「第50回多摩めぐり 作家吉村昭の書斎を訪ね、あわせて多摩地域の東端エリアを散策する」を12月21日(日)に開催します

第14回多摩めぐり~多摩を深める
蔵元と地産食材を知り、味わう~石川酒造編

見学を終えて本蔵の前に集まる参加者

ガイド:吉田敏夫さん

8月24日、武蔵野台地から染み出す水の尊さを噛み締めた一日だった。ナスやキュウリ、カボチャなどが列を成す畑に立ち、井戸水をくみ上げて造る清酒やビールを嗜んだ。その旨味は格別だった。37人が参加した14回目の多摩めぐりで、福生市熊川の石川惠一さん所有の野菜畑で‟東京野菜”の顔と地域農業の実情を見、西多摩の食材を生かした料理を肴に、多摩の伝統的産業である酒造り160年に近い石川酒造で食文化の豊かさと地域産業の重要性を改めて感じた。

主なコース
JR拝島駅 野菜畑 玉川上水・熊川分水 石川酒造

土を作り五体で育てる新鮮な40種

 拝島駅から南に下ること15分ほど。福生市熊川で7代目の農家を継ぐ石川惠一さんが畑でわれら一行を出迎えてくれた。年中外せない帽子の下の顔は、作物の世話をしている証しである日焼け顔。腰に付けた虫よけの線香も毎日離せない。地下足袋姿も決まっている。天候に左右されるなど何かと手間がかかる。動力を使うのは天地返しの時ぐらいで五体が勝負だ。

 石川さんは40aほどの耕地で年間約40種の野菜を主に、果物も栽培している。耕作面積(平成29年3月「東京農業のすがた」)は、多摩地域では八王子市が最大(839ha)で、福生市は最少の13.3ha。東京農業の最大の特徴は「少量多品目栽培」で石川さんも同様だ。石川さんは主にJAにしたま福生支店の直売所へ出荷している。

石川惠一さんの案内で畑を歩く参加者

 畑は、真新しい住宅に囲まれているが、空は広く高い。人には夏の強い日差しながら、野菜には恵みの光だ。足の裏にやさしい軟らかい土は、心地がいい。畝にはサツマイモのツルが這い、サトイモが葉を広げている。茎の背丈1mほどもあるのはヤツガシラだ。「今年もよく取れた」と石川さんが指をさすのはインゲン豆だ。「間もなく収穫期に入るのはヤマイモ。粘りがあってうまいんだよ」と、今夏の日照りを気にしながらも自慢顔だ。万願寺トウガラシも上出来らしい。その場でかぶりつかせてくれた。

立派なゴーヤにも目がいく

万願寺トウガラシ

行く手にあったのはキンゴマだ。「下の殻が割れ始めるのが収穫の頃合い」といい、ゴマの殻に優しく手を添える。収穫したら軒先にゴザを敷き、天日干しだ。殻が口を開くと軽くたたけば、実がこぼれ出てくる。

ゴマ

 年間通して土を休ませないが、一方で連作障害が起きない品種を選んで植え付け、追肥や生育に従って管理する方法も作物によってまちまち。しなければならない作業は、待ったなしだ。
「手をかければ、かけた分、返ってくる」といい、自らも体を休ませない。それだけに慈雨のありがたみが身に沁み込んでいる。

さらに活性化目指す「はっ!ぴー☆ナッツ」

 近年、福生市農業委員会が力を入れているのは落花生だ。「福が生まれるまち、福生の『はっ!ぴー☆ナッツ』」とキャッチコピーを編み出すほど意気込んでいる。昭和50年代に生産が盛んだったのを復活させようというのだ。農家はもとより市民農園や保育園でも栽培を奨励してきた。間もなく収穫期に入り、9月24日午前9時からJAにしたま福生支店直売所で試食と販売をする。

農を学ぶ落花生ウォーク(10月1日)や収穫体験(10月5日)も企画している。「掘りたてを塩茹でして、その茹でたてがホントーにうまいんだよ」と石川さん。そんな石川さんから参加者全員にナスの代表格「千両2号ナス」と「坊ちゃんカボチャ」をいただいた。

お土産にいただいた
千両2号ナスと坊ちゃんカボチャ

景観になじむ涼風の熊川分水

 一行が向かう石川酒造の手前で住宅や畑伝いを流れている「熊川分水」(幅約1.2m、全長2075m)に立ち寄った。多摩川の原水が流れる玉川上水の分水だ。水の取り入れ口は、この地点から約1.5㎞北方。完成して130年余りになり、すっかり周辺の景観になじんでいる。1日約1千tが流れているという。

 熊川地域一帯は、目と鼻の先にある多摩川より高さ10mを超える拝島崖線の上にあり、長年、水の確保が課題だった。江戸時代に徳川幕府の旗本(地頭=じとう)でこの地を治めていた長塩氏が井戸を掘り、村民に与えたことから地頭井戸といわれた。だが、それだけの量ではままならず、当時、すでに引かれていた田村分水からの流用願いも叶わなかった。

完成して1世紀になる熊川分水

完成100年、福生の景観資源に指定

 寛政3年(1791)に初めて幕府方に願い書を出してから100年後の明治22年(1889)にようやく許可が下り、用水は翌年完成した。主導的役割を担ったのは13代石川彌八郎(和吉)で、玉川上水35番目の分水の誕生だった。これによって住民の飲料用や灌漑用が確保でき、石川酒造、森田製糸、山八製糸といった地元工場の水車が稼働し、動力機械を動かすことができた、苦節百年の水路だ。分水の大部分が私有地を流れ、空石積みの石垣や洗い場など当時の技術による設えがいまも目を引く。
 緑とせせらぎの憩いの場として市民に親しまれ、開渠になっている半分ほどのうちの9カ所、約450m区間を福生市の「景観重要資源第1号」に指定(平成29年9月)し地域の財産として保護に努めている。

荘重感ある重層構造の本蔵に並ぶ酒樽

 一行の足は、創業156年になる石川酒造の本蔵に向かった。本蔵は、醸造の拠点だ。厚い扉が開いたら、薄暗い中から冷気が噴き出てきた。熱暑に晒してきた体が生き返った。20℃ぐらいの設定だという。白壁の建物は、幅約23m、高さ約13m、奥行き約31m。屋根に葺いた瓦は300坪(約1千㎡)に及ぶ。明治13年(1880)の建造だという。
 今季の酒づくりが間もなく始まる蔵の中は静かだ。天井を見上げると、梁や柱の重層的な構造が荘重感を醸し出している。コンクリート張りの床には6,662ℓ、9,930ℓ……と記した大きなタンク(酒樽)が奥深くまで連なっている。今年3月までに造られた酒が入っているのだろう。樽1本の量は、1人が生涯かけても飲みきれない量と聞いて、酒蔵にいることを強烈に感じた。

 銘酒「多満自慢」は、多摩の心を歌い、多摩の自慢となるように多くの人たちの心を満たしたいと命名したという。創業当時の文久3年(1863)、あきる野市小川の森田酒造の蔵を借りて醸造を開始した。創業の銘柄「八重桜」。明治13年(1880)に現在の熊川に蔵を建て、大正8年(1919)に「八重梅」を販売した。「多満自慢」は昭和8年(1933)以来、86年続き、いつの時代も全国の酒造家に知られる銘酒であり続けている。

酒樽が並んだ本蔵で説明を聞く参加者たち

米も水も気難しい仕込みに心血注ぐ

 清酒造りは、気難しい。まず原料の酒米とか、好適米とかいわれる米は、精米中に砕けない、米粒が大きい、米粒の核である心白(しんぱく)が米粒全体の中心にあって大きいこと。蒸したときにべたつかず、麹菌が均一につくように外硬内軟であることだという。好適米に挙げられる山田錦や五百万石、美山錦などが最適とされる。
 「名水あるところ銘酒あり」といわれるように水にも偏りがあることを嫌う。硬水で造られた酒は、発酵が促進され、コクがあり、後味のしっかりした味になり、軟水で造られた酒は、軽くまろやかな味になるといわれる。いわば、甘さ辛さは水次第といっても過言ではない。石川酒造では地下150mの上総層群・東久留米層の下部層から汲み上げた中硬水を仕込み水にしている。同酒造の庭で直に汲み上げた仕込み水が自由に飲める。

味を決める微生物の顔色見る化学の世界

 仕込みの工程も細かい。まるで微生物を生かす化学の世界だ。玄米を精米した後、3~4週間、冷ます(枯らす)。この後、洗米・浸漬(しんせき)といわれる米に水分を与えるのだが、水分量によって出来上がりの清酒の品質に左右する。ここでも気が抜けない。蒸した米は、互いにくっつかず、麹菌が繁殖しやすく、発酵具合がうまく進むように見立てるのだ。蒸した米に、麹室で造られた種麹を振りかけ、その後、数回、塊を防ぐ切り返し作業を行う。温度も上げるなど3~4日がかりだ。
 醪(もろみ)造りに4日、発酵温度を10~18度に保ち、仕込みから1週間で発酵が盛んになり、落ち着くまでに3週間ほどかかるという。その間の発酵具合に目が離せない。発酵を終えた醪を酒と酒粕に分ける絞りの作業に入れるのは作業を開始してから2~3カ月後だ。今季も9月から始まり、来年3月まで続く。

111年ぶりに復活したビールも人気

 石川酒造ではクラフトビールも造っている。平成10年(1998)から「多摩の恵(めぐみ)」と銘打ってペールエール、ピルスナー、ミュンヒナーダークを通年出荷しているほか、季節限定のヴァイツェンなど合計10種類ほど醸造している。
 明治20年(1887)に日野市豊田の山口ビールの釜を参考にして「日本麦酒」を発売。商標だった「旭日」を大阪合同麦酒に譲与したのを機にビール製造から撤退した。クラフトビール誕生で111年ぶりの復活で人気を得ている。

西多摩産食材にマッチして美味深い

 敷地内の向蔵(むこうぐら)でいただいたのが、まずビール。ペールエールがピッチャーで運ばれてきた。参加者各人に次ぎ分けたところで「カンパ~イッ!」の大声が明治29年(1896)建造の土蔵に響いた。のど越しがすっきりしている。「あ~うまいっ!」と、あちこちから高い声が上がった。

 食事メニューの「酒蔵の幸御膳」のかさね重には13品が彩りよく盛られて、食欲がそそられた。食前酒の「うめ酒」は、アルコール度が高めな分、さわやかさと旨味の広がりに存在感を感じ、箸が騒いだ。

西多摩産の食材を生かした「酒蔵の幸御膳」

 一の膳のワサビコンニャクは奥多摩産。ワサビの香りと辛味がコンニャクと合い、さらに日本酒ともマッチしてうまさが倍増するようだった。粕漬たくあんの酒粕は、言わずとも自社産。二の膳の厚焼き玉子は青梅産など西多摩食材をふんだんに生かしている。トマトのジューシーさとベーコンの脂の旨味の絡み具合が双方を引き立てる。このアイコトマトのベーコン巻きもお代わりしたかった。冬瓜の含め煮の出汁の取り方も会得したいと思った。

ビールと酒と料理に、そして豊富な話題でにぎわうテーブル

さわやかに「多満自慢」、もう一杯

 テーブルの各所でビールから日本酒「多満自慢」のグラスに切り替えている組がいる。この日用意された多満自慢の「さらさらにごり」は、薄い濁りがある生酒で、口に含んだら気分が晴れるような香りが広がった。米の甘みが伝わり、体がほんのりとした。「これも、いける」と実感、もう一杯!

「もう一杯いただこうかしら」と
カウンターに並ぶ女性たち

 もう一方の多満自慢「立春朝搾り 熟成酒」に手を延ばした。スッキリ感が際立ち、さわやかな飲み口ながら、まろやかな余韻が広がる。「これも、もう一杯」。このグラスに「福生 地酒で乾杯」とデザインされている言葉にあやかって再び「乾杯」という声も上がる。

彌八郎さん直々の演奏に拍手喝采

 懇談たけなわのところに石川酒造18代石川彌八郎さんが現れた。各地で公演しているお得意のハーモニカを演奏してくれるという。曲は先代が大好きだったというジョージ・ガーシュイン作曲のジャズのスタンドナンバー「サマータイム」だ。悲しい状況の中で平穏な日々を思い出しながら希望を求めて生きよう、父さん母さんが見守っているからという意味合いの子守唄。石川さんの父や母を思う気持ちか、哀愁の中に明るさと力強さが滲む演奏に参加者の拍手が沸いてアンコール曲も会場に響いた。

ハーモニカを演奏する石川彌八郎さん

18代石川彌八郎さんの幼名は太郎。この名前で10月6日午後3時から向蔵で、元ダウンタウンブギウギバンドの新井武士とともに出演し、ハーモニカのブルースハープとギターの楽しいデュオ・ライブを開く。3000円。
問い合わせは042-553-0100石川酒造へ。

軒を連ねる威風堂々の文化財

 敷地内の建物の6棟が国登録有形文化財だ。本蔵や向蔵をはじめ、明治30年(1897)建造の2階建て入母屋造りと切妻造りを併せた土蔵の「新蔵」。文久3年(1863)建築で客をもてなす品々や文庫の収蔵庫である「文庫蔵」。さらに、食事ができ日本酒とビールが飲める「おむすび処」と資料館になっている「雑蔵(ぞうぐら)」は明治31年(1898)建造。敷地の中ほどにある「長屋門」には杉玉が吊るしてある。彌八郎さんの自邸で安政4年(1775)以前の建築だ。

威風堂々とした長屋門

 庭には熊川分水が流れ、樹齢700年、400年のケヤキが天を衝くように聳え立つ。「日本麦酒」を造っていた当時の麦酒釜も据えられている。いずれも酒蔵らしい威風を放ち、泰然とした佇まいに地元をはじめ、周辺域の幅広い人々の立役者である家柄を彷彿とさせている。

趣がある石川酒造の敷地で樹齢400年を超す「夫婦欅」(左)を見上げる

 さて、次回の「食材と酒蔵」をテーマにした多摩めぐりは、小澤酒造(澤乃井=青梅市沢井)、中村酒造(千代鶴=あきる野市牛沼)、田村酒造場(嘉泉=福生市福生)、豊島屋酒造(金婚=東久留米市久米川町)……どこを訪ねようか。

ガイド:吉田さん

家庭菜園をしたことがなければ、畑に入ることはめったに経験できないせいか、あれは何、この野菜の葉は、こんな風に生るのか。次つぎに質問が飛ぶ。日焼けした顔の石川惠一さんから一つ一つ丁寧に答えて頂き、厳しかった暑さを差し引いても、直接、実りの場に立つ経験が大きな収穫となったでしょうか。
西多摩産の野菜、蔵元の酒粕を使った料理を肴にビールと日本酒が入って、見学した酒蔵を思い出しながら話が弾む。皆さんの朗らかな様子に一安心。
ハーモニカ演奏のサプライズ、それも石川彌八郎社長が自ら吹いてくれたビッグプレゼントでした。「食」の切り口で多摩を見てみようと企画した「多摩めぐり」、酒造りをはじめ、多摩の豊かな食の一端を知る機会を提供できたかなと思っています。

【集合:JR拝島駅 午前10時30分/解散:石川酒造 午後3時】