住吉神社の「算額」

片倉城跡公園の中にある住吉神社に奉納されているという「算額」をみたいと思い、春の片倉城跡公園を散策しながら住吉神社を訪ねました。

JR片倉駅から公園までの歩道には、6種類の公園の特色が描かれたマンホールが並んでいて、一枚一枚眺めながら歩いていくと自然と公園に辿り着くようになっていました。

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本丸広場、二の丸広場へと続く散策コースを歩くと斜面一面に咲くカタクリを見ることが出来ます。公園はこのカタクリや春の野草を愛でながら歩く人で賑わっていました。湧水を利用した菖蒲田も広がっていたので、開花の頃に訪ねてみたいと思います。

 カタクリ
ニリンソウ

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  スノーフレーク

公園を散策した後、「算額」のある住吉神社へ向かいました。

住吉神社

住吉神社

          住吉神社

鎮座地

八王子市片倉町2475番地

御祭神  

 上筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)           

由緒 

 鎌倉管領片倉城主、長井大善大夫道広が応安5年(1372)城の鎮守の神として摂津

 (大阪市 住吉大社を勧請したのである

 慶安2年(1649)10月17日、徳川3代将軍より朱印7石を受ける

 境内は城跡で、都の指定を昭和11年3月受ける

令祭日

  8月第4日曜日

          附記

当神社には、嘉永4年(1851)川端元右衛門泰吉および、その門人が「数学の実力がつきますように」という祈願された算額が奉納されています。

住吉大社境内の案内板より

                     

 住吉神社の参道
 住吉神社への階段
 本丸広場から見た住吉神社
住吉神社 

住吉神社の「算額」

「算額」とは、江戸中期に、和算の問題や解答、数学塾の子弟の名簿を絵馬や額に書きつけて神社、仏閣に奉納したものです。自分の研究や、学んだ数学が今後も向上していくことを願ったものだと思われます。「算額」奉納は流行して、明治初期まで続きました。算額は全国で900枚ほど見つかっています。

住吉神社の「算額」の奉納者は川端元右衛門泰吉(片倉)、門弟、鈴木進次郎(片倉)・杉本藤吉安乗(片倉)・青木彦三郎纂考(打越)・綱木重兵衛金布(片倉)・森田〇大良扶正(片倉)の片倉周辺在住の6名です。

「算額」の冒頭に書かれている「関流(せきりゅう)」

「関流」とは、関孝和(せきたかかず・1635年か1643~1708)を「算聖」として崇めた和算の学門の流れです。和算は特に江戸時代に日本で独特に発達した数学です。

関孝和は、1674年に著した『発微算法』(はつびさんぽう)では、独自の記号法(傍書法)を開発し、それまでの和算の数式表現力を向上させ高等数学への道を開きました。のちに弟子により、研究成果を体系化し、後世に伝えられました。関を崇める和算家達は関流を名乗り日本の数学の正当流派を主張しました。

江戸初期は、大阪、京都が数学の中心でしたが、関孝和以降江戸の関流が主流になり、和算は代数学、解析学、幾何学において、高度な発展を遂げて行きました。

明治5年、学制で西洋数学の導入が為され、和算は終わっていきますが、日本数学会の最高の賞が「日本数学会賞関孝和賞」、若手数学者の顕彰の「日本数学会賞建部賢弘賞」に関、建部(関の弟子・建部賢弘(たけべかたひろ))の名が残っています。

設問の内容は?

「算額」がどういうものなのか分かりましたが、さて、額に書き込まれた問題の内容はどういうものなのでしょうか?

「算額」にみられる一問目の並んだ二つの円についての漢文の問題と解答に以下のような解説があります。

1.片倉住吉神社算額ー1問目

        (・・・)

1ー1. 設問の内容は・・・。

漢文の用語は、空責=図の面積のこと、円至=円の直径。

「図の如く、空席の面積が或る値の時、2個の等円の直径はどの様に求まるか?」と問われている。「答 云 等円至若干」は「答 等円の直径は或る値になると云う」いみで、「故本術日・・・」以下に解答は詳しく書かれている。

東京都八王子市 片倉・住吉神社の『算額』の解説 3頁 学園都市大学古文書研究会

「算額」の4問の解説はこちらの『住吉神社算額』をご覧ください。 

帰りは公園の隣を流れる湯殿川沿いを歩きました。

参考:「東京都八王子市 片倉・住吉神社の『算額』の解説」 学園都市大学古文書研究会