小高い丘に建つ菅原神社と井出の沢古戦場跡

自粛生活を経て、週一の相模原通いが再開しました。車で町田を通って行くのですが、多摩丘陵の向こう側の街は起伏というより山あり谷ありの地形に始まり、ちょっとした未知の世界で新鮮な驚きをもたらしてくれます。
途中、鎌倉街道と鶴川街道の交差するところに交差点「菅原神社」があります。道路に面して大きな鳥居があり、小高い丘のに大きな社があるようで気になっていたので訪ねてみました。

菅原神社

住所は「本町田」で江戸時代以前の町田とはこの地域を指し、町田村の中心地でした。
室町期の永享年間に近在の大沢左近正次は、先祖が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像を当地井手の沢の山上に奉安しました。1630年(寛永7)に子孫の大沢玄藩により新たに天神像が奉安され、その土地を寄進して村の鎮守としたのが菅原神社の由来です。

鎌倉街道に面した鳥居をくぐると参道はやや下り

582年(天正10)に本町田村から原町田村、大谷村が分かれました。それぞれの村は元の本町田村と同じ菅公を鎮守として祀りました。それが「町田天満宮」と「天神社」で菅原神社と合わせて町田三天神といわれています。

参道の先には急な階段が。鳥居はくぐらないがゆるやかな女坂もある

例年6月30日には、「夏越の大祓」の行事で「茅の輪くぐり」が行われるのですが、今年はコロナ禍により見合わせのようで残念です。立派な神楽殿があり例大祭にはお神楽の奉納も行われるようですが、それも見合わせとなるのでしょうね。
江戸時代、1722年(享保7)に本殿の再建、1785年(天明5)に社殿が造られました。現在の社殿は2012年(平成24)に竣工されました。

社殿。平成24年に江戸天明期以来237年ぶりの建てかえ

神楽殿。祭礼の時には神楽を始めとした芸能が奉納される

参集殿。初宮参りに家族連れが訪れていた

井出の沢古戦場

菅原神社の建っている場所は、東京都指定の旧跡「井出の沢古戦場」です。
1335年(建武2)鎌倉街道の町田村(現在の町田市本町田周辺)で、鎌倉を目指す北条時行軍とそれを食い止めようとする足利直義(足利尊氏の弟)軍との間で激しく合戦が繰り広げられ、直義は敗れます。一時的に鎌倉を占拠した時行も一月経たずして尊氏に滅ぼされました(中先代の乱(なかせんだいんのらん))。

鎌倉に幕府が置かれ、鎌倉街道が整備されると、この辺りは北関東から鎌倉に通ずる街道のなかでも要所となりました。府中方面からここまでは丘陵地で起伏がありますが、この先鎌倉までは一気に押し下れることからです。土地の形状から砦のようなものが築かれていたであろうとの研究も為されているようです。

史蹟「井出の沢」石碑

「井出の沢」のいわれについては、当時この地では澄んだ水が湧き出ており、その湧水地から現在の恩田川に続く沢が井出の沢と呼ばれていたことによるといわれています。
弁当の干し飯を食べるのに必要なきれいな水が湧き出ていた休憩地として、歌に歌われるほど有名だったようです。

 

社から玉川学園方面を眺める。眼下は鎌倉街道