のらぼう菜ゆかりの里を散策する

東京に移り住んでまもない頃、ほのかな甘みがあって、やや歯ごたえのある野菜のおひたしが夕食の一品に添えられていた。名前をたずねると、のらぼうとのこと。東京に来て初めて見る野菜で、春先に見かけるという。面白い名前の野菜だなと思ったが、そのときはそれ以上興味をそそられることはなかった。

今回、のらぼうの由来などを述べている図書を手にし、のらぼうとの出会いを思い出した。
のらぼうのらぼう菜(野良坊菜)が正しい呼び名で、あきる野市五日市周辺が発祥の地であるという。

五日市小中野の子生(こやす)神社の境内にのらぼう菜の起源などを印した野良坊菜之碑がある、とのことで出かけてみることにした。
武蔵五日市駅を出て檜原街道を西へ進むと、檜原街道と本郷通りとの分岐点に達する。子生神社は檜原街道と本郷通りの分岐点付近の林の中に祀られていた。

のらぼう菜ゆかりの地を求めて歩いたコース


子生神社は16世紀初頭創建と伝わる安産祈願の神社で、野良坊菜之碑は拝殿の北寄りの境内に建っていた。
安産祈願の神社と野良坊菜之碑との結びつきは不明であるが、ともに安泰と感謝を表す気持ちは通じ合うものがあるように思う。

子生(こやす)神社


野良坊菜之碑に刻まれている碑文の内容を概略すると、「明和4年(1767)、幕府代官伊奈備前守が地元名主小中野四郎衛門網代五兵衛に命じて引田、横澤をはじめ十二ヵ村にのらぼう菜の種子を配布して栽培法を授けた。これにより、天明、天保の飢饉の際に住民の人命救助に役立った。茲に事績を永く後世に伝えるために建碑する。 昭和52年春日、秋川の自然と文化を守る会 建立」 とある。

野良坊菜之碑


のらぼう菜はアブラナ科西洋アブラナの一種で、油の原料として江戸時代初頭から栽培されており、寒さや干ばつにも強いため、冬越しして春には一気に成長して蕾を伸ばし、貴重な食べ物になるという。

のらぼう菜発祥の地に思いを巡らせるには、地域きっての名刹、広徳寺が建っている小和田方面の高台に向かうのがよい、とのことで秋川を渡って広徳寺をめざして高台に上った。

秋川に面した高台の北斜面は宅地化が進んでいるが、それでも農地が容易に目に入る。
畑作業をしている地元の人に出会い、のらぼう菜について尋ねると、「これがそうだよ」と畑の一角へ案内してくれた。

最近植えたというのらぼう菜の小さな苗が畑の畝に沿って行儀よく並んでいた。苗の小さな青い葉は冬を越して来春には大きく育ち、春野菜として食卓をにぎわすことであろう。

来春の収穫が待たれるのらぼう菜の苗畑


のらぼう菜の成長に期待を寄せながら、次に地元の名刹、広徳寺を訪ねた。
広徳寺は14世紀後期創建で、本堂、庫裏、総門、山門、経蔵、鐘楼と格式のある禅宗の伽藍が残っており、境内地域全体が東京都指定遺跡になっている。

広徳寺山門


本堂裏のタラヨウと庫裏の北側にあるカヤの巨樹は、ともに東京都の天然記念物に指定されている。

今回の広徳寺訪問(2021・11・7)で目を奪われたのは、境内に聳え立つ2本の大イチョウであった。葉が黄色に色づき、散った葉が地面を覆い、境内が黄金色に染まっているように見えた。

境内を黄金色に染める広徳寺の大イチョウ


のらぼう菜のふるさとを訪ねて、のらぼう菜に会えたことに感謝して広徳寺を後にした。

参考資料
*江戸・東京農業名所めぐり
*地理院地図