大國魂神社のなかには、いくつかの境内社がありますが、その一つ松尾神社をご紹介します。
日本三大酒神神社
酒神神社とは、お酒に関係のある神を祀った神社のことをいいます。
数ある酒神神社の中でも、大神神社(奈良県)・梅宮神社(京都府)・松尾大社(京都府)の3つが「日本三大酒神神社」として全国的に有名です。
大神神社(三輪神社)(奈良県桜井市)は、三輪山にあって大和朝廷の神事で用いられる酒を醸すという役割を担っていた歴史があります。神に供える酒という意味の「神酒」は現代読みでは「ミキ」ですが、昔は「ミワ」と呼ばれていたそうです。
また、酒蔵の軒先に新酒が造られた合図として掲げられる「酒林(さかばやし))」(杉玉とも言う)は、三輪山の杉の葉でつくったもののことをいい、全国の酒蔵に届けられているそうです。
梅宮神社(京都市右京区)は、酒造の守護神と呼ばれる「酒解神(サケトケノカミ)」が祀られています。「木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」の言い伝えにならい、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子が梅宮神社に祈願したことで子を授かったという歴史から、子授け・安産の神としての信仰も強い神社です。
酒解神は元々「大山祗神(オオヤマズミノカミ)」とも呼ばれていましたが、木花咲耶姫命が「彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)」を出産した際に、酒を造ってお祝いをしたことが酒造りの祖とされていることから酒解神と呼ばれるようになったそうです。
そして、松尾大社(京都市右京区)は、大山咋神(オオヤマクイノカミ)が御祭神として祀られており、京都の松尾大社を総本山として、全国に20以上の松尾神社が存在します。
府中市の大國魂神社神社の境内社としてある松尾神社もその一つです。
松尾神社
・祭神 大山咋命(オオヤマクヒのミコト)
・例祭 9月13日
寛政12年(1800)8月、武蔵国の醸造家のために勧請されました。鳥居は、文化4年(1807)に建立されたもので、奉納した醸造家たちの名前が刻まれています。
御祭神である大山咋命は、太古より醸造の神であると共に開拓の神としてもあがめられており、酒・味噌・醤油・麹などの業者のみならず、開拓関係者の信仰も厚かったそうです。
昭和31年(1956)に東京都酒造組合により、現在の覆屋が奉納されました。
江戸時代は、江戸でも酒造が盛んになりました。
徳川幕府が開かれて、お江戸は急速に発展していきました。人口が増えるにつれて、当然のように飲食の需要も拡大し、おしなべて庶民の生活が華美な傾向となっていきました。(バブル時代のようなイメージですね。)時の老中「松平定信」はこの風潮を心配して、民衆に向けて「諸事倹約の令(節約をしなさいという命令)」を発っしました。また、「西国ヨリ江戸ヘ入リクル酒イカホドトモ知レズ、コレガタメニ金銀東ヨリ西ヘ移ルモノイカホドト云ウコトヲ知ラズ(江戸の民衆の酒代でどんどん関西にお金が流れてしまっている!)」と嘆き、この経済摩擦の解決策を考えました。そこでお江戸(東京都)の酒蔵の出番です。幕府は寛政2年(1790年)地元の有力酒造家11軒を集めて優良酒製造の相談を行い、幕府所有米14,700石(2,205トン)を貸し与えて上精白酒3万樽の製造を命じました。そうして誕生した優良酒は、江戸表で「御免関東上酒売捌所」の看板で直接江戸の民衆に販売されました。この頃から江戸の酒造業が一段と発展したと思われます。
引用元:東京都酒造組合
2020年・2021年は、コロナ禍で中止になりましたが、2019年まで東京都酒造組合主催のイベントとして、松尾神社の鎮座する大国魂神社境内で、地域活性と日本酒文化の活性を目的とし「武蔵の国の酒祭り」が開催されていました。かなりの人気、盛況ぶりだそうです。コロナが落ち着いて再開催されるのを心待ちにしている方々も多いことでしょう。
水神社の人形流し
拝殿に向かって左側をいくとすぐ目に付くのが、「人形流し」の案内板。水神社があり、地下120mからくみ上げられる神水が流れ出ています。人形に名前をかいて、水神社からの流れに流す「人形流し」(初穂料100円)があります。厄や穢れを人形に移して水に流すことにより取り除き、心身ともに祓い清める儀式です。
大麻(おおぬさ)で自祓いを行い、名前を書いた人形で身体の気になるところを撫でて息を吹きかけて、水に流します。
日常の穢れ災厄を水に流して、大国魂神社を後にしました。