京王線狭間駅を降りて、駅前のモダンな建物を横目に南へ、スーパーを過ぎて角の手打ち蕎麦屋さん脇の急な坂道を転げるように進むと、北野街道に降りる。この街道の南には湯殿川(浅川の一番南の支流、延長8.9㎞)が流れている。この辺りは浅川との合流点から7.4㎞の地点になる。
ここに架かる明神橋から歩き始める。きれいに整備された管理用の道路を上流に進む、橋から2,3百メートル先では浅瀬が作られ対岸に渡る飛び石があって水辺を楽しむには良いポイントで夏には賑わうと思った。
この先はまだ改修がされておらず川幅が狭く川の近くには行けない。さらに西に進み町田街道を横切り拓殖大学のキャンパスに向かう坂道を行けば一級河川湯殿川上流端の標識が見える。水源はキャンパス内部で見えない。
明神橋に戻る。管理用の道路と地続きに御霊神社が建てられているが、川の改修に協力し土地が買収されたのを機に社殿や境内整備が行われた。御祭神は940年ほど前の後三年の役に源義家に従って奥州に出陣し、右目を射られながらも奮闘した武勇の武士、鎌倉権五郎景政を祀ると言う。眼病平癒、必勝招来を神徳としている。
神社の南、坂を上ると浄泉寺がある。北条氏照の家臣の近藤出羽守助実の館跡との伝承で、近藤砦とも言われた。近藤助実が鎌倉景政を祀ったと伝えられる。
明神橋から下流に歩く、天候がよかったせいかとてものどかで伸び伸びする。牛舎の匂いが鼻に入る、田舎の親戚が昔牛を飼っていて朝刈った草をおっかなびっくりあげたことがある。幼い時の思い出だ。
牛舎のちょっと下流に堤防の傾斜をなだらかにして水に触れることが出来る小さな公園があった。ベンチでのんびり秋の陽射しを受けている人がいる。眺めているだけで穏やかに時が流れる。
比較的勾配が急な湯殿川では、魚などが遡上できるように段差を少しずつ解消するための工事を行っている。
和合橋まで歩く、この辺りは武蔵七党の横山党が住んでいた地と伝えられ、竜見寺がある。約970年前、前九年の役に奥州に行った横山経兼が出羽三山の一つ湯殿山から大日如来像を拝領して安置したところであるという。このことから近くの川を湯殿川とよぶようになったと言われている。
和合橋から北野街道へ出る、東へしばらく行き郵便局裏の急な上り坂を登りきると目の前が国史跡椚田遺跡公園だ、約4,500年前の縄文中期の住宅跡は直径150mの環状集落として注目されている。湯殿川流域の暮らしやすさが今に繋がっているのだろう。
なかなか駅が見えない真っすぐな道路をだいぶ歩いてめじろ台駅に着く。角の蕎麦屋さん、パリッと揚がった小エビのかき揚げせいろが美味しかった。