八王子市明神町(みょうじんちょう)の「子安神社(こやすじんじゃ)」に、コロナ禍のため2年振りとなる初詣に行きました。今年の無事と、早く普通の生活に戻れることを祈り、今年も破魔矢を頂きました。
子安神社
八王子市最古の神社といわれる「子安神社」は、天平宝字3年(759)に淳仁天皇の皇后の安産祈願のために創建されたと伝えられています。それ以降、約1260年の長きにわたり安産の神様として信仰を集めています。御祭神は「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」で、神話では「自ら火を放った産屋で無事に出産した神様」として知られています。
またこの神社は、武将からの崇敬も厚く源義家が、奥州下向の際に先勝を祈念して欅18本を寄進し、これを船形に植樹したということから「舩森」という名が地名として残り、子安神社の隣の公園は「舩森公園」と呼ばれています。
さらに徳川時代には、家光以降代々の将軍から朱印地6石の寄進を受けていました。このことから徳川家の家紋・三つ葉葵が「子安神社」の神紋となっています。
境内には「子安神社御社殿」の他「金刀比羅神社」等多くの神社が鎮座しています。「金刀比羅神社」は、「こんぴら様」として親しまれている商売繫盛、開運厄除けの神様です。1月9日、10日には200年以上の歴史を持つという「初こんぴら祭」が行われています。
明神町のこと
明神町という町名が誕生したのは大正元年(1912)10月1日のことです。古くは子安村とよばれていましたが、明治15年に元子安(もとこやす)町となり、さらには明神町へという変遷がありました。
明治から大正の頃は至るところに泉の湧き出る静かな田園で、水車が回る水のまちでは撚糸工場が生まれ、織染学校、繊維工業試験場が出来、後に織物の町八王子が誕生することになりました。一方、明治22年(1889)甲武鉄道の新宿―八王子間が開通し元子安町に八王子停車場が出来ると、家が建ち始め人出も増えるようになりました。しかし明治30年(1897)大火があり、その後の八王子市の新都市計画によりこの停車場は明治34年中央線八王子停車場の予定された子安(現、旭町)に移転することになりました。現在は明神町3丁目・子安神社に近い所に京王八王子駅があり、明神町は八王子市の中心街として賑わっています。
子安神社の湧水
子安神社の境内には、明神町に水の恵みをもたらした「大明神の池」と呼ばれる湧水があります。
子安神社の創建を命じられ、その場所を探していた橘右京少輔(たちばなうきょうしょうゆう)もこの湧水の美しさに魅了され、「この地こそ神社を創建するのに相応しい」とこの場所に創建することを決めたということです。
八王子市内には多くの湧水が点在し、中には東京の名湧水57選に選ばれた五つの湧水・六本木公園、片倉城跡公園、叶谷榎池、子安神社(中野山王)、小宮公園があります。
参考:子安神社由緒書き
『八王子 明神町わが街』 清水正之