御朱印との関わり

小さいころから、名所旧跡、寺社巡りが好きで、歴史に好奇心旺盛であったが、何故に寺社参りをすることになったかと言えば、何の変哲もない小さな切妻木造住宅に住んでいると、地元のお祭りで行く神社や法事で通うお寺の、それなりに大きくて工夫を凝らした意匠・建築様式が奇妙であり、驚きまた魅入られたものであった。それが、成長して社会・歴史を学んで、行き来する寺社の数も地域も拡大すると、規模も宏壮で優雅で手の込んだ意匠等に触れるたびに興味が上増ししてきた。今では、歴史好きを自認しているが、何故に歴史好きになったのかと自ら問うてみると、まず当初は寺社・城等の建築物の大きさや華麗さの更なる上位物を求めて動いたからかもしれない。

40歳前に関西に転勤し、勤務先仲間とレクリエーションで吉野へハイキングに向かった時、修験堂総本山吉野山金峯山寺の権現堂(東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築)で蔵王権現像3体の姿態に圧倒されていると、仲間が小さな帳面をもって寺務所に向かっているのを見て、尋ねると御朱印をいただいているのだという。当時は200円。これまで子供の付き合いで駅スタンプラリーやハイキング記念スタンプ巡りは経験していたものの、「御朱印」はこの権現堂で初めて知った。そうか、来訪した記念に残すのもいいものだと思い、集印帳(或いは、御朱印帳、納経帳他)を買い求めて、御朱印をいただいた。以来、集印帳の残りの余白ページに、観光記念の御朱印を頂きながら、赴任地として折角来た歴史的建造物の多い京都奈良を巡ってみるのも面白く興味深いものだと、建築物構築物興味が第一で、寺社巡りを始めた。御利益を求めるのでもなく、パワースポット探しの旅でもなく、文化財探索・歴史関連知識吸収が主意であった。それが、各地を廻り、物理的な建築物だけでなく、仏像に見入って静謐や慈愛を感じ、作者や由来を知るにつけ、また数百年来の参拝者の数とそれぞれの人たちの思い入れを想像するだけで、御朱印の残余の余白ページが、次の新しい感動へ誘い、引き連れていってくれるようになっていた。                                                                        金峯山寺 蔵王大権現

もともと「御朱印」とは、お寺へ写経を納めた納経の受取印であった由。江戸期半ばの頃からようだが、納経しないでも(少額の志納金で)参拝の証として御朱印を押捺してくれるのが大勢である。納経(写経の奉納または読経)が必要要件だという寺も多少はあるようだが、大手の寺社では御朱印受付担当者を配しており、今の大変なブームに対応している。とはいえ、いつでも受付対応するには、人員の常時配置が必要で、受付期間を限定したりしていることもあり、いつでも思ったときに御朱印をいただくことができるわけでもない。築地本願寺のように、御朱印は致しませんと公言する寺もある。