寝起きに飲む1杯のコーヒー。三度の食事。新聞、本を読む。パソコンに向かうときも、ボケ~とテレビを見るときも、イスやソファが欠かせない。和室を使うのは寝るときだけだ。ましてや今日のようにコロナ禍を避けるために家でイスとソファに座ることが長時間にわたる。
私は上京するまで畳生活で育ったから正座するのが当たり前だった。だが半世紀もイスとソファに座る生活を続けていると、訪ねた先で和室に通されると、正座していられない。挨拶もそこそこにさせていただき胡坐で失礼している。だって、10秒も正座していると、両ひざ、両足がしびれて相手の話が耳に入らなくなる。最近では寺や神社でもイスが用意してある。ホッとする。
団塊世代の私が学習机とイスに対面したのは幼稚園に入園したときだ。学校用の学習机とイスが本格的に導入されたのは戦後間もないというから、ほぼ一期生だ。そんなことを振り返っていたら『そうだ、家具の博物館へ行こう』と思い立った。日本のイスをはじめ、家具に影響を及ぼした欧米の家具を集めた博物館だ。日本のイスの源流が辿れる。「青梅線駅前の顔」シリーズに推し上げたい。中神駅北口から5分ほど歩いたところのフランスベッド東京工場内にある。
同博物館には17世紀から19世紀にかけて欧米各国で使われたイスやテーブル、チェスト、カップボードなどとりどりの家具が一堂に展示されている。日本の収納具や照明具、裁縫具、化粧具なども時代を蘇らせている。
日本のイスに影響を与えた19世紀後半の欧米のイスや20世紀のモダンなデザインのイスなど世界各地の暮らしの中から生まれたイスなど個性あふれる品々は、いずれも時代と使う人の権威を映し、その下で暮らした庶民の悲哀もにじむ。散逸しがちな世界の家具1700点余りを収集して季節などに合わせて展示、公開している。
イスが生まれて5千年になるという。古代エジプトなどオリエント諸国ではイスが王侯・貴族や領主など社会的地位と権威を表した。このイスを市民生活に取り込んだのが古代ギリシャ人であり、さらにローマ人へと広まったという。気候や風土、民族、社会生活などさまざまな違いと役割を担って世界に広まり、それらは多種多様な形態を生んだ。
近代まで床に直接座る生活をしてきた日本へは6~7世紀に中国から伝わったものの、平安時代以降、発達が止まった。この時代のイスは朝廷と内裏で使われ、天皇、皇后、親王や中納言以上に限られていた。普段使いではなく、儀式用だった。江戸時代になってイス文化は再び低迷したが、明治時代に欧米文化が流入したことに伴い、イス文化が急激に広まった。
イスと、一口に言っても様々だ。形態や用途、構造、材質、デザインと多種多様で多彩だが、追究された機能は単純明快。目的に対応する姿勢を正しく保持し、疲労感なく、長時間快適であること。
日本での普及のきっかけは昭和3年に国の機関として生まれた工芸指導所の誕生だという。本格的な普及は敗戦後だ。工芸指導所は進駐した米軍関係家庭の家具の設計や生産指導を行い、合板家具、プレハブ構造の家具、ポリエステルのイス、学校家具などの研究、生産指導した。展示してある中に学校家具のモデルとなった学童用の重いパイプイスと机があり、懐かしくもあった。
目を引いたのは明治時代に造られた「葡萄図蒔絵小椅子」と「柘榴図蒔絵小椅子」だ。ともに鹿鳴館スタイルで、当時、欧米で流行していたビクトリアン・ロココ様式の気球型の背形イスを基にしたものだという。日本では「だるま椅子」といわれた。葡萄図は、フレームに漆塗りの金蒔絵でブドウの絵を施したイスだ。一方の柘榴図は、フレームに漆塗りの蒔絵に螺鈿でザクロの絵を入れた小イスだ。双方、工芸品と呼ばれるほどに気品が漂い、「座って見たい」と思ってしまう。それだけに明治の庶民生活との開きにも思いをめぐらした。
時代も国も違うが、庶民の暮らしを象徴するかのように展示されていたのは、1780年ごろ、スペインの農家で使われていた三脚イスだ。でこぼこした土間でも安定するように三脚にしたものだ。背や脚の乾いた木肌、使いこなして丸みが帯びて、土や家畜の臭いも漂う風情があった。脇に添えられたカップボードも生活感をいっぱいに放っていた。
手に載せたくなるイスもある。長く高島屋東京店装飾部設計室に勤めた菊地敏之氏(1920-2015)は、昭和47年、赤坂離宮迎賓館の修復に携わり、家具や照明器具の調達を担当したほど世界の家具に造詣が深かった。その菊地氏が製作したイギリス、フランスなど世界を代表する西欧のイスの5分の1の縮尺で作り上げたミニチュア24点が見ものだった。デザインが精巧で体にフィットしそうな軟らかさとゆとり、気品が伝わるイスたちが明るい照明に浮かび上がっていた。
新型コロナウイルス感染防止で出社型勤務が減りつつあり、プライベート空間でのリモートワークが増えた今、ますます居心地のいいイスや家具の必要性が求められる時代がやってきた。