「第50回多摩めぐり 作家吉村昭の書斎を訪ね、あわせて多摩地域の東端エリアを散策する」を12月21日(日)に開催します

第45回多摩めぐり 水豊かな柳瀬川・金山調節池と
川沿いを歩き清瀬水再生センターを見学する 

柳瀬川左岸の金山調整池にある越流堰のそばを通る多摩めぐり参加者たち

ガイド:吉田 敏夫さん

主なコース

西武池袋線清瀬駅 → <バス> → 下田バス停 → 柳瀬川金山調整池 → 伊藤記念公園 → 旧森田家 → 円通寺 → 清瀬水再生センター(解散)

清瀬市中里の柳瀬川両岸に崖線が走る。この日の穏やかな流水とは裏腹にこれまでに幾度も荒れ狂った水は武蔵野台地を嚙んで崖線が生まれたもので、その形状を目の当たりにした。崖線を下った先にあるのが金山緑地公園と金山調整池。陽と陰の施設が隣り合わせだ。気持ちがよいほどに空の広さを感じながらも、これまでの経験から荒れ狂った流水をいったん調整池に引き込めて下流の被害を軽減する施策施設だ。両岸には縄文遺跡があり、古くから人々が住んできた地域でもある。いまもニンジンをはじめ、ホウレンソウやゴボウなどの栽培で東京産野菜の収穫量の上位を誇る。この土地にはまた先人が守り抜いてきた民俗行事が受け継がれている。一方、清瀬市や周辺自治体は人口が急増したことで出現した現象が下水処理や河川の汚濁だった。清瀬水再生センター(前身は清瀬処理場)が生まれて43年になる。以来、柳瀬川は見違えるように清流を取り戻した。普段、水を使いっぱなしのわれらには目にも耳にも痛い現場を、10月16日、多摩めぐりの参加者15人をガイドの吉田敏夫さんが案内した。

市民が集い、憩う柳瀬川

崖線を下り終えた地点が柳瀬川に架かる金山橋だった。南西から蛇行してきた上流側の河原で園児たちは石を拾い、それを投げ合い、駆け回っている。下流側では柳瀬川が一直線に流れる。

ゆったり流れる柳瀬川の河原で遊ぶ子供たち(金山橋付近で)

柳瀬川は、山口貯水池(狭山湖。所沢市)が上流端。東流して新河岸川(志木市)に流入。中流部で都県境を蛇行しながら北川(東村山市)、空堀川(清瀬市中里)、東川(同下宿)が合流する荒川水系の一級河川だ。延長19.6km(東京都区間8.19km)。

清瀬市中里付近でほぼ直線に下る雄大な柳瀬川

流域は昭和30年代から急速な都市化で雨水が地中に浸透しなくなり、河川への流入が増えたことによって水害に見舞われることが多くなった。昭和50年代に入ると、本格的に河川改修が行われ、水害対策が進んだ。その後、治水や利水だけではなく、多様な生物の生息や生育環境を整えて潤いがある空間、地域の風土と文化を形成する要素としての機能を持たせる河川にしようと見直された。河川法の改正などを経て、平成18年(2006)3月に東京都が打ち出したのは「柳瀬川流域河川整備計画」。おおむね30年間を対象期間として埼玉県とも協定を結んで進めている。

清瀬市は平成18年3月に「柳瀬川回廊構想」を打ち出した。この構想は河川や崖線の緑を保全するだけでなく、流域の水辺、緑、親水施設、文化財を一体的に繋ぐ、約4km区間を水と緑の回遊空間とした。きょう多摩めぐりで歩く柳瀬川金山橋-伊藤記念公園台田の杜-城前橋区間がそうだ。四季折々に野草や野鳥が楽しめる。

実質的なスタート地点だった金山緑地公園で説明を逃すまいと耳を傾ける参加者たち

隣合わせの緑地公園と調整池

金山橋のたもとには清瀬市最大の約2万㎡に及ぶ金山緑地公園があり、この日も大勢の人々の姿があった。この公園の一段下にあたるのが金山調整池だ。湧き水に恵まれた池だ。湿地もある。維持管理をしている「金山調節池保全ワークショップ」の調べによると、ヤナギなどの草木が240種、カブトムシなどの昆虫135種、カワセミなどの野鳥75種が確認されている。木々に囲まれた水辺には木道が敷かれ、散策気分が満開だ。超望遠レンズの放列に目が留まった。三脚を立てて野鳥を待ち構える写真愛好者が何人もいた。

木々の緑に覆われた金山緑地公園。平日ながら多くの人の姿があった

金山調整池は、繰り返される洪水対策で平成6年(1994)3月に完成した。東西約520m、南北約190m。周囲約1.1km。面積は約3万1500㎡。貯留量は4万6千㎥。柳瀬川が増水した場合、川沿いに設えた越流堰(えつりゅうせき)を越えた水を貯水池にいったん取り込む。池は小山を抱えたように自然豊かな斜面を背にしている。

水と緑に親しめる金山調整池。
魚や野鳥がいて季節の花々も手に取るように咲いて楽しい木道
金山調整池から柳瀬川に流れ出る水を背景に参加者たちが集まる

ふ化に成功してオオムラサキ飛翔

柳瀬川沿いを歩き、台田団地から「台田の杜切通し」を過ぎると、伊藤記念公園台田の杜だった。篤農家の長女・伊藤ヨシさんが平成17年(2005)4月に敷地約1万9千㎡を清瀬市に寄贈して4年後に緑地公園「台田の杜」がオープンした。園内にはコナラやクヌギ、エノキ、ヤマザクラなど30種以上が生い茂る。約1千㎡の竹林も緑の葉を濃く茂らせている。

この公園では平成24年(2012)度から森が本来持っている再生力を高めようと萌芽更新事業にも着手している。目指しているのは国蝶オオムラサキが舞う林に再生することだという。そのシンボルは公園入口にあるオオムラサキの飼育ゲージだ。高さ8m、幅5m、長さ10m。ここでオオムラサキが産卵してふ化に成功している。ふ化から飛翔までの循環技術を確立してボランティアらが維持管理に加わっている。清瀬市は平成24年(2012)4月に日の出町の谷戸沢処分場から幼虫を譲り受けて飼育を始めたものだ。毎年6月15日から公開している。

多摩めぐりの会では当初の計画の一つにオオムラサキを見るために6月に開催を呼びかけたが、雨模様で延期を余儀なくされた。この日は飛翔の時季を逸して後ろ髪を引かれながらゲージを後にした。

だが、多摩めぐり参加者の最終組にいた2人が人気のないゲージから飼育員が出てきたのに遭遇し、勧められてゲージに入ったという。見終えた2人は切通しを走り降りながら多摩めぐり参加者に合流。「幼虫がいたの、いたのよ」と目を輝かせて話した。2人が言うには「エノキの葉を静かにめくったら2~3㎝の幼虫がじっとしていた」。越冬中のその姿は眼を開け切らない赤子のような姿だったのだろうか。順調に育てば、来年初夏に飛翔する。

来年初夏の飛翔が期待されるオオムラサキの幼虫(渡辺千恵子さん撮影)

アユの産卵場に改善へ

一行は、再び柳瀬川の河川敷や土手沿いを歩いて江戸時代末に名主役だった茅葺きの森田家を目指した。土手の内側にあったヒガンバナの群落は、すっかり刈り取られていた。サクラの老樹も冬芽がこれから出る。

柳瀬川の土手に立ち、枝ぶりにも存在感があったサイカチの木

この川をアユの産卵場にしようという動きがある。下流の城前橋付近で産卵状況などを調べ、アユの産卵環境の改善を探るという。川沿いには清瀬市などが掲示板を立てて「魚類を一網打尽にすることは生態系に影響があるので控えよう」と呼び掛けている。さらに1月から5月までアユの成長期であり、年間通して10㎝以下のアユを取らないように呼びかけている。投網の使用も禁止だ。見かけた2人の釣り人はアユ釣りだろうか。土手にポツンと1本立つサイカチは景観に奥行きを感じさせた。それほど柳瀬川の光景はシンプルだった。

懐かしい茅葺きの森田家

旧森田家は、現在の市内野塩に定住し、幕末期に名主役を務めた母屋だった。7代目当主のころは「上の家(かさのうち)」と呼ばれていた。この地は石器時代や縄文時代の住居跡が発掘されており古くから人々が住んでいた。10~11世紀には水田が開発されて拓けていたという。

大屋根の旧森田家。前庭で遊んで里帰り気分になった人もいたとか

森田家は昭和59年(1984)9月に同市有形文化財に指定され、平成6年(1994)6月に現在の下宿に移築された。建築当初の森田家は、3間取りの広間型で、規模は桁7.5間、梁間4間で江戸時代中期後半から後期のものだ。その後、2回改築された形跡がある。森田家では一時、「うまかた」もしており「うまや」が増築されたこともあった。

「どま」に設えた竈。参加者それぞれが見つめる(旧森田家で)


太い梁や鴨居の旧森田家。
「ざしき」(手前)に続く「おくざしき」(左奥)や板戸で仕切った「かって」(右)にも温もりを感じる


「かって」に囲炉裏が掘られて家族団欒の風景が思い浮かぶ。
「おくざしき」(左奥)に迎える客はどんな人だったろう
(旧森田家で)

移築展示されている家は、昭和59年の解体時の間取りで、北側に下屋が増築されて「じょちゅうへや」が出来、「うまや」部分は「うちぶろ」と「はたば」に改築されている。土間にかまどがあり、縁側も長く、見学者は過ぎた在りし日を思い出すようだ。好天の日には縁側で一服したい思いに駆られた。

病や悪い虫防御するふせぎ行事

過ぎし日をさらに濃くしたのは、円通寺近くの三叉路だった。アラカシの木に藁で編んだ大蛇が幅7ⅿほどの道路を跨いで渡してあった。今年5月3日に行われた「ふせぎ行事」(例年5月3日に円通寺で行われる)で編んだもので、地域に病や悪い虫が入り込まないように願って同地入り口に架けている。「ふせぎ行事」は東京都無形民俗文化財に指定されている。困ったときの神頼みとは言うが、医療や科学が発達していない時代の人々の不安を解く最善が「ふせぎ行事」だった。先人の思いをいまに語り継ぐ地域の人々のお役も重い時代になったことを改めて感じた。

「ふせぎ行事」で編まれた蛇を見上げる参加者

威風堂々の長屋門で声明修行

清瀬市内で最も古い寺院の円通寺は長屋門を構えていた。真言宗の寺で山号を清水山という。円通寺は南北朝時代の暦応3年(1340)に開かれた。本尊の観世音菩薩(像高70㎝)は新田義助(新田義貞の弟)が奥州下向のときに相州鎌倉松ヶ岡からここに移したと伝わる。また、義助が持ち帰った観世音菩薩像は、御前立の観世音菩薩像(像高18㎝)だという説もある。

長屋門の内側で円通寺にまつわる説明を聞く参加者

長屋門の白い大壁と板腰羽目が重量感を醸し出している。これに載る大屋根にも目を見張る。幅14.1m、奥行き4.7m。天保15年(1844)の建造というから180年も前に建てられたものだが、いまも新築同様の威風を放つ。

25世住職だった青木融光(1891~1985)は鎌倉長谷寺の事務長などを務め、声明(しょうみょう)の第一人者として昭和53年(1978)に人間国宝になった。長屋門の修行道場で多くの学僧を指導した。

水再生に欠かせない微生物 田中倫明さん話す

多摩めぐりの一行は、この後、再び柳瀬川の右岸を下り、東の新座市、西の所沢市に食い込んだ清瀬市北方に位置する東京都清瀬水再生センターへ向かうのだが、清瀬市下宿地域市民センター前庭で、水再生センターで大活躍する微生物について事前学習した。微生物とはなにか、普段耳慣れない生物の予備知識を得てセンターへ臨もうというわけだ。この日の参加者の1人、田中倫明さん(日野市)の日ごろの体験を聞いた。

微生物の特徴などについて話す田中さん

田中さんは、水の浄化装置を扱う仕事に就いて30年になるという。家庭や事業所から排出された水をきれいにして川へ放流するまでが水再生センターの役目だ。その活躍者が目に見えない微生物だという。

汚れを食べる微生物の働きを利用

田中さん曰く「きれいにするには排水の中に入っているものを取り除かないといけない。水に溶けているものは簡単には取り出せないので野菜クズや砂利といった取り出しやすい固形物を取り除く大きい池(沈砂池)に水を溜めて静かにおいて置き、底に沈んだ固形物を取り除くと同時に、その上澄の少しきれいになった水を次の段階へと送る」と浄化の仕組みを分かりやすく語り始めた。

さらに田中さんは「汚れの大部分は有機物なので微生物に汚れを食べさせて分解してなくす『曝気槽』を通して、その微生物を水から取り除くために曝気槽からもう1 回、沈殿池に戻して沈める。これが生物処理といわれる装置。曝気槽は微生物を飼っている大きい水槽で、微生物が汚れを食べるために空気の酸素が必要で、そのための空気を泡として常に送り込んでいる。その酸素を使って微生物が汚れを食べるわけ。食べ終わったら、微生物を取り除くため、沈殿池に微生物だけを沈めて、上澄のきれいなものを次の工程へ流す」と順序良く話した。

沈殿池に沈む微生物

「曝気槽で微生物を飼うが、どんどん下水が入ってくるので、微生物が下流に流れてしまう。このため微生物の量を安定させるために沈殿池で沈めた微生物を曝気槽へ戻す。そうすると曝気槽で微生物が増えて、再び沈殿池に戻すと曝気槽の中で濃度が上がり、終いには沈殿池で沈まないくらいの、限界くらいの濃度になる。通常は余裕を持った濃度に保つように沈殿池から少しずつ汚泥を引き抜いて脱水処分する。通常、下水処理場で2000~3000mg/ℓ(ミリグラムパーリットル)、1ℓの中に菌が2~3gで活動している。見た目はコーヒー牛乳がちょっと濃くなったくらい。この濃度に微生物の量を上げて効率よく汚れを食べさせるのが下水処理場のシステム」

「本来、微生物は、ものを食べたらそのまま暮らしているので簡単には水に沈まない。水に漂ったまま暮らしているものが多い。この設備で運転していると、沈殿池で沈んだものは戻ってきて、また餌をもらって増えることができるが、沈殿池で沈まなかったものは後段へ流れていくので選別が行われる。これを繰り返すことで上澄に出てくる微生物が徐々に少なくなって、よく沈む微生物だけが抽出されて処理できるようになるため、きれいな水に再生される。非常に良くできた方法が下水処理場で取られている」

3種類の微生物 「かわいい」

微生物にはどんな種類がいるのか。田中さんは言った。「大きく分けて3種類いる。汚れを直接食べる細菌類は大きさが1㎜の1000分の1、1μ(ミクロン)くらい。細菌類は原核生物といって細胞1個で中に入っているものが区別されていなくて混ざったような生き物。これが汚れを食べる。これが増えてくると細菌を食べる2番目の原生動物が現れる。原生動物は細胞が1個で、その細胞の中に核やミトコンドリアといった細胞の生存や働きに欠かせない機能がある袋のようなものを持った生き物で、大きさは20μくらい。体積でいうと1万倍大きくなる。これくらい大きくなると、小学校で使うような 300 倍くらいの顕微鏡で見える。原生動物は結構動き回るので顕微鏡で見るとペットのようで、すごく可愛い」と田中さんは微笑んだ。

「よく沈む微生物だけが増える条件では塊が大きいほど沈みやすいため、細菌や原生動物が集まって塊を作る。塊になると他の微生物に食べられにくいのも特徴。0.1㎜くらいの塊になったものを食べるのが3番目で後生動物といって、一般には多細胞生物といわれる生き物がこの塊を端からかじっていく」と生物界のし烈さを語った。

田中さんは、こう結んだ。「この3段階に分けられる生き物が混ざって暮らしているのが生物処理の汚泥(活性汚泥)と呼ばれるもの。顕微鏡で覗くと活発に暮らしている様子が分かる。これを毎日、私は何トンも殺しているのかと思うと、ちょっと心苦しくなる」。

9市の下水量を賄い、発電も

ミクロの世界に足を踏み入れてしまった思いを抱きながら清瀬水再生センターに入った。下水道の仕組みと同センターの機能を聞いて各施設を見学した。そこは“工場”のような大規模施設だった。

清瀬水再生センターは敷地面積が約21万2千㎡。運転を開始したのは昭和56年(1981)11月。処理区域は、主に北多摩地域で清瀬市はじめ、東村山、東大和、東久留米、西東京市の大部分と武蔵野、小金井、小平、武蔵村山市の一部。1日平均下水処理量は約23万㎥で、多摩地域にある7つの施設の下水処理能力の約4分の1を賄っている。

東京都流域下水道では初めての大規模な分流処理場だ。分流処理場とは雨水と汚水を別々に下水管で集めることで、雨水は川へ放流し、汚水は水再生センターで処理して川へ放流することだ。清瀬水再生センターで処理した水は柳瀬川に放流している。この処理水は同センターの機械洗浄や冷却、トイレ用水などに使っている。また、平成22年(2010)7月には下水汚泥を熱処理して可燃性ガスを取り出して発電している。この事業では日本初の導入だ。敷地内にはビオトープ公園や運動公園も備えている。

施設見学の前に水を再生するための仕組みを聞いた(清瀬水再生センターで)

水と浮遊物を分離する

各家庭や事業所から下水道幹線を通して送られてきた汚水は、同センターで取り入れられてどのように処理されているのか。送り込まれた汚水が浄化・再生されて放水するまでの工程を見た。沈砂池の前段ですでに貴金属や有害物を取り除かれており、沈砂池には汚染水だけが入ってくる。ここに多摩めぐりの一行は入った。

大工場の構えを見せる清瀬水再生センターの沈砂池室

下水を自然流下させるために一旦、地表近くまで下水をポンプで汲み上げて再び流下させる施設だ。長さ16m、水深2.5m、幅3.5m。5つの池があり、合計700㎥を収容するという。天井が高く、鉄骨と鋼材を張り巡らしており、まるで工場のようだ。ここでは大きなごみや土砂類を取り除き、沈殿させていたが、その様子は蓋で覆われて見えない。見学前に臭いと騒音が渦巻いているだろうと想像していたが、案に図らず臭いは微かにある程度。音も意外に静かだった。

自然流下で流れてくる下水道管は深くなっているため、
汚水をポンプで地表近くまで汲み上げるモーターも設置している(ポンプ用モーター室で)

沈砂池から第一沈殿池(有効容量2050㎥が1つ、4090㎥が6つの池)に送り込まれた下水は、2~3時間かけてゆっくり流し、主として有機物の細かい浮遊物は沈殿し分離する。底にたまった泥(汚泥)は汚泥処理施設へ送る。

沈殿池にも蓋がされていて下水が見えない。隣の生物反応槽に移動する間で、一行が歩くコースから外れないでと再三説明された。「ルートから外れて下水槽に落ちたら、深さが3m以上もある。助からないですよ」といわれ、足元に目線を落とした。

微生物が入った泥を加える

生物反応槽(有効容量2万2千㎥余り、7槽)には一部開渠部分があり、下水がゆっくり流れていた。空気を送り込みながら8時間ほどかけてかき混ぜている。下水は土色というか、コーヒー色というか、水はまだ浄化されていない。ここの過程で微生物が入った泥(活性汚泥)を加えるという。すると、下水中の汚れ(有機物)を微生物が栄養として吸収し、水や炭酸ガスなどに分解する。細かい汚れは微生物に付着して沈みやすい塊になり、沈殿しやすくなるというわけだ。自然の摂理にかなっている。

細かい空気の泡が出る新型と従来型の散気装置を並べて、
微生物に良い方法を一目でわかるようにしている(生物反応槽で)

この段階で窒素やリンも一部同時に除去している。塊になった汚泥は汚泥処理施設へ送られ、焼却されたり、灰からレンガを作ったりしてリサイクルされる。

一方、生物反応槽で上澄の下水は第二沈殿池へ送られて3~4時間かけて沈殿させて、上澄(処理水)と汚泥を分離させる。汚泥は汚泥処理施設へ回る。この後、処理水は、さらにきれいにするために第ニ沈殿池で取り除けなかった小さな汚れを取り除く。

まだコーヒー色だった生物反応槽の汚水をのぞき込んだ

12種の微生物が水を再生

生物反応槽で案内者から「ここも深さは10mある」と聞いて身が縮むようだった。ここに8槽が連なる。ここの主役は微生物だ。展示してある微生物の写真は12点。小さいもので0.03~0.2㎜のウロコカムリ(ユーグリファ)や大きいもので0.5~3㎜のセンチュウ(ネマトーダ)など形は様々で指輪形だったり、線状だったり。アメーバ(0.15~0.3㎜)もいる。これらがいなくては浄化が不可能という現実を見せつけられた。田中さんもいっていたっけ、「かわいいやつら」と。

透き通るような水をさらにきれいにするためにろ過する工程へ送られる
(屋外の第二沈殿池で)

野外に設けられた第二沈殿池をゆっくり流れる水は透き通っていた。さらに高度処理するために砂ろ過法・生物膜ろ過法を取り入れた方法で、第二沈殿池で取れなかった小さな汚れを取り除いて浄化レベルを上げる。最後に塩素接触槽へ送られて塩素消毒、大腸菌などを殺菌して柳瀬川に放流していた。

再生された水を柳瀬川に放流している
吉田さん
吉田さん

6月開催が延期となったため、10月の柳瀬川を見ることになりましたが、水が澄んで水量の豊富な状況にホッとしました。昔の絵地図と新河岸川との合流付近の地図や近年の変化を写真で見て、調節池の設置など川沿いの移り変わりを知って頂きました。汚れた時代もあった川が、自然保護や保全に努めたことで川遊びや釣り人の姿が見られるようになり、柳瀬川の環境の良さを実感できたでしょうか。

6月に見る予定だったオオムラサキは、居合わせた係の人の配慮で、多摩めぐりの一部の方だけでしたが、ゲージに入れていただき、幼虫期のオオムラサキを見られたのはうれしい誤算でした。

水質関係に詳しい参加者から、水質浄化に欠かせない微生物の働きぶりを事前に聞けて、予備知識を持って水再生センターを見学出来ました。見る機会が少ない施設ですが、スケールの大きさや仕組み、働きの重要さを改めて知ることになりました。ご参加ありがとうございました。

水と緑と人に関わるポイントを繋いで一日を歩いた。柳瀬川流域の地形を今日見るのも自然流下した水で土がえぐられた証し。さらにその土壌や、それを取り巻く自然環境も微生物の働きによる恩恵であることを改めて感じた。わが生活スタイルを顧みた。東京都も言っている、降雨時間に洗濯をするな、風呂の水を流すな、と。生活水を下水管に注ぐことは止められないが、排水時を選ぶことができる。流入オーバーで水再生センターの警報音を鳴らさないように明日から、そうしよう。

【集合:10月16日(水)午前9時30分 西武池袋線清瀬駅/
 解散:清瀬水再生センター 午後3 時半ごろ】