時代が進むにつれその内容と件数が大きく変化している地図記号は何?

今回は地図記号の話です。
次の地図記号について見ていきます。

神社やお寺などの地図記号と違ってあまり見かけることもなく、ほとんど知られていない記号かと思います。

この地図記号の分布

確かに神社・仏閣のようには多く分布しておらず、下の図に示すように多摩地域では142ヶ所に分布しているに過ぎません。(まだ数え切れていませんが、多摩には神社の記号は700ヶ所はあると思います。)

多摩地域をカバーしている2.5万分の1地形図20枚(発行年は2001年~2009年のもの)から採取した上記地図記号の分布図(142か所)

※注意! 国土地理院がネットで公開している「地理院地図」においては、この記号の適用がごく限定的になっており、こんなにたくさん分布していません。この元データは、あくまでも「紙」で発行された「2.5万分の1の地形図」から採取したものです。

次に、Googleマップ(3D画像)やGoogle Earthを使って、上の142ヶ所が現在はどうなっているかその現状を写真画像によって確認した結果を表示すると次のようになります。

Googleマップ(3D)やGoogle Earthにより現在の状態を確認して、まだ存在している地点の分布図(87か所)

87ヶ所に減りました。即ち55ヶ所(38.7%)が無くなっていました。
2001年~2009年には存在していたものが十数年経つ間に3分の1以上消滅してしまったわけです。

この地図記号は…

さてこの記号の表しているモノは何か? …… 
それは、「高塔」です。
高塔、高い塔、と言われてもちょっと漠然としているかと思います。

武蔵野市から西方を望む

現在においては、上の写真のように、目を上げれば高い塔状の構築物はたくさん眼に入ってきます。多摩地域でわずか87か所というはずはありません。
その理由は、これらの高い構築物の全てが地形図上に「高塔」として記載されているわけではないからです。

国土地理院の地図記号の説明では次のように書かれています。

高塔の記号は、次の中から主なものを表示しています。
①五重塔、展望台など
②送電線の鉄塔(下の部分の幅が20m以上のもの)
③目標物になるようなものが少ないところの火の見櫓や給水塔
④高くそびえている工作物などで、とくに記号を決めていないもの

この記号は、4本の脚がある東京タワーなどを上から見た形を記号にしました。

国土地理院による地図記号の説明文

ここで注意が必要なのは、目につく高い塔でも、次のものは地図記載の対象にはなっていないということです。

■下の部分の幅が20m未満の送電線の鉄塔
 ほとんどの送電線の鉄塔はこれに該当するので地図上には表示されません。

■電波塔
 次の記号で表示されることになっています。

■高い建物
 都心に多い高層ビルや多摩地域では主要駅近くに多いタワーマンションなど。

■煙突(これはもともと塔とは言いませんが)
 次の記号で表示されることになっています。

さらに、もう一つ注意したいことが、該当する全てのものを表示しているわけではないということです。記号の説明文でも、「主なものを表示している」と記しています。

さて、時代の流れとしては上の写真に写っているように、高い塔(高い構造物)は減るよりむしろ増える傾向にあると思うのですが、地図記号で表示される「高塔」の範囲でみると、冒頭の分布図でみたように減少する傾向にあるのです。

次に述べるように、地図上の「高塔」が減少している理由は明らかです。

「高塔」が減った理由

最初に示した142ヶ所の「高塔」の内訳を見ると、104ヶ所(73.2%)が「給水塔」になります。約3/4を給水塔が占めています。
現在存在している87ヶ所の「高塔」の内訳では、そのうちの55ヶ所(63.2%)が給水塔です。
したがって給水塔は「高塔」のかなりの部分を占めているのですが、この十数年の間に104ヶ所から55ヶ所へと49ヶ所がなくなりました。率にすると47.1%と約半分が消滅したことになります。

三鷹市上連雀アパートの給水塔(この給水塔は地形図に表示されていません)

給水塔は上の写真のような形状をしたものです。
印象に残る構築物ですから、「ああ、あれね。」と皆さん思われることでしょう。
給水塔は、昭和40年代以降、団地が各地に造成されるとそれとセットで建てられました。ポンプでなく水位による圧力差を使って各戸に給水する施設であったため、建てられる団地よりも背の高い給水塔が必要で、その結果として地図上にはランドマークになる「高塔」として表示されることになりました。

それが時代が移り変わる中で、給水の方式が水位差を使うのでなく、動力を使った各戸への送水技術が進み、加えて老朽化による団地の建て替えにより、上の分布図のように49ヶ所の給水塔が次々と消えてきた、ということなのです。

多摩にある「高塔」を見ていきましょう

それでは以下において、多摩地域の地形図に表示されていて、かつ現存する87ヶ所の「高塔」について、様々な目的・用途で作られた多様な形状の高塔を見ていきたいと思います。
(上記の地図記号の説明の順に見ていきます。87ヶ所全てではなく、主だったものに絞り込んでいます。)

■五重塔
五重塔は明治時代に地形図を作り始めた時、最初に「高塔」として扱われたものと思います。それ以外に高塔と呼べるものはほとんどなかったでしょうから。
さて、多摩にある高塔として現在表示されている五重塔は、
・高幡不動の五重塔(日野市高幡)
・雲龍寺の五重塔(八王子市山田町)
この2件だけです。
○高幡不動五重塔

1/25,000地形図「武蔵府中」(部分) 2008.6.1発行

昭和55年(1980)に建立された高さ40mの塔。優美なフォルムで境内を華やかにし、かつ境内に調和と安定感を与えています。

○雲龍寺五重塔

1/25,000地形図「八王子」(部分) 2007.8.1発行

戦後再興された寺院の塔。この塔を高尾山から遠望すると、八王子市街の南方に広がる小比企丘陵の建築物群の中で、ひと際優雅なたたずまいを見せて立っています。

■展望台
山とか小高い丘の上には展望台と称する場所はたくさんありますが、「高塔」ですから何らかの高い構築物がないとだめなんでしょうね。
多摩で「高塔」表示されている展望台は、
・高尾山の展望台
・稲城市向陽台のファインタワー(城山公園内)
この2件だけです。

○高尾山展望台(今は「ビアマウント」として営業している建物)

1/25,000地形図「八王子」(部分) 2007.8.1発行

写真は高尾山の麓を流れる案内川にかかる高尾橋の東方から見上げた展望台です。このたたずまいは塔というより建物ですね。
右の縦に暗くなっている部分は、高尾山ケーブルカー(高尾登山電鉄)の軌道です。

○稲城市向陽台のファインタワー

1/25,000地形図「武蔵府中」(部分) 2008.6.1発行

城山と言われる山の南尾根先端部にある展望台です。展望台といっても高い樹木に囲まれて視界がかなり遮られています。しかも昇れるのは期間限定になっておりいつでも昇れるわけではありません。(私は昇れませんでした)

■送電線の鉄塔(下の部分の幅が20m以上のもの)
送電線のほとんどの鉄塔は上に書いたように記載の対象外になっていて、多摩地域で表示されているのは、私の数えた限りでは数件に過ぎませんでした。
下に示した写真はそのうちの2件です。

○東久留米市南沢2丁目の送電線鉄塔

1/25,000地形図「吉祥寺」(部分) 2002.9.1発行

この送電線の鉄塔は下部の幅がどうみても20mもないのに記載されています。
見て分かるように、送電線の端部の鉄塔だからなのでしょうか?

○府中市小柳町5丁目の送電線鉄塔

1/25,000地形図「武蔵府中」(部分) 2008.6.1発行

地形図には左側の送電線鉄塔が記載されており、右奥の鉄塔は記載されていません。奥の鉄塔の方がむしろ背が高いのですが。
地図記載のこの送電線鉄塔も送電線の端部に位置していますね。
後ろの白い建物は、東京電力の変電施設になります。

■火の見櫓
火の見櫓は絶滅危惧種的な存在ですが、地形図に記載された火の見櫓は多摩地区に1件だけありました。(実際は他にもありますが、何らかの基準でふるい落とされて地形図上には記載されていません。)
昔は「高塔」のかなりの割合を火の見櫓が占めていたのではないかと思われます。

○東大和市高木2丁目の火の見櫓

狭山丘陵の南端部で集落のやや高みにある火の見櫓
1/25,000地形図「所沢」(部分) 2006.1.1発行

■給水塔
上で述べたように、団地があれば給水塔あり、といった風景が目に浮かぶぐらいですので、戦後になってニュータウン建設がラッシュした多摩地域には数多くの給水塔が立っていました。今はずいぶん減ってしまいましたが、それでも「高塔」表示されているものは55件もあります。
なお、東京都あるいは各市の水道局が管理する給水塔(配水塔)でランドマークになるようなものも「高塔」表示されています。

○調布市染地3丁目、多摩川住宅

給水塔にはいろいろな形状をしたものがあり、見ていて楽しい
1/25,000地形図「溝口」(部分)2009.7.1発行
多摩地域において「高塔」記号の密集度の高いエリアである調布市・狛江市にまたがる団地を、Google Earthにより眺めた画像。矢印が給水塔で地図の★地点上空から北を見ている。(上の写真は左から二つ目の給水塔)

○武蔵野市水道局配水塔(武蔵野市吉祥寺北町)

1/25,000地形図「吉祥寺」(部分) 2002.9.1発行

武蔵野市は地下水を汲み上げて水道水に供していますが、汲み上げた水を浄水してこの配水塔に貯水しています。主に災害時の備えとして水を蓄えています。(通常はここを通さないで配水している。)

■高くそびえている工作物で特に記号を定めていないもの

多摩地域にはいろいろな目的を持って建てられた興味深い「高く聳える工作物」が数多くあります。以下でそれらを眺めていきましょう。

○スカイタワー西東京(西東京市芝久保町)

1/25,000地形図「吉祥寺」(部分) 2002.9.1発行

高さ195mの多目的電波塔。周辺に高いビルがない武蔵野台地上に聳え立っており、翌日の天気をライトアップする照明の色で知らせてくれることで親しまれています。展望台はありません。
電波塔ですから本来なら「電波塔」の地図記号で示すところなのですが、特別な存在感からか「高塔」として記載されています。地図には「スカイタワー」とその塔の名称まで書き込まれています。
スカイタワーの右下に表示されている「高塔」は、東京都水道局の給水塔です。

○東京競馬場監視塔(10基)(府中市日吉町)

1/25,000地形図「武蔵府中」(部分)2008.6.1発行

中央道を車で走っていると東京競馬場の脇で目に入ってくる構築物群です。中央道から見えるのはそのうちの一部だけですが、コースを取り巻くように全部で10基あります。
写真に写っている監視塔は、地図で赤丸を付けたもの。

○国立天文台内アインシュタイン塔(三鷹市大沢)

1/25,000地形図「吉祥寺」(部分) 2002.9.1発行

その名称からして学究的な構築物であることが伝わってきますが、昭和5年(1930)に建造されたもので、レンガ造りのレトロなたたずまいを見せています。ただ、今は研究に使用されていません。周辺の樹木が覆いかぶさっており遠目に見ることが困難で、ランドマークとしての存在感は薄れています。
地図上で北の方に表示されている「高塔」については、今は撤去されて残っていません。それがどのような高塔であったかについては調べましたが分かりませんでした。

○戦没者慰霊塔(八王子市台町富士森公園内)

1/25,000地形図「八王子」(部分) 2007.8.1発行

八王子中心地南部の小高いところにある富士森公園にひっそりと立っています。
西南戦争から大東亜戦争までの戦没者を慰霊するための塔とのこと。

○気象衛星センター(清瀬市中清戸)

1/25,000地形図「志木」(部分) 2001.5.1発行

気象衛星「ひまわり」の観測データを受信し、その気象観測情報を天気予報などを行う各種機関に提供しています。

○稲城レーダー・雨量計システム(稲城市大丸)

1/25,000地形図「武蔵府中」(部分) 2008.6.1発行

このレーダにより東京地域の雷雨、集中豪雨、台風などの雨情報を的確・迅速に把握しています。東京都下水道局の施設。気象情報を収集するレーダーが下水道局の施設であるということが面白い。

写真の左に写っている鉄塔の方が背が高く大きいのですが、送電線の鉄塔であるために地図には記載されていません。なお、このレーダー塔は紅白に塗り分けられていますが、航空法の規定で、高さが60mを超えるものはこのように塗らないといけないようです。

○米軍横田基地航空管制塔(西多摩郡瑞穂町)

写真を撮るのが容易ではない米軍横田基地の航空管制塔(画像提供:ふ~さん)
1/25,000地形図「拝島」(部分) 2007.8.1発行

横田基地を離発着する航空機をコントロールしている航空管制塔(コントロール・タワー)です。
横田基地は福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがっていますが、この管制塔は瑞穂町内に立っていることになります。

○東芝府中事業所・エレベーター研究塔(府中市東芝町)

1/25,000地形図「立川」(部分) 2006.6.1発行

東芝のエレベータ開発部門のための施設で、地上約150mの高さがあります。東京スカイツリーのエレベータは東芝製ですから、ここでの研究成果が活かされていることでしょう。
この塔もスカイタワー西東京と同様に武蔵野台地上で遠方からも目に付きやすく、堂々とした存在感があります。

北府中駅からの引き込み線脇にもう1基、旧エレベーター研究塔が立っており、「高塔」として表示されています。

○森永乳業東京多摩工場(東大和市立野町)

1/25,000地形図「立川」(部分) 2006.6.1発行

森永乳業の牛乳生産工場にある塔です。当初は給水塔でしたが、東日本震災の後、耐震性の関係で給水機能は廃止し、今は「看板塔」として桜街道沿いに屹立しています。
工場北側の「高塔」については、工場の建て替えによって今は「高塔」ではなくなっています。

亀井勝一郎の「塔」に関する随筆

評論家亀井勝一郎の有名な随筆に「塔について」があります。「大和古寺風物詩」の中に収められた一編です。

「ああ塔がみえる、塔がみえる」――そう思ったとき、その場で車をすてて、塔をめざしてまっすぐに歩いて行く。これが古寺巡礼の風情というものではなかろうかと思う。おそらく古人も、遥かに塔を望みながら、誘わるるごとくひきよせられて行ったに相違ない。塔にはふしぎな吸引力がある。

(昭和17年秋)

もちろん亀井は古寺の五重塔や三重塔について書いているのですが、寺院のような宗教的な建物でもなく、鉄骨が組み合わされて造形されただけのものであっても、高い塔というものは「ふしぎな吸引力」があります。

今回の「高塔」の写真を撮るために多摩各地を回ったのですが、遠くに塔の一部が見え隠れし始めると、わくわくする気持ちが湧きあがってきます。
そして距離が近づくにつれ、姿が次第にズームアップしてくるといったことも、なかなかにくい演出であることに気付きました。
塔の足元にたどりついて先端を見上げる時には、「やって来ましたよ」といった達成感のようなものも覚えます。
不思議な心理ですね。

【補足】「地理院地図」における「高塔」表示

ところで、上でも述べましたが、国土地理院がネット上で公開している「地理院地図」では、「高塔」の記号を適用するにあたってはかなり絞り込まれており、ごく少数になっています。
地理院地図上で、多摩地域で「高塔」表示されているものはただ一つで、「スカイタワー西東京」だけになります。

「地理院地図」で示される「スカイタワー西東京」 その右に給水塔が現存しているが表示されていない。(前掲の「紙」の地形図を参照)
「スカイタワー西東京」 左下に東京都水道局の給水塔が見える

東京23区内で探しても、「東京スカイツリー」と「東京タワー」の二つしか、見出すことができませんでした。
現代の感覚でみて、地図上に「高塔」として表示できるものはこのようなものだ、との国土地理院の考え方が伝わってきます。