駅の開業よりもビール醸造が早い豊田、駅周辺のいま・むかし

豊田駅

2月22日中央線豊田駅開業の日。121年前の明治34年(1901)、日野町の河野清助の日記には、金曜日。午後ヨリ北風フク、甲武鉄道開業、花火アリ。と記されている。今年を西暦で20220222、豊田に出かけてみた。桑田村、日野町,七生村が合併して日野町となったのは、明治34年4月1日だから開業時の駅の所在地は桑田村大字豊田と呼んでいた時代だ。しかも桑田村となったのは明治22年(1889)4月1日それ以前は豊田村だった。変遷が激しい。

豊田駅の南側に着く、広くなった駅前は区画整理が進み大きく変わろうとしている。改札脇の職員詰め所の窓の上には駅名の看板が掛けられている、いかにも古そうなので、駅員に聞いてみるとドアーに貼った説明文を読んでください(私のように、確かめもせず聞く人が多いのだろう、ちょっとそっけない)、開業当時の駅名板だった。

駅名板の説明文
     駅名板

黒川清流公園

駅の北側は、日野台地と呼ばれる高台になっていて、駅はその崖下にある。駅から北東方向に細長く約1.7kmの段丘崖は「東豊田緑地保全地域」に指定(昭和50年(1975)12月26日、面積6.0ha)されていてこの区域内に「黒川清流公園」が整備されている。東京の名湧水57選に選定された「黒川湧水」が澄んだ水流を見せ、野鳥やコナラ、クヌギ、ヤマザクラの雑木林、これからはスミレ類、キンランなどが花を咲かせる。晴天の冬木立の林が爽やかだ。

黒川清流公園             「黒川清流公園の自然」パンフレットより
雑木林
ガビチョウ
コゲラ
シジュウカラ

村の鎮守

途中の「わきみず池」あたりから南東方向に進み、中央線の踏切を渡ると右手に豊田村の鎮守、若宮神社が見えてくる。慶安5年(1652)創建で、今年370周年を迎える。令和の大改修が行われていて、社殿は覆われよく見えなくなっている。日野台地の崖線下からこの辺りまでが一つの台地となっていて吹上台地と呼ばれる。この神社は吹上台地の上にあって、浅川に向かって南側はさらに一段低くなっている。断面を見ると三段の階段のようだ。

若宮神社

神社に近接して吹上台地の崖下に善生寺がある。豊田村の領主だった大久保勘三郎忠良が慶安3年(1650)に没すると、ここに葬られ、五輪塔の墓がある。この寺は、忠良が亡くなった娘のために正保2年(1645)2月に開創した大久山善生寺と言う。明治の初めには本堂が小学校校舎だったこともある。新潟県三条市の法華宗総本山・長久山本成寺(ほんじょうじ、2月3日に行われる鬼踊りは有名)の末寺。

善生寺
五輪塔

多摩平の森

豊田駅周辺地図(クリックすると大きく見られます)白枠は団地区域                     国土地理院地図使用

北口に戻ろう、駅前の道路(都道・豊田停車場線、昭和42年(1967)都道認定・延長約1.3km)を150mほど北に歩くと交差点右手に「イオンモール多摩平の森」の建物がしゃれた姿を見せている。平成26年(2014)11月にできた。昔を知る者としては小売店が並ぶ商店街が懐かしい。

駅から北側を見る 右手イオンモール
昭和30年代の商店街 東京都三多摩公立博物館協議会資料より

昭和33年(1958)から入居が始まった多摩平団地、中央線沿線の人気の団地で高倍率、なかなか入れなった。私も昭和50年代(1975~)にたびたび応募したが落選ばかり。

平成8年(1996)に大規模な建て替えと新たなまちづくり計画がスタートした。現在はURと民間開発によって、住棟の高層化などで生じた土地が商業施設や新たな居住空間に変り、「多摩平の森」と名付け全面的に建て替えられている。イオンモールの進出もこの一環だ。居住区には大きなケヤキなどの木々が多く残され、春の芽吹きの時には萌黄色に包まれるだろう。

昭和30年代全景 政府広報資料より
多摩平の森ケヤキ並木

工場誘致

昭和の恐慌で疲弊した日野の経済、この危機の打開に向け工場誘致を働きかけ、昭和10年代(1935~)に、現在の日野自動車、コニカミノルタ、富士電機などの企業が誘致された。豊田駅が橋上駅に建て替えられたのは昭和44年(1969)、北口が出来たのも昭和40年代と聞く。昭和32年の地理院の航空写真を見ると甲州街道までの道はあるものの、通勤は不便だったろうと想像する。平成23年(2011)に日野自動車の工場移転の発表があり、日野市に激震が走ったのを覚えておられるだろう、本社機能は残っている。

昭和32年航空写真       国土地理院写真使用

TOYODA BEER

豊田と言えば天狗のマークを商標としたTOYODA BEERを忘れてはいけない。旧家山口家の当主だった山口平太夫(1840~1922)が明治19年(1886)に多摩地域最初のビール醸造を始め山口ビールとして販売した。これを平成27年(2015)に復刻した。(醸造は石川酒造が行っている)山口平太夫は、熊川の石川酒造の創業者13代石川彌八郎の娘と結婚そののち豊田に戻り名主を務めた。なお、豊田駅の開業には、停車場の敷地や建物を大部分寄付するなど山口家の働きが大きい。

TOYODA BEER

イオンモールで買ったTOYODA BEERをかたむけ、豊田の今昔を振り返ろう。