千葉卓三郎 嘉永5(1852)年、仙台藩士の子として生まれ、戊辰戦争で敗れた後、さまざまに遍歴し、五日市勧能学校(現・あきる野市立五日市小学校の前身)で教師を務めた。「五日市学芸講談会」を結社して五日市の自由民権運動に大きな影響を与えた。
深澤権八 深沢村(現・あきる野市深沢)の豪農深澤名生(なおまる)の長男で文久元(1861)年生まれ。15歳で村長にあたる村用掛を務め、学芸講談会の幹事となり、名生とともに千葉卓三郎の最大の理解者であり、後援者だった。
明治10年代、全国的に自由民権運動が盛んで、民間有志による私議憲法草案が40種以上編まれたという。中でも明治14(1881)年に作成されたと考えられている千葉卓三郎らが中心になって作成した「五日市憲法草案」は、全文204条からなり、国民の権利を守る規定に150条ほど割き、そのうち36条が人権規定だ。他の草案にない基本的人権の保障を定めており、出色だと評価が高い。
この草案を深澤家の土蔵で発見したのが昭和43(1968)年、東京経済大学教授だった色川大吉さんはじめ、江井秀雄さん、新井勝紘さんら色川ゼミのメンバーだった。
5月27日14時30分からたましんRISURUホール5階会議室(中央線立川駅南口から徒歩12分、南武線西国立駅から徒歩8分)で、新井さんが「五日市憲法の発見とその現代的意義」について講演する。申し込み不要、直接会場へ。一般500円。
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