気温が35度を超えて命にかかわる危険な暑さが続く日々。閉じ籠っていた部屋を飛び出して冷たい沢水が流れる“涼風地帯”へ逃げ込んだ。ここ御岳岩石園(通称・御岳ロックガーデン)は奇岩、巨岩、怪石が御岳沢にゴロンゴロンしていて、その岩や石を緑鮮やかなコケが覆う世界だった。御岳山(標高929m)直下の南側を流れ落ちる御岳沢にある七代の滝から綾広の滝まで約1.5kmを遡った。御岳沢は大岳山(1267m)を源にする。両岸の梢は、日差しを透かして新葉のように見えたり、深緑にも見えたりした。足元の奇岩の大岩や怪石を覆い尽くすコケは瑞々しく、赤ちゃんの肌のような軟らかい絨毯にそっと掌を添えた。冷感が伝わった。
長尾平から七代の滝へ急降下
御岳登山鉄道(ケーブルカー)の御岳山駅前にある商店のシャッターに「ただの山じゃない。御岳山」と大書きした文字が目に飛び込んできた。『きょうは、どんな山容を見せてくれるのか』と期待と不安が入り混じる。武蔵御嶽神社へ向かう参道は、何度昇っても身に応える。神社まで368段ある。私の前後を歩く女性グループは「どこまで行けば、神社なのぉ~」と悲鳴を上げている。これも御岳山の洗礼か。
ロックガーデンを目指している当方は、神社下で参道から離れて長尾平入口にある七代の滝・ロックガーデンへの急な下り階段を延々と降りた。階段になった不揃いの飛び石は段差が様々。山道を塞ぐように張り出した木の根。足元から目線を逸らせない。山道脇に大木もある。多様な山の顔が楽しめる。
転落事故死の警告に身縮む
一気に180mほど下った地点が御岳沢だった。飛び石を渡る。水が澄み、誘われるように手の指を水の流れに差し込んだ。20秒間も入れておられない。冷たい。汗まみれの体が冷えていった。これから先に難関が待ち受けていることを忘れた。
標高690m地点にある七代の滝を目指す。登るにしたがって息が荒れる。汗が噴き出す。眼前に立ちはだかる鉄製の階段に足を止められ、息を整えさせられる。階段を昇った所の大岩に小石大や砂状の小岩が散らばり、さらに水に濡れて滑りそうだ。
別の岩壁にあった警告板が目に入った。赤地に白抜きの文字で「滑落死亡事故発生」とある。「滝周辺の岩場は大変滑りやすく、崖下まで転落する恐れがあるので滝に近寄らないでください」。
霧が虹に変わる? 七代の滝
滝壺周辺は大岩で閉ざされている。落水の音がするが、滝は見えない。足下は一枚岩の狭い広間。岩と岩の間に水が割って入ったような流路を跨いで滝壷の前に出た。滝は、岩の屏風の上から流れ落ちていた。大小8段からなり、全体の落差が約50mあるという。目の前に展開する部分は落差が10mほど。落水に勢いがあり、霧が舞う。差し込む日光の角度によっては虹が浮き立つのだろうと想像して七代の滝と戯れた。
200年近く前から江戸市中をはじめ、関東一円に知られていた七代の滝。ネタ元は国文学者だった齋藤義彦が作製した「御嶽菅笠」だったという。8段に流れ落ちる滝を俯瞰したように描いていて、いまもこの角度から見下ろしたいものだと思わずにいられなかった。
そんなおとぎ話は、すぐに雲散霧消した。ロックガーデンへ向かう山道は、斜面また斜面で、ここを這う鉄製の階段が5本も6本も続いた。顎が出そうだった。階段を昇り切った先の森の中に岩がこんもりと突き出ていた。天狗岩だ。
歩きやすい山道に すぐ天狗岩
最後の階段を昇り切って疑問が湧いた。七代の滝ルートには十分過ぎる面白さを味わえるが、誰もが気軽に楽しめるわけではないと実感。その結果、七代の滝へは行かないが、歩きやすいルートに変えて再訪した。長尾平から七代の滝方面に下りないで大岳山方面への山道を数分先へ行き、途中の「天狗の腰掛け杉」手前の山道を左へコース(道標あり)を取り、天狗岩・ロックガーデンへダイレクトに入るコースがお奨めと判断した。
大岳山への登山道から天狗岩・ロックガーデンへのショートカットコースは、やや急坂を下ること15分ほど。全体的に歩き易いコースだ。一呼吸入れるために林地を見渡した。下草がなくすっきりした林床に見とれた。後続の孫を連れた一家がいつの間にか私の前方に。天狗岩が目の前に現れた。高さ8mの大岩だ。天狗岩には鎖を伝って登坂出来そうだが、避けた。岩のてっぺんに立って七代の滝を守る烏天狗の像を下から仰いで良しとした。大天狗の像もある。
日差しで異なるコケの色映え
天狗岩を過ぎると山道は、やや平たんになり、頭上には雑木の葉が覆い被さる。この先で御岳沢に出た。緩やかなカーブを描いて下ってくる沢を遡る山道が続く。この辺りがロックガーデンの入口だ。奥に進むにしたがって沢は様相を変えて大岩が出現する。
岩を覆うコケは日陰の部分は柔らかくしっとりとして、日光が差し込んだ所はコケが光る。薄日に浮き立つ所ではコケのツヤや色映えも違って見えた。こんなコケの世界、錦絵が延々と続く。飽きない。気持ちが弾む。下界の猛暑・熱暑・酷暑を忘れさせた。
東京府、遊歩道開設90年へ
ロックガーデンは昭和10年(1935)、当時の東京府(東京都の前身)が天狗岩の背後から約1km先の、これから私が行く綾広の滝の上までの渓流と露岩などを生かして作った遊歩道沿いだ。昭和10年といえば、ハイキングが人気で、「ハイキング」は流行語にもなっていた。一方で天皇機関説が飛び交い、東北の冷害による食料難、渋谷の忠犬ハチ公が死んだ年だ。翌年、2.26事件で大蔵大臣・高橋是清らが殺害され、内閣総辞職という不安定な時代ながら、国民はアウトドアの必要性を求めていた。
別世界のコケ・ワールド
そんな舞台の一つがここ御岳ロックガーデン。山道脇を流れる清流や飛び石を跨いで水辺が楽しめるとあって年間を通して人々がやってくる。岩という岩は奇石や怪石が次から次に現れる。水辺の岩石にはびっしりとコケが覆って別世界を醸し出している。大岩で頭をぶつけそうなほどに出っ張り、頭上を覆うところもある。
以前、この渓流で仲間と楽しんだ情景が蘇った。岩を噛んで流れる水とコケを前にして鍋を囲んだ時のあの味が。行き交う登山者から「あやかりたいな」と羨ましがられたものだ。あの日もきょうと同じ、一面に広がる瑞々しく愛らしいコケと岩と水に目を奪われた。コケの種類は、私には定かでないが、ヒノキゴケやハネゴケの仲間などがあるという。それらが岩という岩に張り付くように水辺全体を覆っている。途中の神社下の集落の石垣にもツヤゴケやスナゴケの仲間などがあるという。コケは全山で30種ほど見られると御岳ビジターセンターでは言っている。“コケ女子”に人気の山だそうだ。
高原の風が吹く渓流
このエリアは北海道や東北内陸部、北関東から甲信越、飛騨、北陸にかかる高原地帯の気候に似て亜寒帯植物が多く茂っていることから「東京の奥入瀬」という別名もある。一帯は昭和25年(1950)7月10日に秩父多摩国立公園になった。その50周年を機に平成12年(2000)8月に山梨県エリアを加えて秩父多摩甲斐国立公園になった。渓流沿いに休憩所やテーブル、トイレを整えている。この日も一人歩きや家族連れ、グループ、団体の中学生らの登山者でにぎわっていた。
神職の禊や滝修行体験も
写真を撮り、コケを見、後ろを振り返って、また写真を撮って歩いた。流水に手も差し込んだ。緊張の連続で七代の滝を目指したのとは大違いのロックガーデンの渓流歩きは心安らかで、この夏にこそ相応しかった。
一日の仕上げを待っていたのは綾広の滝だった。ストレートに水が落ちる直漠で落差が8m。滝の周囲は半円の岩屏風だ。武蔵御嶽神社神職の禊や神道の修行者、最近では滝行体験者も滝に打たれている。
滝壷手前には「お浜の桂」の木がある。根元から数十本のひこばえが生えていて主幹が見えない。樹高38mと高くまっすぐに天を目指している。目通り4.0m。元禄年間(1688~1704)からこの地に根を張って300年を超えるという。
「大菩薩峠」のヒロイン、お浜
このカツラの名前は、中里介山の長編小説「大菩薩峠」のヒロインの名にあやかったものだとか。お浜は、甲源一刀流師範の宇津木文之丞の内縁の妻だったが、机龍之介と出会って同棲する。後に龍之介に殺害されるという悲劇に遭う。付近には祠がいくつもあり、御岳山が信仰の地であることを示す。
登って来た山道は、大岳山登山路に出合ったら右折。これを道なりに下れば、長尾平、武蔵御嶽神社下、参道商店街を抜けてケーブルカーの御岳山駅に着く。