多摩地域の温泉

今回は、多摩地域にあるこの地図記号を眺めていきます。

ご存じ温泉マークですが、国土地理院の地図記号の説明では次のように書かれています。

温泉の記号は、温泉法という法律で決められている温泉や鉱泉(こうせん)を表示しています。
記号は、主な温泉のでているところの場所をあらわしますが、温泉のでている場所と浴場が離れている場合には、浴場の場所にも表示することがあります。
この記号は、泉源の湯壺と湯けむりを組み合わせて記号にしています。

温泉法による規定では、
(1)温泉源で採取されるときの温度が25℃以上ある
(2)溶存物質(ガス性のものを除く)の総量が1kg中に1000mg以上含まれる
(3)別表(省略)で規定する成分のうちいずれかひとつが規定量以上含まれる

のいずれかを満たすものを温泉といいます。
したがって、温度が25℃より低くても、成分の種類・量が基準を満たせば温泉になります。

さて、「地理院地図」において、多摩地域に表示されている温泉を全て挙げると次の8ヶ所になりました。

①鶴の湯、②蛇の湯、③数馬の湯、④麻葉の湯、⑤松乃湯、⑥つるつる温泉、⑦岩蔵温泉、⑧クア・ガーデン
ただし、⑧のクア・ガーデンは、地図上に記載はあるものの現在は温泉施設はなくなっています。

多摩地域で温泉記号の表示されている8ヶ所(クリックすると地図は拡大します)

その分布についてざっくりと見れば、関東山地と多摩丘陵に存在しています。

温泉と言えば近くに火山があるのがほとんどですが、奥多摩の山地を含め多摩地域には火山がないので、これらの温泉は火山性ではなく非火山性の温泉ということになり、したがって火山により高温に熱せられることがないので上記(1)の25℃以上という基準を満たさないものは8つの温泉のうち半分の4つあります。
それでは火山がないのに湯温が25℃以上になっているものが4つあるのはなぜかということですが、地殻の深層部に行くにしたがって、地温が高くなっていくという地球の特性によるもので、日本付近では100m深くなると2~3度上昇するという観測結果があります。したがって1,000mの深度から汲み上げる温泉は30℃以上になることが想定されます。
実際、数馬の湯、つるつる温泉、クアガーデンはいずれも、自然に湧き出した温泉ではなく地下1,000mを超える深さから汲み上げており、25℃以上の湯温を持っています。

なお、この8ヶ所以外にも「××温泉」という名称の温泉(日帰り湯)は多くありますが、それらは地図に表示されていないから上で述べた基準を満たす温泉ではない、という訳でなく、開湯してからの歴史が浅いために地理院地図に搭載されていないものと思われます。
(他の地図記号もそうですが、記号の表示は地図上で網羅しているものではない、と認識しておくのがよいでしょう。)

それでは8つの温泉を順に見ていきます。
ただし、各温泉の所在地に出掛けて周辺情報を集めただけで、実際にそこの温泉に浸かって肌触りや湯加減などを味わって報告するものではありませんので了解ください。

①鶴の湯(奥多摩町小河内原地区)

小河内と言えば「鶴の湯」と言われるほど、古くから広く人々に知られ親しまれた名湯。傷ついた鶴が湧き出す湯に浸かり傷を癒したことから鶴の湯と名付けられたといいます。温泉として利用され始めたのは南北朝時代の延文年間(1356~61)頃からとみられており、交通の発達しない江戸時代には、伊豆方面に比べ江戸から近い温泉場として賑わいを見せ、多くの文人墨客が遊来しています。
しかし、昭和32年に小河内ダムが建設されて鶴の湯は奥多摩湖の湖底に沈むことになったため、昭和34年に東京都水道局によって、水没した源泉から新たに敷設された青梅街道の湯場トンネル西側の給湯場まで湯を汲み上げる施設を作りました。地図上の温泉の記号はその場所に描かれています。
今は、タンクローリー車により旅館、民宿などへ鶴の湯を配湯しています。

文政4年に建てられた「武州多摩郡小河内温泉之碑」。今は温泉神社に置かれている。
(クリックして拡大)
江戸時代の鶴の湯の温泉宿の図(クリックして拡大)
源泉から汲み上げた湯を蓄えるタンク(地図に温泉記号が表示されている場所)
タンクローリー車によって鶴の湯の湯を奥多摩町各所に運んで利用している。ここでは一般販売も行っている(いた?)。(奥多摩町川野)

②蛇の湯(檜原村数馬)

蛇の湯のある「たから荘」

重厚感ある「兜造」「たから荘」が温泉宿になっている。
この湯の名称は鶴の湯の例から想像できるように、傷ついた大蛇が川原の湯で傷を治したのでこの名がついたといいます。
温泉の温度は約11℃ということで、温泉の定義の(1)には該当していません。温泉の泉質表示は「アルカリ性単純硫黄冷鉱泉」となっています。
蛇の湯を提供する「たから荘」は、東京都内で唯一の「日本秘湯を守る会」の会員で、加えて築300年を経たカヤブキの「兜造」になる堂々とした建物。国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。

③数馬の湯(檜原村数馬)

村の活性化の一助にしようと、蛇の湯から南東約200mにあたる所で平成5年から掘削工事を行ったところ1,200mの深さからアルカリ性の温泉が噴出したもの。その後、村では温泉センター「数馬の湯」を建設し、平成8年から地元の人や観光客を迎え入れています。
地図上の温泉記号の場所は源泉の場所で、数馬の湯はそこから350m東方に位置している。

源泉の真上にあるタンク(地図に表示されている場所)
「数馬の湯」に設置されている源泉を蓄えるタンク

④麻葉の湯(奥多摩町氷川)

麻葉の湯は老舗旅館「三河屋」にある。
温泉の温度は17.5℃ということで、ここも温泉の定義の(1)には該当していません。泉質は「単純硫黄冷鉱泉」と表示されています。ただし、温泉宿として湯を提供する際は加熱しています。(奥多摩の山からの帰り道に立ち寄ったことがあり、温かい湯加減であったことを記憶しています。)

三河屋の外観

⑤松乃湯(奥多摩町川井)

青梅線川井駅の近くで、青梅街道から多摩川へ下りていった先にある割烹旅館「水香園」にある温泉。
ここも泉質は「単純硫黄冷鉱泉」です。
宿泊者でない者が旅館の敷地に入るのは難しそうな雰囲気の温泉でしたので、水香園への入口の写真を撮っただけになりました。

水香園への入口(なぜかロープが張られ敷地内へ入れない)

⑥つるつる温泉(日の出町三ツ沢)

平成5年から掘削工事を行い、約1,500mの深さからアルカリ性で27℃の温泉を湧出させたもの。
日の出町では「ひので三ツ沢つるつる温泉」と命名して温泉センターを建設し、平成8年からオープンしています。日の出山から下りてきた登山者の利用も多い。公共交通機関では武蔵五日市駅からバスを利用する手段しかなかったのですが、令和6年に梅が谷(うめがた)トンネルが開通したことから青梅駅からの路線バスも走るようになっています。(ただし、土日のみの運行となっているので、利用時は注意のこと)

武蔵五日市駅からと青梅駅からと2系統のバスが来ている

⑦岩蔵温泉(青梅市小曾木)

「新編武蔵風土記稿」において「疝気の病にてなやめるか、あるいは骨をくだき身を打たるの類を治すこと、はなはだ効験ありといえり」とも書かれているように、古くから湯治場として利用されていた。
元は日本武尊が東征の折にこの温泉で身を清めたとされ、その際、岩の穴蔵へ鎧一領を納めたので岩蔵と名が付いたという地名の起源伝説にも関わっています。
湯井は深さ130cm、直径125cmで、その上に「湯之権現」が祀られている。単純硫黄冷鉱泉
岩蔵温泉の場所は、青梅市史に付属の地質図によると立川断層が通っている場所であり、断層と温泉とは何らかの関係があるように思えてきます。
岩蔵温泉は東京都唯一の温泉郷として最盛期には5件の温泉宿があったのですが、現在は「儘多屋(ままだや)」1軒のみが営業を続けており、里山風景の中に静かに佇んでいます。

後ろの社が「湯之権現」で建物の中に湯井がある
以前は5軒の温泉宿があったが現在営業しているのは「儘多屋」のみ
周辺の地質図、岩蔵温泉は立川断層と関係があるように見える

⑧クア・ガーデン(日野市程久保。現在、施設はない)

ホンダ系列の鈴鹿サーキットランド(当時)が運営する遊園地「多摩テック」内において、子どもから年配者まで快適に楽しめるアメニティ施設として、温泉を設置しようと平成6年からボーリング作業を始め、1,600m掘り進んだところで温泉が湧出したもの。そして平成9年に多摩地域随一の湯量を誇るリゾート型の温泉施設として「クア・ガーデン」を開業しました。
しかしその後、東京ディズニーリゾート、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンといった大規模なテーマパークに圧されて徐々に利用者数が減少して、とうとう多摩テックは平成21年に閉園となってしまいました。
地図には「多摩テック」時代の園内路がそのまま地表構造物として描かれており、その中に、温泉施設は現在はないのですが、温泉の記号が今も表示されています。(せっかく掘り当てた源泉ですからきっと管理されているものと思います。)

クア・ガーデンへの入口は塞がれている
「多摩テック」の園内地図(当時)
GoogleEarthで見た現在の様子。建物は取り壊されて更地になっている。源泉はどのようになっているかは不明