寺‥正式名称は「金光明四天王護国寺」
国分尼寺‥正式名称は「法華滅罪寺」
武蔵国分寺の大きさ‥寺域は約東西1.5km、南北1kmの広さでした

主な出来事

天平九年(737)
国ごとに釈迦仏像一体(釈迦如来)、挟持菩薩二体(文殊菩薩と普賢菩薩)を造り、大般若経一部を写させる。
天平十三年(741)
国分寺建立の詔の発布
天平宝字元年(757)
この頃に、武蔵国分寺の主要な建物が完成(漆紙文書から)
承和二年(835)
七重塔が落雷にて焼失
承和十二年(845)
七重塔の再建を許可(男衾郡の大領 壬生吉志福正の願い出)
元慶二年(878)
大地震が起き、建物に被害が出る(南関東で被害大)
寛平二年(890)
この頃、多くの建物が再建
元弘三年(1333)
分倍河原の戦いで、武蔵国分寺が焼失
建武二年(1335)
新田義貞の寄進により、武蔵国分寺の薬師堂が再興。当時は武蔵国分寺跡の金堂付近に薬師堂は再建されたがその後江戸時代に現在の位置に移る
大正十一年(1922)
国の史跡に指定。現在の指定名は「武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡」

国分寺が建てられた理由

奈良時代に入ると伝染病の流行、大地震、日照りによる不作、政治の混乱などがあり、社会は不安定となる。時の天皇であった聖武天皇は仏教の力を借りて、これを解決しよう(鎮護国家)と思い、それぞれの国に国分寺(僧寺と尼寺)を建てるよう命じた(国分寺建立の詔)

この場所が選ばれた理由

1.国府(府中市)から程よい距離
2.湧き水がある→生活用水を確保できる
3.道路(東山道武蔵路)がある→移動や物流で便利
4.四神相応(好所)の地である→立地条件がよい
東 青龍 川(野川)
南 朱雀 低湿地(作物が良く育ち栄えている)
西 白虎 道路(東山道武蔵路)
北 玄武 丘陵がある(国分寺崖線)

江戸時代以降の国分寺

江戸時代の武蔵国分寺(現国分寺)
真言宗豊山派の寺。醫王山最勝院と号する。江戸時代初期は薬師堂のみが存在。

主な出来事

慶安元年(1648)
徳川将軍家より国分寺薬師堂領(九石八斗)が安堵される
享保三年(1718)
この頃、国分寺仁王門の仁王像建立
享保十年(1725)
国分寺の本堂再建
宝暦六年(1756)
この頃、国分寺薬師堂が現在の場所に建て替えられる。この頃、現在の国分寺仁王門が建造される
明治二十八年(1895)
前沢村(現在の東久留米市)の米津寺(べいしんじ)より楼門を移築
大正三年(1914)
薬師堂に安置されている木造薬師如来像が国宝に指定。※現在は国指定重要文化財。

二 古文書を見てみる

これが『慶応四年「国分寺由緒書上」(本多良雄家文書 寺社信仰30)』です。
赤ペンは私が読めなかったところです。みなさんも読んでみましょう。

武蔵国分寺由緒書上(1)

武蔵国分寺由緒書上(2)

武蔵国分寺由緒書上(3)

武蔵国分寺由緒書上(4)

武蔵国分寺由緒書上(5)

武蔵国分寺由緒書上(6)

武蔵国分寺由緒書上(7)

 

三 翻刻

くずし漢字を解読してみなさんが読める漢字やひらがなにしたものを翻刻(ほんこく)といいます。みなさんも史料を詠めたら翻刻を書いてみましょう。

武蔵国多摩郡醫王山医王山最勝院国分寺者、
天平九年 聖武皇帝御勅願所、
行基菩薩開創之地也、本尊者薬師
如来、往古ハ七堂之伽藍有而多の知行
を玉ふよし、然を元弘三壬酉の五月、
相模入道与新田義貞与分陪ニ而合
戦之砌り、堂塔不残焼失ス、依而霊
宝書類等一切無御座候

天平九年ゟ慶応四迄 凡千百三拾弐年
焼失
元弘三年ゟ慶応四迄 凡五百三十三年
勅願写  金光明四天
王護国之寺   筆不詳
菊桐御紋
従往古附来候
御朱印 九石八斗余

大獣院様 御朱印 慶安元年
十月廿四日
寺中門前山林竹木諸御免除
常憲院様 御朱印 貞享二年
六月十一日
右同断
有徳院様 御朱印 享保二年
六月十一日
右同断
惇信院様 御朱印 延享四年
八月十一日
右同断
浚明院様 御朱印 宝暦十三年
八月十一日
右同断
文恭院様 御朱印 天明八年
九月十八日
右同断
慎徳院様 御朱印 天保十年
九月十一日
右同断
温恭院様 御朱印 安政二年
九月十一日
右同断
家茂公  御朱印 万延元年
九月十一日
右同断

右御代々様ゟ頂戴罷在候

四 読み方

翻刻ができたら読めているのですが、一応読み方も示しておきますね。

むさしのくにたまぐんいおうざんさいしょういんこくぶんじは、てんぴょうくねん しょうむこうていごちょくがんしょ、ぎょうぎぼさつかいそうのちなり、ほんぞんはやくしにょらい、おうこはしちどうがらんありておおくのちぎょうをたまふよし、しかるをげんこうさんみずのえとりのごがつ、さがみにゅうどうとにったよしさだとぶばいにてかっせんのみぎり、どうとうのこらずしょうしつす、よってれいほうしょるいなどいっさいござそうろう つけたり てんぴょうくねんよりけいおうよんねんまで およそせんひゃくさんじゅうにねん しょうしつ げんこうさんねんよりけいおうよねんまで およそごひゃくさんじゅうさんねん ちょくがんうつし  こんこうみょうしてん のうごこくのてら   ふでふしょう きくきりごもん おうこよりつけきたり そうろう ごしゅいん きゅうこくはっとあまり だいゆういんさま こしゅいん けいあんがんねんじゅうがつにじゅうよっか じちゅうもんぜんさんりんちくぼくしょやくごめんじょ じょうけんいんさま ごしゅいん じょうきょうにねんろくがつじゅういちにち みぎどうだん ゆうとくいんさま ごしゅいん きょうほうにねんろくがつじゅういちにち みぎどうだん じゅんしんいんさま ごしゅいん えんきょうよねんはちがつじゅういちにち みぎどうだん しゅんめいさま ごしゅいん ほうれきじゅうさんねんはちがつじゅういちにち みぎどうだん ぶんきょういんさま ごしゅいん てんめいはちねんくがつじゅうはちにち みぎどうだん しんとくういんさま ごしゅいん てんぽうじゅうねんくがつじゅういちにち みぎどうだん おんきょういんさま ごしゅいん あんせいにねんくがつじゅういちにち みぎどうだん いえもちこう ごしゅいん まんえんがんねんくがつじゅういちにち みぎどうだん みぎおんだいだいさまよりちょうだいまかりありそうろう

五 語句

次に内容を理解するために、登場した語句の説明を書いておきます。

・聖武皇帝‥聖武天皇(701~756)。在位(724~749)。
・勅願所‥天皇の命令によって、鎮護国家などを祈願した寺院。
・行基菩薩‥行基(668~749)。奈良時代の僧。
・開創‥新たに事業を始めること。ここでは新たに寺院を開くこと。
・往古‥過ぎ去った昔。いにしえ。往時。
・七堂之伽藍‥仏教寺院の主要な七つの建物。南都六宗では、金堂、講堂、塔、食堂、鐘楼、経蔵、僧房の七つをいう。
・知行‥土地を領有し支配すること。またその土地。
・然るを‥ところが。しかし。しかるに。
・相模入道‥北条高時(1303~1333)。鎌倉幕府第十四代執権。
・新田義貞‥鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。生没年(1301~1338)。元弘三年(1333)、挙兵し鎌倉幕府を滅亡へ追い込んだ。
・分倍(分倍河原)‥元弘三年、新田義貞と鎌倉幕府との間で、分倍(現在の府中市)・関戸河原(現在の多摩市)において合戦があった。
・砌‥その時。そのおり。
・霊宝‥霊妙の宝。社寺などの秘宝。

六 補足

この史料で注目されることを三点書いておきます。ここまで考察できて読めたことになりますよ。参考にして下さい。

(1)朱印状の発給年月日について

今回、解読した「国分寺由緒書上」に記載された朱印状の発給年月日には一部誤りがあります。
以下に正しい発給年月日を示しておきます。ちなみに括弧内は将軍の亡くなった後のお名前(院号)です。

家光(大獣院) 慶安元年 十月二十四日
綱吉(常憲院) 貞享二年 六月十一日
吉宗(有徳院) 享保二年 六月十一日
家重(惇信院) 延享四年 八月十一日
家治(浚明院) 宝暦十二年八月十一日
家斉(文恭院) 天明八年 九月十一日
家慶(慎徳院) 天保十年 九月十一日
家定(温恭院) 安政二年 九月十一日
家茂(昭徳院) 万延元年 九月十一日
※家宜(文昭院)、家継(有章院)、慶喜の朱印状は発給なし。

(2)国分寺の創建について

国分寺建立の詔が出されたは天平十三年(741)であり、通説では、これを機に全国に国分寺と国分尼寺の造営が始まったとされています。
ただし『続日本後紀』天平九年(737)三月条に「国ごとに釈迦仏像一軀・挟侍菩薩二軀を造り、兼ねて大般若経一部を写さしめよ」とあり、これを国分寺創建との関係で論じる説もあるほどです。「国分寺由緒書上」に「天平九年」とあるのは、この『続日本後紀』の記載に踏まえているのであろう。

(3)勅願写について

現在の国分寺薬師堂に掲げられている寺額「金光明四天王護国之寺」は、東大寺西大門の勅額を模したもので、深見玄岱(ふかみげんたい)の筆によるものと伝えられている。深見玄岱(1649~1722)は江戸時代の儒者、書家。先祖は明の福建省出身。薩摩藩医だったが、のちに新井白石の推挙で幕府の儒官となった。

これで古文書が読めました。次はおすすめする辞書や参考図書をご紹介しておきます。

2.辞書や参考図書の紹介

一「くずし字用例辞典」

まず、この一冊とオススメならば、「くずし字用例辞典」です。普通の漢字辞典のように「部首索引」「音訓索引」「起筆順」でも引けます。各漢字の「用例」「用語」が豊富なのでそこから探すのもアリです。

児玉幸多 編 「くずし字用例辞典」普及版 東京堂出版 定価6,300円

くずし字用例辞典

二「音訓引き古文書字典」

五十音(あいうえお順)に漢字が載っているので、『まったく新しい「国語辞典」感覚』で引けます。末尾の索引から探していくのが使い方のようです。付録の「異体字一覧」や「変体仮名一覧」が良いです。他の付録も便利です。

林英夫 監修「音訓引き 古文書字典」 柏書房 定価3,800円+税

音訓引き古文書字典

三「古文書解読事典」

我が大石先生監修の事典です。「くずし字の特徴とくずし方の事例で検索」とあるようにくずし字を読むための様々なアプローチが載っています。「第一部古文書を知ろう」や「第三部文書館へ行こう」「付録」は古文書についての説明が詳しいです。ただ私の持っている本では東京都公文書館の所在地が国分寺市では無く港区でした。最近の版ならば直っているのかな。

大石学 監修「古文書解読事典」 東京堂出版 定価2,800円+税

古文書解読事典

四「史料を読み解く近世の村と町」

国分寺市ふるさと文化財課の高橋喜子さんが推薦していました。五カ所の古文書が細かく解説してあります。参考にその五カ所とは「南信州の村々」「房総の浦と村(岩槻藩領)」「瀬戸内の村と町(萩藩領)」「京都の町々」「江戸の都市社会」です。

森下徹・吉田伸之 編「史料を読み解く 近世の村と町」 山川出版社 定価1,900円+税

資料を読み解く「近世の村と町」

3.おわりに

国分寺市の古農家からは今でも江戸時代や戦前の古文書が出てきます。その史料にはまず、関連文書ごとに番号付けをしてクリーニングをします。翻刻はなかなか難しいですが文法や単語は現代とそう変わりませんし、読む前から内容は予想できるので、漢字さえ解れば内容は分かります。問題は旧字体の漢字を知っている事、くずし字が解る事です。みなさんもくずし字を読んでみましょう。

参考文献

参考文献というか、本ブログの記事は国分寺市市史編さん室で令和8年2月15日に行われた「古文書講座初級編 古文書を読む2江戸時代の国分寺」の内容です。高橋さんありがとうございました。