早く頬張りたいとろろ昆布のおにぎり

多摩めぐりの再始動に明かりが差し込んできたか? きょう5月25日、全国に後れを取った首都圏1都3県に政府の新型コロナウイルス緊急事態宣言が解除される。これを受けて東京都による休業要請などが緩められる運びだ。49日ぶりの解除だが、東京都の感染者の半数近くは、感染経路が不明などというから第2波、第3波に襲われる不安と恐れが消えたわけではない。外出を控えて籠っている自宅の窓外では澄んだ青葉の緑が日に日に色を濃くし、青い空と白い雲の向こうに見える白雪富士を恨めしく眺めている。

今年は一度も多摩めぐりを行えていない。それだけに解放感一杯に多摩めぐりを楽しんでいたことを色濃く思い出す。訪ねる先で語り継がれている歴史や文化の重みはもちろん、もう一つの効用である野天で多摩めぐりの参加者と交わすおしゃべりと昼ごはん。頬張るおにぎり(握り飯)に至福さえ感じたものだ。あのコメの味が懐かしい。
和食は、平成25年(2013)12月、日本人の伝統的な食文化として世界無形文化遺産に登録された。和食といえば、一般的に手間暇かけた高級な懐石(会席)料理のイメージが強いが、私にとっての和食は、ご飯を炊いたら、もうそれ自体が和食。だから究極の和食は、おにぎりだと自認している。
幼少のころ、おふくろ手製のおにぎりを頬張っていた。中でも秋の収穫時は、富山平野の木一本、遮るものがない田んぼで脱穀したばかりの稲わらを敷いて家族が車座になっておにぎりに食らいついた。野菜の煮物とたくあんという少ないおかずに不満もなかった。空を見上げれば、青天井。南東から東に屏風絵のように連なる北アルプス。薬師岳、浄土山、雄山(立山)、大日岳、剱岳。毎日見る3000mから2000m級の山容の趣とは違って見えた。脱穀機を回す発動機のタンクで沸き立つ湯に畦から根こそぎ引き抜いた枝豆を茎ごと突っ込んで茹でた枝豆が即席のごちそうだった。やや油の臭いがあったのが今は懐かしい。
梅干ししか入っていないおにぎりは、そのまま食べるか、食べる寸前に海苔を巻くか、とろろ昆布をまぶす。ともに香りがよかった。とろろ昆布は、握る際にまぶしておくと、食べるころには程よい塩分とともに昆布の旨味が沁み込んで一味も二味も違うおにぎりに変身させていた。

富山県の昆布の消費量は、いまも全国上位だ。刺身の昆布巻きなど昆布を使った料理が多い。江戸時代から明治時代にかけて日本海側で発展した北前船が富山湾に寄港してニシンやサケなどの海産物と一緒に昆布を降ろした。関東地方で昆布の消費量が少ないのは北前船による昆布ロードの到達が遅かったからといわれる。

青葉の下でいただく昆布のおにぎりは格別。右の小びんは、いま必携のコロナウイルス感染防止のアルコールジェル。缶ビールは撮影用デス!

ある年に10日間、スイスの山行取材に出た。宿で作ってくれたランチボックスは連日、サンドイッチだった。これに飽きて山上で叫んだものだ。「あ~握り飯が食べた~い」と。カナダのリゾート地ウィスラーでは日本人の寿司職人が握る人気の寿司は、アボカドやサーモンなどを巻いた「カリフォルニアロール」で、色映えよろしくトロピカルだった。現地の人が喜ぶ日本食だからと諦めた反動か、おにぎりの夢を見た。

おにぎりが究極の和食というには、もう一つの理由がある。その歴史は弥生時代まで遡る。石川県中能登町で「日本最古のおむすび」が炭化状態で発掘された。底辺が約5㎝、他の2辺が約8㎝の二等辺三角形でちまき状だったという。
おにぎりの元になる姿は、平安時代に作られた卵型の「屯食(とんじき)」だ。もち米で、雑穀食が日常の当時ではごちそうだった。鎌倉時代以降は、握ったものを兵糧とか、戦陣食とした携行食として広まった。豊臣秀吉が天下を統一した後、赤米や黒米よりも収穫量が多い白米が広まり、「間引き菜」を米と一緒に炊き込んで「菜飯おにぎり」が作られたという。

東海道五十三次細見図会 藤沢 歌川広重 行脚僧や修験者、金毘羅参りの人が休む前でおにぎりを食べる巡礼者か

おにぎりが弁当として重宝されるようになったのは江戸時代だ。五街道が整備されるにつれて旅人が携行食とし、農民らが作業の合間に食べるようになった。浅草海苔が養殖され始めた元禄時代には「海苔巻きおにぎり」がお目見えしたそうだ。
弁当を代表する駅弁が出現したのは明治18年(1885)。日本鉄道宇都宮駅構内で売り出された黒ゴマをご飯にまぶした梅入りおにぎり2個、たくあん2枚が竹の皮に包まれたものだった。八王子駅構内ではいまも駅弁を販売しているが、立川駅構内から駅弁が消えて久しい。だが、おにぎり屋がある。
今日珍しくなくなった「天むす」が登場したのは昭和32年(1957)、三重県の天ぷら定食屋のまかないだったものを売り出した。手巻きおにぎりを考案してコンビニで売り始めたのは昭和53年(1978)セブン-イレブンだった。
おにぎりに目をやると、時代が見えてくるから楽しく、旨さはさらに増す。今後、新型コロナウイルスと共生していかなくてはならないのだろう。良薬や予防薬の一刻も早い誕生を待つが、再開される多摩めぐりにはとろろ昆布のおにぎりを持って行く。これまでよりも1個多く。