東京都庁へ行くのに他県を通らないでは行けない場所

多摩地域に住んでいる人が、新宿西口にある東京都庁へ行こうとしたときに、東京都内だけを通って行こうと思ってもそれが不可能で、必ず隣県を通ることになってしまう、そんな場所が多摩地域には何か所かあります。


なお、ここでは、自動車や自転車で移動するだけでなく、狭い空き地やあぜ道さらには畑の中なども通れる徒歩という手段も含みます。
更にもう一つ、川があった場合には、対岸へ渡るには川の中を歩いたり船を使うのでなく、必ず橋を使うという前提も置きます。
そして、その判定は、GoogleMap上に表示される行政界および上空からの写真によって行うこととします。


このような前提を置いたとき、多摩地域ではどこがそんな場所になるでしょうか?
順に見ていきましょう。

飛地

最初に思い浮かぶケースは他県にポツンと離れて存在する飛地でしょう。
そんな場所が多摩地域には3か所あります。

①川崎市内にある稲城市の飛地

多摩地域で一番有名な飛地は稲城市の飛地でしょう。

Google Mapの航空写真に市境と市名を記入 ピンクのラインは市の境界(以降の各図も同じ)

※国土地理院の地形図では行政界がいま一つはっきりと表示されていませんので、ここでは地形図を使用しないで行政界が示されているGoogle Mapを使用します。


この場所は、現在はそのほとんどがよみうりランドの遊園地の一角にあるHANA・BIYORIという施設の駐車場になっています。隣には読売ジャイアンツ球場があります。
昔、現在のようになる前にこの飛地には読売巨人軍のロッカールームがあって、そこで盗難事件が発生した時、川崎警察署員ではなく、稲城市を所管する多摩中央警察署員がそこで捜査を行ったという、当然ではあるのですが、珍しい話が残っています。
現在、この飛地には人が住んでいる様子はないので、東京都庁へ行くのに他県を通らないでは行けないという貴重な体験のできる人はここにはいないことになりますね。

稲城市の飛地のほとんどを占めるHANA・BIYORIの駐車場
HANA・BIYORIは「よみうりランド」の中にあります

②神奈川県相模原市内にある町田市の飛地(2ヶ所)
稲城市の飛地以外にも神奈川県相模原市内に町田市小山町の飛地が2ヶ所あります。
次がそれらの場所です。

京王相模原線の脇にある町田市の飛地
境川の北側に相模原市が食い込んでおり、その中にある町田市の飛地

この2例とも飛地は大変狭く、写真で見てもそこには住宅はなさそうです。
ここにも都庁へ出掛ける人は住んでいないと思われます。

■もう少しで飛地になるところだった場所
次に示すのはギリギリで飛地にならなかった場所になります。
その場所は西多摩郡瑞穂町北部の二本木地区の一角です。

住宅地図に境界を記入。人が歩ける余地を確保して離れた土地と繋がっている

この辺りは昭和33年(1958)に瑞穂町が東京都と埼玉県に分割されてしまった地域(次のブログ参照⇒村分割の歴史を見てきた一等三角点「高根」)なのですが、拡大して細部を見ると何か特殊な事情があって、そして行政の配慮もあって、辛うじて瑞穂町本体と陸続きとなった住宅があります。ここの住人は埼玉県を通らないで東京都庁へ何とか出掛けることができます。

川によって分断された所

次に、飛地に似ているのですが、川で分断されて川向うに取り残されてしまった場所で、しかもその一角に橋がないという場合も他県を必ず通ることになります。
模式図を描くと次のようになります。

A市のこの家の住人は、対岸のA市域へ行くのに必ずB市に足を踏み入れてしまう

①柳瀬川で切り離された清瀬市の一部
清瀬市の北辺を流れる柳瀬川流域には、旧河道に沿って清瀬市と埼玉県所沢市との境界が設定された関係で、川向うに取り残された清瀬市の民家があります。
下の写真で柳瀬川が直線状に流れているところを見ると、河川改修で流路を直線状に付け替えた結果、川の蛇行で膨らんでいた部分が所沢市側につながってしまったものと思われます。

赤矢印は次の写真を撮った方向
上の赤矢印の方向から眺めている。中央の2棟が清瀬市の住宅

上空からの写真の下方に写っている対岸へ渡る橋(清瀬橋)は埼玉県所沢市から清瀬市に延びているので、都庁へ行くのに埼玉県を通らざるをえません。

②柳瀬川で切り離された東村山市の一部
上で述べた例と同様に、柳瀬川によって分離された場所が東村山市にも1か所あります。

東村山市の3戸の住宅が柳瀬川で切り離されている

市境のラインが少しばかり複雑な形となっていますが、ここにおいても柳瀬川が直線状になっていますので、河川の付け替えがあって、所沢市に飲み込まれてしまったという経緯があったことに間違いないでしょう。

③境川で切り離された町田市の一部

町田市と神奈川県相模原市との境界を流れる境川は大変複雑な市境を形成しています。その市境を眼で追っていくと、境川の向うに取り残された町田市域を数多く見付けることができます。

そのうちの一つ、町田市小山町の一角を見てみます。その写真を下に示していますが、ここは近くに橋がありません。
境川の南側に住む町田市民が川の北側に行くには、右か左へ移動して橋を渡らなければなりません。したがって東京都庁へ行くのに神奈川県を必ず通ることになります。
このような状態の場所は境川流域になんと10ヶ所ありました。
(ただし、今回の確認では、対岸の川の土手だけが町田市というようなものはカウントしていません。)

なお、次に示した場所は同様な形状になっている町田市相原町の一部ですが、こちらは対岸へ行くのに町田市内に架かる橋があってそこを通ることができるので(黄色の矢印のように)、神奈川県に足を踏み入れないで移動できますね。

境川と記入した南側部分が町田市相原町本体から分離しているが、黄色の矢印のように進めば相原町本体に入れる

■公道を通ることはできないが、公園内を通り抜けて移動できる場所
これも町田市内ですが、市内の能ヶ谷町にはぐるりを川崎市に取り囲まれた場所があります。ただ1ヶ所南西側には能ヶ谷町平和台第2児童公園があって、そこを歩いて通れば町田市内だけで移動することができます。しかし、車を使うとなると公園内は通れませんので、川崎市を通ることになってしまいます。
町田市は境川流域だけでなく、丘陵部にも複雑に入り組んだ場所が多いのに気づかされます。

住宅の立ち並ぶ北東部分に接する道路は全て川崎市。黄色矢印のように裏手の公園を抜ければ町田市へ繋がる

■町田市と相模原市の境界の変更対応
町田市と相模原市は境川をはさんで複雑な境界を形成していますので、そこに生活する人々の利便性を考えて、ときどき町田市と相模原市との間で「領地換え」を行っています。
次に示すのは、「広報まちだ」2013年12月1日号に記載された境界変更の記事です。

この記事からでも境川を挟んだ市境の複雑な状況がわかる

都内を通って都庁へ行けない場所は15ヶ所

以上のように、私が地図の上で確認した限りでは、多摩地域から都庁へ行くのに他県を通らないでは行けない場所は、飛地の3ヶ所、柳瀬川で切り離された清瀬市と東村山市の2ヶ所、それに境川で切り離された町田市の10ヶ所の計15ヶ所ということになりました。

東京都庁へ行くのに都内だけを通って行けない場所は15ヶ所