遊園地跡の庭園で過ぎゆく秋にひたり、温泉で御膳囲む~石神前駅前の顔

令和3年の歳末が近いいまは、昨年末に新型コロナウイルス感染が急拡大して萎縮し続けていたのと気持ちの持ち方が違う。新たに変異したオミクロン株の濃厚接触者がジワリじわりと増えつつあるが、一年を振り返える気持ちを取り戻しつつある。令和4年、2022年への助走のために一息入れたくなった。

杉木立に挟まれて輝きを増す石神社の大イチョウ

黄色の樹炎 大イチョウ

青梅線石神前駅の駅頭で目に飛び込んできたのは東隣の、駅名にもなった石神社(いしがみしゃ)境内の大イチョウだった。拝殿前のさざれ石を割って出る水もさることながら、輝く黄色の葉に目を見張った。幹の太さ640㎝。江戸時代の文化・文政期(1804年から1829年)に編まれた武蔵国(御府内を除く)の地誌「新編武蔵風土記稿」に著わされた当時、石神社は鎮座の年代不詳と記しており、イチョウは、すでにあっただろうと思うほどの大木だ。

大イチョウの枝から下がる気根

乳垂れる枝に赤い火灯す

このイチョウは雌木で、威風堂々とした幹から出た枝元に下がる気根、いわゆる乳は大小10本もあるだろう。最長で2~3mはあるように見える。人々は、この木を母乳の神として崇め、子を育てる母の願いが伝わる。食を満足に得ることができなかった時代だったか。青梅市の天然記念物に指定されている。

イチョウの根元から高さ約4mで二股に分かれた太い枝の間ではナンテンが数本自生しており、それぞれが赤い実を光らせていた。鳥が運んできた種がここで育ったものだろう。

3度も名を変えた駅

石神前駅は駅名を3度も変えた全国でも数少ない駅の一つだ。青梅鉄道(後の青梅電気鉄道)立川-二俣尾駅間が開業した8年後の昭和3年(1928)に青梅鉄道が集客を狙って建設した遊園地の玄関口「楽々園停留場」として誕生した。御嶽駅開業の前年だ。その後、青梅電気鉄道は戦時買収私鉄に指定されて昭和19年(1944)4月、国有の運輸通信省青梅線になり、同時に、当時の村名だった三田村駅に名を変え、さらに三田村が青梅市と合併したことから昭和22年3月1日、現在の石神前駅に改称された。

四季折々に木々の色合いが楽しめる奥多摩園の庭。多摩川の崖線を生かしている

崖線を生かした保養所

楽々園の名残は、石神社の目と鼻の先にあるタイヤメーカーのブリヂストン(本社・中央区)の保養所「ブリヂストン奥多摩園」にある。敷地約1万㎡のこの地は、河岸段丘が狭く、山裾が多摩川へ切れ落ちる格好の斜面を生かした庭だ。マツやイチョウ、イロハモミジなどを配しており季節感が楽しめる。庭のみ一般に開放している(220円。見学できない日もあり、事前に連絡を)。園内には関係者が利用できる小さめのプールやパターゴルフ、バーベキュー施設などがある。

庭の林床が軟らかく感じるのは管理が行き届いているからか。舞い落ちた枯れ葉が行儀よく並んでいるように見え爽快だ。なぜ爽快感がある? 木々が込み入っておらず、背丈が違う木が覆う復層林が醸し出す作用なのだろうか。庭全体に奥行きと広がりを感じる。多摩川のせせらぎにも近寄れる。時間を忘れる空間だ。雪景色も、新緑も見たいものだ。

和洋の宿泊棟 動物園も

奥多摩園は、元は青梅鉄道楽々園だった。二俣尾駅まで延伸した青梅鉄道の乗客に武蔵御嶽神社の参詣客や御岳山への登山者が増えたことから新たな集客を求めて開設した遊園地だ。

当時のパンフレットを見ると、石神社前の青梅街道を挟んだ向かいに洋式風のホテル多摩山荘が建ち、別棟には平屋建ての日本座敷、東側に当たる手前には断崖を流れ落ちる清龍ノ瀧(青竜ノ滝)を白く泡立たせている。滝から流れる水は壷坂観音前を下り、納涼洞を抜けて多摩川に注いでいる。このあたりの景観は、いまも大きく変わらない。

楽々園と、その中にあったホテル多摩山荘のパンフレット(右側)

楽々園・多摩山荘のパンフレット(左側)。パンフレットは、ともに青梅市郷土博物館提供

日本座敷の西側に遊園地開園のきっかけになった牡丹園がある。大阪からボタンを取り寄せて植栽したのが始まりだった。崖線の斜面を取り込む格好で動物舎、温室花壇、和洋食堂、梅林。多摩川寄りには野球もできる大グラウンド、テニスコート、プール、子供遊園を配していた。多摩川対岸にある梅の郷・吉野梅林への近道になる吉野街道楽々園橋も架けていた。西多摩地域唯一の遊園地はファミリー客でにぎわった。御岳渓谷からの船下りもあった。

創業者の創案を形に

楽々園閉園後の戦時中は立川飛行機の練成道場や厚生施設として、戦後はプリンス自動車販売の社員寮になった。跡地が荒れ放題だったのをブリヂストン創業者の石橋正二郎氏は、この渓谷を好み、10年がかりの創案を設計した。樹木も岩石も自ら選定したという。園内東端に自身が時折泊まる山小屋を建てた。東側の断崖にある滝を整備するためにトラック数百台の土を運んで埋め立て、土留めの石垣を築き、数百本を植栽して杉山を造った。

青竜ノ滝から流れ落ちる水音が林間を静かに流れる。流れ出た水は岩をはんで多摩川に注ぐ

同社が保養施設として利用するようになったのは昭和32年(1957)。今日の宿泊や研修所などが整う昭和42年まで施設を拡充してきた。その後も一部を改修している。いま、北側に背負う青梅丘陵の谷から流れ出る石神川(地元では石神沢という)の水が約20m落ちる清竜ノ滝(この日は、ロープが張ってあり近寄れなかった)付近の岩には苔が生えて歴史と美観を増幅させていた。

被災の子供支援するベース

この施設をベースにして10年も続いている活動がある。平成23年(2011)3月11日に東日本を襲った巨大地震によって被災した子供たちを大人に成長するまで支援しようという「夢のつばさ♡プロジェクト」だ。お茶の水学術事業会などNPOが中心になってブリヂストンなどが特別協賛、30校ほどの大学・専門学校の学生ボランティアが関わって宿泊型の体験プログラムを展開している。参加している女子高生は「私自身が、難しい環境で苦しんでいる人たちを支える立場になることで恩返しをしていきたい」と10年の歩みを語っている。

小平にブリヂストン中央通り

ブリヂストンといえば、多摩地域の人になじみがある小平市小川東町の工場だ。巨大なタイヤを展示していることで知られる。ここには技術センターと航空機用タイヤを製造している東京ACタイヤ製造所がある。同社の創業90周年を記念して各地の魅力的な道路90路線を選出している。そのうちの1本は小平市の工場前を通る「BS中央通り」だ。BSはBridgestoneの略で、BSを冠した道路は、小平市のほかに同社の創業地、福岡県久留米市だけだ。

蛇行する多摩川の崖上にあるおくたま路(好文橋から)

鶴の湯につかり、身ほぐす

この日の、風がなく穏やかな陽気に誘われてもう1か所訪ねた。奥多摩園から歩いて10分ほどのところにある「青梅石神温泉 清流の宿 おくたま路」だ。各地でホテル事業を展開しているビューホテルズの施設で、元は国民年金健康保養センターだった。ビューホテルズが直営して7年になる。

広々としたフロントロビーで落ち着いたところで、日帰り湯でひと風呂浴びることにした。この湯は、小河内貯水池(奥多摩湖)ができて水没した奥多摩町原の「シカの湯」「ムシの湯」「ツルの湯」の3本の源泉を合わせて「鶴の湯温泉」として湖底からポンプで汲み上げてタンクローリーで運んでいる。泉温は29.7度。無色澄明無味、硫化水素臭の湯だ。

蛇行する多摩川の突端に浴場

湯につかると、最初、冷えた体を刺す感じだったが、すぐに体に馴染み、全身がほぐれた。窓外からさわさわという音が聞こえる。見れば、多摩川がΩ状に蛇行した突端部分に浴場が位置し、流水は目の前にある大岩に阻まれて渦を巻いていた。対岸の段丘涯にある木々の葉は紅葉のピークは過ぎたものの、黄色、橙色、朱色……襖絵のように展開する木の葉の色合いを湯に浸かりながら見続けた。

季節の食材を使った「青梅石神御膳」8品全部いただいた

彩り豊かな御膳に西多摩の酒

湯上りの一杯のビールは、のどを走った。レストラン料理長おすすめの「青梅石神御膳」の彩り豊かな菜に頬が緩んだ。キノコの大根おろし和え、カズノコの酒粕和え、貝と昆布の珍味といった小鉢に、刺身こんにゃくの柚子ドレッシングサラダ、ぷりぷりのエビ茶碗蒸し、豚しゃぶ。もちろん刺身や天婦羅もいただいた。

これらに西多摩5蔵(青梅市=小澤酒造:澤乃井、福生市=石川酒造:多満自慢、田村酒造場:嘉泉、あきる野市=中村酒造場:千代鶴、野崎酒造:喜正)の日本酒が合って盃を重ねないではいられなかった。レストランの愛称ソーリさんのおすすめ上手が盃を加速させた。

ホテルの廊下には御岳山上で毎年、従業員が撮っている初日の出の写真を飾り、各部屋のドアには季節の写真を飾っていた。どれも「地元を知ってほしくて」という願いを込めて撮ったショットだ。

久しぶりに巡り合えた色鮮やかで華やかな御膳だった。来る年を穏やかに迎え、人と向き合って心行くまで話ができるように願いたいものだ。