元治元年(1864)10月の近藤勇による隊士募集に応じたが、武相甲三ヶ国の地理並びに人気の探索を命じられた。それで身分を隠して探索活動を行い、その際には博徒に近づくなどもした。
京都での活動に参加したのは、慶応3年(1867)10月に土方歳三が江戸で隊士を募集した時で、この時期から隊士名簿に名前が記録されている。以後、箱館戦争まで土方歳三と行動を共にしている。
箱館で降伏後は、収容中に『中島登覚え書』、『戦友姿絵』、『箱館海戦図』を記している。
「戦友姿絵」、「箱館海戦図」は共に「新選組写真集」より引用。
明治3年(1870)4月に弁天台場の降伏人たちの謹慎が解かれ、静岡藩に引き渡される。間もなく謹慎が解かれた中島は浜松で旧知の大島という男と出会い、しばらくは大島家に滞在しながら、周辺での用心棒のようなことをしていた。
明治12年(1879)2月に居を構え。八王子から長男を呼び寄せ共に暮らす。妻は中島が探索活動中か新選組入隊後かに、子供を中島家に預け再婚してしまったという。
植木が趣味だった中島は、葉蘭(はらん)作りに興味を持ち、14年(1881)ころには「金玉簾」(きんぎょくれん)と名付けられた名品をものにし、その子株の売買で大きな利益を得て再婚もした。明治17年(1884)には浜松で最初の鉄砲火薬売買人の免許を獲得し、鉄砲店を営んでいた。
しかし19年(1886)に妻を34歳の若さで失い、自身も翌年に50年の生涯を閉じた。
中島は多摩には戻らず、明治を浜松で過ごした。その鉄砲店は、曾孫の時代まで続いたという。
2022年1月20日~27日まで新国立劇場小劇場で上演されていた「日本劇団協議会・日本の演劇人を育てるプロジェクト」による『中島鉄砲火薬店』は、まさにそんな浜松時代の中島登を描いている。2月にオンライン配信があったので、チケットを求めて視聴した。
物語は息子の登一郎(とういちろう)が、八王子から浜松にやって来たところから、鉄砲店を始めるところまでが描かれている。劇中では、新選組時代に殺めた者達、探索活動を通じて新選組に勧誘した為に命を落とした市井の若者、戦いで命を落とした仲間、そして生き残った自分という中島の心の葛藤が描かれていて引き込まれた。
新選組隊士の中でも明治、大正、昭和と生きた隊士が、手記や聞き書きを残している。当時の状況や彼らにとって新選組とは何であったのかを探る貴重な資料となっている。
<参考資料>
- 新選組大人名事典 新人物往来社編 新人物往来社, 2001年
- 新選組写真集 新人物往来社編 新人物往来社 1974年
- 新選組2245日の軌跡 伊東成郎 新潮社 2020年