新年祝うお囃子響く町に正月飾りのミキノクチ

新しい年が幕開けした早朝、軽トラックに乗った福生市長沢町会の子供らが奏でる太鼓と笛、鉦のお囃子に出会った。新風の音色だ。立ち寄った神明社の境内では初詣でをする人々が列をなしていた。例年の光景に出合って安ど感が増した。白富士が浮かび正月にふさわしい。

新年を祝うお囃子が町内を巡った(福生市福生で)

さらに西の第四小方面へ足を延ばした。民家の門前に1人立っていた小学生らしい男児に挨拶された。「明けましておめでとうございます」と。ん? 『この子、知らないが。だが、待てよ』。知らないからといって無視すれば、素直に挨拶している子の心中や、いかに。「おめでとう。今年も元気に過ごすんだよ」と声を交わす。子は「ハイッ! ありがとうございます」と明るく元気な声を返してくれた。子供がくれた清新さは、お年玉になった。

稲荷社に飾ってあったミキノクチ。細渕昌一さんが作ったものだ

福生の無形民俗文化財

近くの稲荷社を参拝した。ここには白い徳利2本を供え、その口に真新しい正月飾りの縁起物、ミキノクチ(御神酒の口)が差してあった。いま福生市内でミキノクチの作り手が1人となった細渕昌一さん(75)の手になるものだ。福生市では御神酒の口(竹細工)を無形民俗文化財に登録している。

新年に向けて手を休めない細渕昌一さん(昨年暮れ写す)

ミキノクチ作って半世紀

細渕家でミキノクチを作り始めたのは細渕さんの祖父・勘次郎さん。昭和60年(1985)まで作り続けた。細渕さんが手がけ始めたのは27歳。以来48年になる。農閑期の余業だった。年末や年始に福生はじめ、周辺の市に出したり、小売店に卸したりしたが、いまは顧客の注文に応じている。

ミキノクチの作り手は東北から九州まで全国にいて、使う材質は、竹、紙、経木、自然木など。紙は全国で見られるが、竹製のものは長野、神奈川、新潟、東京西部に分布しているという。東京西部とは青梅市に2、3人、あきる野市、武蔵村山市に1人ずついると細渕さんは言う。素材の違いに加えて、その造形のバリエーションも豊富だ。家の中の神棚や稲荷社、大黒様に供えた徳利の口に差す。

作業台の前を埋める道具類や竹がびっしり

3、4年の真竹を造形に

細渕さんが作るものは竹製だ。若竹が生長し、親竹も青々と葉が茂る「竹の春」の秋にあきる野市や日の出町の竹林で伐った真竹を仕入れる。「若竹は豆腐みたいでダメ。5年ものは硬過ぎてダメ。3、4年ものが使いやすい」と細渕さん。これを2ヶ月ほど自然乾燥させる。11月の声を聞くとミキノクチ作りに取り掛かる。トップシーズンの11月中旬から1ヶ月間は、朝4時起きだ。

自作の改良道具に囲まれて

暮れに訪ねた細渕さんの仕事場は、こじんまりしていた。作業台前の三方に10本くらいある小刀、竹割ナタ、ノコギリ、切り出し、ハナバサミ、木槌、8種類もあるスケール、すり減った30年もののヤスリといった道具は手に取れる範囲に整然と置かれていた。勘次郎さんが使っていた道具もあり、どれも手になじみ、自分で改良したものもある。

製品の良し悪しを決める真竹は、濃緑に輝き、美しさにあふれていた。ミキノクチに使えるのは竹の円周が6~8寸(18~24㎝)のもの。すでに切ってある竹の長さは7~8寸という。数十本も飾ってあるかのように整理整頓されていた。

この竹の下部(節)1~1.8寸をアシといわれる支点部分を残して表皮をむく。この際に細渕さんは小刀を竹の上部から下部へ一気に引いて皮をむく。一気に引くのはキズに見える段差がつかないからだ。この後、1本の竹から14~15本とるように割る。しかもミキノクチの種類によって割る幅を変えるのだ。

14種をあでやかに編み出す

竹を切り出しでこすって滑らかにするなど細かな作業を繰り返して14種類のミキノクチを作る。それぞれの作業に気持ちを落ち着かせて、職人の勘を研ぎ澄ませて取り組む。設計図はない。化粧紙の飾りを作るにも麻ひもを体に巻いて口も使って縛るそうだ。見栄えがするように余計なものを切り落とすハナバサミを使う工程になれば完成間近だ。

ミキノクチの基本形の「ワ」(左)と「ビン」

基本形の「タマ」

「ビン」と「フク」を組み合わせた「ビンデノフク」

「タカラブネナナツダマ」(基本形など4点の写真はミキノクチ展で)

ミキノクチの基本の作りは、削いだ竹を重ねて鉢巻のようにした「タマ」や「ビン」「ワ」の3つを組み合わせる。タマの数を増やした「宝船」(三つ玉、七つ玉)や「茗荷」「茗荷崩し」「橘」「立銀杏」「福寿草」「万年青(おもと)」「輪掛け福」(一つ玉、三つ玉)などそれぞれに化粧紙を施して縁起の良いものをかたどっている。

細渕さんが作ったたくさんの宝船や茗荷など。箱に入れて保管して顧客に渡すばかりだった(昨年暮れ写す)

人と神の出会いの演出家

細渕さんは、住まいの奥から出番を待つ箱に入ったミキノクチをどっさり持ち出してきた。どれも竹の栄養管が浮き出ていて繊細さが際立つ。ミキノクチは江戸時代に信仰民具として生まれた。今日では民芸品や迎春気分が味わえるお飾りとして人気があるそうだが、作り手の思いは「これだけでは生計が立ちません。趣味というか、ボランティアみたいなものですよ」と細渕さんは苦笑いする。伝統文化と技術を継承していることなどを口にしない。胸中の思いはきっと、神のお手伝いを買って出ているのだろう。竹がシンプルな故にますます繊細な造形品に見えた。

穏やかに過ごしていた元日が暗転したのは午後4時10分に発災した最大震度7という激甚の能登半島地震と、その影響で発生した火災だった。さらに追い打ちをかけるように翌日午後5時47分ごろ、羽田空港で飛行機同士が追突。燃え盛る機体のテレビ映像に目が釘付けになった。この一年こそ「明日が楽しみ」といえるように祈るばかりだ。

※福生市役所(青梅線福生駅西口から徒歩5分ほど)情報スペースで2月3日まで(8時半~17時15分。水曜のみ20時まで)市に寄贈された作品を集めた「ミキノクチ展」が開かれている。