鉄道と道路の交差というとこれは踏切のことですが、あることを発端にして、この踏切に関する法律を知ることとなりました。今回は、そのことを書きます。
その発端というのは、西武新宿線で花小金井-小平間を走行する時に、いつも気になっていたことでした。
列車がスピードを落とすのは、停車駅が近づいてきたときに減速するというのが普通なのですが、この区間を列車が走る時、停車駅があるわけでもないのに必ず途中でスピードを落とすのです。
花小金井駅から軽快にスピードを上げてきた列車が急にスピードダウンしてカーブ状に数百メートル走行し、その後線路が直線に戻ったところでまたスピードを上げて小平駅に入っていきます。
そのスピードダウンしたところで列車の外を見ると、そこには青梅街道との踏切があります。
青梅街道との踏切の前後に緩いカーブができており、そのカーブを通過する時に列車はスピードを落としているのです。
広くて平坦な武蔵野台地面上ですから、何もわざわざカーブを作らなくっても、真っすぐにレールを敷いてしまえばいいじゃないか、と思うのですが…。
地図を見ると、確かに青梅街道の手前と後ろでカーブになっていて、そこ以外の場所では直線路です。何かを避けるためにそこで曲がっているわけではなさそうです。あるとすれば、青梅街道です。ちょっと尋常ではない様子を感じます。
「何かあるぞ」と思い、ネットであれこれ探索しました。
そうしましたら、……ありました。
「道路構造令」(「道路法」に係る政令)の第29条です。
第29条は「鉄道等との平面交差」について規定した条文です。
そこには、「交差角は45°以上とすること」と書かれています。
要するに、鉄道と道路が交差するときには、その交わる角度は45°以上にしないといけないということです。
一般的には鉄道と道路は約90°で交わる(直交)のが普通ですが、何らかの事情で鉄道と道路が浅い角度で交わることとなった時には、踏切を横断する際に車輪状のものはレールに車輪をとられて線路内に落ちてしまうことがあるかもしれないし、その頻度も多くなるかもしれないということ、それに踏切の幅が長くなって危険ゾーンが広くなってしまう、ということで45°以上の角度を定めたものなのでしょう。感覚的に分かります。
国土地理院の地図上で青梅街道のこの踏切の角度を測ってみます。
花小金井駅と小平駅を直線で結ぶと、青梅街道と交差する所だけがぐにゃぐにゃと曲がっており、他の場所では、この直線と線路は一致しています。これを見るだけでも、この踏切の特殊なあり様がはっきりとします。
さて、この直線と青梅街道と交差する角度をみてみると、約27°になります。
45°より小さく、法律の要件を満たしていません。
次に実際の線路と道路の角度を測ってみます。45°あります!
角度が法律で規定する45度になるように線路を曲げているのがわかりました。
さて、このことを知ると、どんな踏切も45°以上の交差角を確保しているのかな?という点が気になります。この視点で踏切の状態を眺めると、今まではっきりとは意識していなかった姿が見えてきました。
■線路を曲げるのでなく、道路を曲げて45°を確保している踏切(どちらかと言うとこの方式が多い)
このタイプの踏切は花小金井駅のすぐ南にありました。
地図ではちょっとわかりづらいですが、右上の芝久保町から西南西へ延びる道が線路と交差する所で、道が直進するのでなく南にちょっと膨らんだ形になっています。そして、もともと真っすぐな道であったときの痕跡のようなものが、脇に細い道(黒の実線)が描かれています。
地図ではなく航空写真で見るとその様子がもう少しはっきりと分かります。
航空写真を見ると、曲がった道路をつい最近作ったような印象を与えますが、西武新宿線は昭和2年(1927)に開通していますので、そんなことはありません。昭和2年から道は曲げられています。
実は、細い直線路は江戸時代に開削されて長年使用されてきた「田無用水」が暗渠になりそこを歩道として利用しているものです。用水まで道路構造令に拠って流路変更する必要はなかったのでまっすぐのまま存置しているのですね。
いずれにしても、道路を曲げて45°の角度を確保したということです。
他の場所でも探せば出てきます。幾つか例示します。
今の地図ではなく、鉄道が高架になっていない古い地図の方が見つけやすいです。
もう一例。立川駅の西側のJR青梅線の踏切です。ただし、今はこの踏切はなくなっています。
明治39年の地図を見ている限りでは、鉄道敷設前後で道の経路変更があったとは断言できないのですが(もともと曲がっていたかもしれない)、鉄道開通前の地図も併せて見ると、確かに直角に近い形で踏切を作っていることが分かります。さらにこのケースでは、曲げた道の西側部分については青梅線の軌道と重なってしまうためにその先までも付け替えてしまっている様子が浮かび上がります。
東側は甲武鉄道の立川駅ができた時(明治22年)に、駅舎に掛かる道路は駅の用地に変更され、一部区間が消滅しています。
対応する道路を青色にして、明治13年と明治39年の地図を対応させたものが次の二つの図です。
■踏切を作らないで道路の分断を甘んじる
基本形は、線路を曲げるか道路を曲げるかの二択になりますが、もう一つ、「踏切はつくらない」という方針もあります。
次の地図は武蔵境駅の西側にある西武多摩川線によって分断されてしまった道です。(規模がちょっとミニサイズですが。)
写真のように踏切はなく、線路のこちら側とあちら側で、道が途切れています。この道の利用者は不便になったのですが、南側の道を通って線路を通過しています。
鉄道と道路の交差する角度を45度以上にしようとする場合、工事やその後の運用を考えた時に、鉄道を曲げるのではなく道路を曲げる方が一般的でしょう。
最初に示した花小金井-小平間の踏切の例は、何か特別な事情があって、鉄道側が譲歩したという特殊なケースではないかと思われます。
ですから、電車に乗っていて、「あれっ?」と違和感を覚えるのでしょうね。