武蔵野台地の窪地(凹地)

凹地(窪地)の地図記号

地図記号の中に次のような矢印で示される記号があります。(円弧状の線は等高線)

これは国土地理院の地図記号において「凹地(窪地)」を表す記号として使われており、地面の窪んだ部分を示しています。


例えば等高線が次のように描かれている時に、普通は左のように地面の盛り上がった山をイメージするのですが、地面が右のように窪んでいる場合にも同じ等高線の形状となりますので、そこが窪んでいることを示すために矢印を描きこんでいるのです。

地理院地図上でこのような記号を探してみると、現在の多摩エリアでは見付けることができませんでした。
それが、戦前の地形図では多摩の各地に見付けることができます
特に、武蔵野台地上の平坦なエリアに数多く見出せます。
武蔵野台地は基本的には平坦なのですが、地下を流れる水流と構成する地層の特性によって、過去数万年の間に、陥没が起こって窪みが形成されてきたものでしょう。
なお、その土地の性質として水の透過性が高いということも重要な条件になります。透水性がないとそこは水を蓄えて池になってしまうでしょうし、更には水が溢れて流れ出すと川ができて浸食作用が始まって窪地とは全く違った地形ができあがることになります。
とすると礫層で構成されていて透水性の高い武蔵野台地上は、凹地ができやすい場所であったと言えるでしょう。

さて、戦前の土地はまだ大地の大規模な改変を行う前だったこともあり、この窪地が随所に残っていたので地図上に表示されていたのでしょうが、戦後になって土地改造(「列島改造」という言葉もありました。)が進められて、窪地が埋められたり、そこに何か大きな施設が作られたりして、今では地図上に表示するにはそぐわなくなってきたために、多摩地域の現在の地形図には見当たらなくなったものと思われます。

凹地の具体例を見る

戦前の地形図で凹地として表示されている土地について、その過去、現在の姿を、武蔵野台地の一角にある武蔵野市周辺において見ていきたいと思います。

次の地図は明治39年の武蔵野市の一部を示した地図ですが、これを見ると赤丸で囲ったところに凹地の記号があります。

1/20,000「田無」明治39年(地図をクリックすると拡大します。以下同様。)

これらの土地の利用状態は地図上では雑木林や畑になっています。ただ、畑として利用するには窪地は不都合なところもあるわけで、雑木林として放置しているところが多いように見受けられます。
さて、同じ場所を、土地の凹凸を陰影で表した現在の地図(地理院地図にて作成)で見ると次のようになっています。

地理院地図において作成した同じエリアの現在の「凹凸陰影図」

C地点を除くA、B、D地点は現在も窪んでいる状態がうかがえます。

それでは、現地へ行って現状を見ていきましょう。

A地点の現状

写真は、「凹凸陰影図」の赤い矢印の向きで撮影しています。

A地点の現在の状況

工事用のカラーコーンの様子とかその脇のコンクリートの基礎部分を見ると、奥へ向かって道が下がっていることがわかります。
中央奥に立っている電柱付近が一番低くなっており、その奥へ行くと徐々に高くなっています。
実はこの付近は大雨が降った時に水の出やすい場所として知られており、奥の電柱脇には次のようなパネルが設置されています。

A地点に設置された雨水貯留施設の説明板(クリックで拡大)

地下に雨水貯留施設が設置されていて、大雨の時にこの低地に流れ込んでくる雨水を一時的に溜め込む仕組みになっていて、防災上の備えを行っています。

B地点の現状

B地点の現在の状況

南北を走る道に沿って住宅が立ち並んでいます。道は奥へ向かって一旦下がってまた上っていて中間部が低地になっていることが判ります。

最低部にあった施設
「大野田ポンプ所」と書いてあります

最低部へ行きますと、そこには大野田(おおのでん)ポンプ所という施設がありました。
この場所においても、やはり大雨で雨水が大量にこの低地に流れ込んできたときの対策として、雨水を汲みだすための排水ポンプが設置されています。

D地点の現状

D地点は、現在は武蔵野大学のグランドとして利用されています。よく見ると、グランドのフィールド面は周辺より1m程低くなっています。

凹地部分は武蔵野大学のグランドとして利用されている
グランド面に立つには1m程階段を下りる必要のある窪地状態

武蔵野大学は以前は武蔵野女子学院だったのですが、武蔵野女子学院の学校史に記載されている学校の設立当時の住所は「北多摩郡上保谷新田字シラジクボ通205番地」となっており、この凹地は「シラジ窪」と呼ばれていたことがわかります。「シラジ」とはすり鉢のことを言うようです。
現在はグランドとして使われているのですが、グランドという用途であれば、大雨などで水が出ても大きな被害が出ることは少なく、また雨水の貯留機能を持たせることができて、有効な用途といえます。

C地点の現状

C地点は都立武蔵野中央公園になっている

ここは、現在都立武蔵野中央公園になっているのですが、写真で分かるように広々とした公園で窪地があるようには見えません。上の凹凸陰影図で見ても窪地を認識するのは困難です。
実は、ここは窪地が埋められてしまったと思われます。
というのは、この場所は昭和16年に軍用機のエンジンを製作する中島飛行機多摩製作所の広大な工場が建てられましたので、その際に工場の基礎とするには不都合な窪地を埋め立てたものでしょう。

新たにできた凹地

次に明治39年の地図には凹地として示されていなかったのですが、現在の「凹凸陰影図」で見たときに窪地状になっている地点があります。E地点です。

凹凸陰影図に現れた窪地

上の地図の矢印方向に向かって撮った写真を見ると、自転車や左脇の土手の状態からここが斜面になって窪んでいることがわかります。

自転車は坂を下っている

明治39年の地形図には窪地の表示はありません。

1/20,000「田無」明治39年

ということは、明治39年以降に地面が低下したということになります。
それはまさにそのような出来事があったのです。
昭和26年にここに野球場(グリーンパークスタジアム)が作られたのです。そしてその野球場は、終戦直後の物資の不十分な時代に建設されましたので、鉄骨を組んで観客スタンドを造ることをしないで、穴を掘ってプレー・グラウンドを造り、その土を周辺に盛り上げて観客席を作るといった構造にしたのです。
今はその野球場はなくなって、跡地に団地が建てられたのですが、野球場の低く掘られた部分がそのまま残ったという歴史を持っている土地です。

参考までに、昭和31年に撮られた野球場の航空写真をご覧ください。特徴的な形状をしていますので野球場はすぐにわかります。
この写真には、C地点において埋められて均された窪地の上に建てられた中島飛行機の工場が、戦後には米軍の宿舎(白く写っている6棟の大きな建物群)としてして使われていた姿も写っています。

昭和31年撮影(「国土地理院WEBサイト・空中写真サービス」から取得)

ハザードマップ

ところで、武蔵野市はハザードマップを作って各家庭に配布しているのですが、それを見ると、浸水の程度が大きい地域として想定される場所(青色部分、水深1~2m)には、上に示したA、B、Eが入っています。Cは埋められたものの、黄色で表示(水深0.2~0.5m)されていて被害想定は小さくなってもやはり水が出やすいことを示しています。
ハザードマップにおいては、普通、川の周辺や海岸付近にハザード区域が示されるのですが、周辺に川や海のない武蔵野台地上でも窪地を原因とするハザードのあることがよく分かります。
※Dは西東京市ですので、図示されていません。

武蔵野市作成のハザードマップ(部分)

このハザードマップによる被害想定を受けて、A、B両地点には、雨水貯留施設あるいは排水ポンプを設置して災害に備えているという行政の対応がわかりますね。