武蔵野市の古刹で目にしたほっこりした出来事

武蔵野市八幡町に、五日市街道に面して関前八幡神社と延命寺という寺社が並んで建っている。江戸時代この地域は関前村と呼ばれ、開村時の寛文10年(1670)に鎮守八幡神社が創建された。その後明治維新の神仏分離令により、八幡神社は関前八幡神社と延命寺に分離されたという。

延命寺は真言宗智山派の寺院で、一年の開運を願う「武蔵野吉祥寺七福神めぐり」のコースに組まれており、正月は大勢の初詣の人でにぎわう。甘酒の無料サービスがあり、私も参拝の後、しっかりとご相伴にあずかっている。2杯目をもと思ってコップを,そぉ~っと出そうとするのだが周囲の目が気になり止めている。

延命寺本堂

この寺の本堂に面した右側寄りに、平和観音菩薩像が粛かに建っている。そして像の台座の横には250㎏爆弾の破片が置かれている

平和観音菩薩像

250㎏爆弾の破片

太平洋戦争中、延命寺は中島飛行機武蔵製作所(2020・2・20のブログ)から南へ250mと近かったこともあり、所有地を買収され、米軍の空襲による爆弾が境内に落下。周辺の地域では寺の檀家を含めて多数の犠牲者があった。

戦後、寺は檀家等の浄財で平和観音菩薩像を建立し、武蔵野女子学院(現武蔵野大学)付近に落下した250㎏爆弾の破片を展示したという。

境内に佇んで観音菩薩に目をやると、戦災で犠牲になった方の遺族だろうか。年輩の女性が観音菩薩に手を合わせ、祈りを捧げていた。その横では孫と思われる2歳くらいの女の子も手を合わせていた。ちらっ、と祖母を見、祖母の祈りが続くのを見ると、また手を合わせていた。