ケヤキ、クヌギ、イチョウ、モミジ、サクラ、コブシ……東久留米市の北部域を北東方向に流れる黒目川流域を歩いて、並木の域を超えた雑木林が連なっていた。これらに加えて目を引いたのが家々の屋敷林だ。天に届かんばかりにすっくと立つ幾種類もの樹木がなんとも言えない趣を醸し出していた。9月21日、25人が参加した15回目の多摩めぐりは、木と語らい、木と人々とのかかわりを求めて歩いた。中でも柳窪地域は、黒目川の源流域であり、地元の有志が市街化調整区域への指定を自ら呼び込む「逆線引き」を同市役所に申し入れて新たな開発を制限しているエリアだけに屋敷林と水が織りなす自然環境に今日、各地で問われているまちづくりの一つのお手本を見たように感じた。
目次
名水のまちに希少種166種生息
東久留米市の地形的な特徴は、なんといっても河川が多いことだ。黒目川をはじめ、落合川など8本の川と支流のほとんどの源流が市内にある。「東京の名湧水57選」や東京唯一の「平成の名水百選」にも選定されている。武蔵野の台地面と崖線面、古多摩川の河床面とそれぞれの地形が分かれており、そこに農用林が展開する平地林、崖地にまとまった形で樹林地がある縁崖林が残っている。平成28年までの同市の調査では約2千種の生き物が生息し、国や東京都のレッドリストに挙げられている希少種が166種確認されているという。その要因は、樹木・樹林、草地、農地を含む緑被率30%ほどがあることだ。こうした土地などで涵養された雨水が黒目川や落合川、立野川などの河川を生み、その周辺の生態系を作り出しているとみられる。
郷土愛誇る100本の名木選定
東久留米市では、保存樹木の指定のほかに、平成29年度に「東久留米市名木百選」を選定して暮らしやすいまちづくりを目指して緑の育成に力を入れている。百選の選定基準は、巨木・古木、樹形が美しい、歴史的・文化的価値がある、珍しい、花・紅葉・実が美しいという5項目の評価で市民などから324本の推薦があった中からサクラ17本、ケヤキ13本、マツ5本、モミジ5本、イチョウ4本など全市で56種100本を名木としてアピールしている。市民が木を通して郷土に寄せる思いを表したシンボルツリーでもある。
ケヤキにしがみ付くツルマサキ
この回の多摩めぐりでは、黒目川沿いに点在する名木百選の中から22種27本を繋げるルートを設定して訪ねた。西武新宿線小平駅から北方へ15分ほど歩くと、ここは小平霊園の北端。すでに東久留米市域であり、黒目川の源流地である「さいかち窪」の入口だ。雑木林に囲まれて、数年に1回、湧水があたりに湧き出すという。元々は、サイカチの木が多くあったことから「さいかち窪」と名付けられたそうだが、一時期の様子はない。サイカチは水辺で大木に育ち、数㎝の鋭い棘が枝のように生える。先人は、この木の豆果を利尿薬や去痰薬に、あるいは石けん代わりに使ったという。
市内でも緑が濃い柳窪地域に入った。屋敷林が濃い。柳窪天神社前は「東京の名湧水57選」のポイントだ。ここにツルマサキがあった。マサキに似たツル性でケヤキにしがみついて高く這い上がっていた。北海道から沖縄に至るまでの山野に自生し、岩にも取り付く。ツルでありながら、枝を張り、横に張り出す特徴がある。参加者の多くは、首をのけぞらせて食い入って見た。
近くにあったエノキも他の木を圧倒して高かった。ケヤキ、ムクノキとともに“ニレ科三兄弟”といわれるほど昔から人の住むところに植えられてきた。榎本、榎田、榎戸など苗字になるほどだ。古くから器具材や薪炭材に使われ、成長が早く、目印にもなりやすかったことから江戸時代には街道の一里塚に植えられ、旅人の休憩地にもなった。秋には甘みがある実をムクドリやヒヨドリがついばむ。国蝶のオオムラサキの幼虫の食葉でもある。
住民らと市街化調整区域の指定を望む
神社境内を抜けると、巨木のケヤキ並木に出た。楼間約2.4mの藥医門がある。市内唯一の茅葺屋根の「主屋」が歴史の重みと風格をもって佇んでいる。「顧想園」だ。主屋をはじめ、離れ、薬医門、中雀門、土蔵など7件が平成23年に国登録有形文化財になった村野家住宅で、村野美代子さんとあやさん母子が切り盛りしている。
村野家は、現在6代目。4代目まで七次郎を襲名した。初代が農業の傍ら、肥料の卸や小売りなど農業用品の販売業だった。2代目は、金融業にも進出し、村内外の田畑を買い足し、近隣九ヶ村連合の戸長、神奈川県議なども務めた。病弱だった3代目は、農業用品の販売から退き、有価証券の投資家だった。戦後の農地改革の推進役として村議会初代議長になった4代目は、自らの田畑を手放し、5代目は地主家業が成り立たなかったことから官僚の道へ進んだ。同時に、自宅周辺の景観保全に寄せる思いが強く、乱開発を防ぐために地域の人たちと都市計画法に基づいた市街化調整区域の指定を行政に申し入れ、平成2年(1990)に約12.2haを新たな開発や建て替えに歯止めをかける市街化調整区域とした。そのころすでに築150年以上だった主屋をはじめ自宅敷地を「顧想園」と名付け、保全や公開へと心血を注いだという。
六ツ間型の主屋の柱に刃物傷
「高野の六木」の一つコウヤマキ
手入れされた庭をはじめ、約1万3200㎡の敷地には樹齢200年のケヤキやシラカシ、サワラなどの大木に囲まれた主屋がある。その式台前に東久留米市名木百選のコウヤマキが円錐形に姿良く手入れされていた。コウヤマキ科コウヤマキ属の一科一属の珍しい樹種だ。和歌山県の高野山で見られ、ヒノキ、モミ、アカマツ、ツガ、スギと並んで「高野の六木(りくぼく)」に挙げられている。繁殖力が弱く、近年、分布が減っているという。
11月に特別公開、見学者募集
顧想園では、11月13日(申し込み締め切り5日)と30日(同21日)に特別見学会を開く。両日午前10時と午後1時から。500円。各回50人(先着順)を募集している。希望者は、往復はがきで住所、名前、電話番号、希望日(午前か午後も明記)、同伴者の名前(2人まで)を書いて〒187-0041小平市美園町1-6-1-207(株)兼七 村野家住宅特別見学会係へ。問い合わせは☎042-344-6735兼七へ。
旧石器時代から抜群の生活環境
直径100mの中央広場を中心に竪穴式住居30軒、土壙(どこう)52基、配石遺構2基を構成した集落だった。埋甕も多く出土し、一部の住居跡から細かく砕かれた石棒が出土するなど特徴的な住居も確認されている。昭和51~53年の下里小中学校建設の折に発見された。
ここから北東先にある東京都史跡の下里本邑遺跡も見逃せない。黒目川とその支流の出水川(でみずがわ)が合流する下流左岸の標高54~60mの舌状に張り出した台地と低い段丘上にあり、3万年前の旧石器時代から縄文、弥生、奈良、平安時代にまたがって人が住み続けていた複合遺跡だ。旧石器の磨製石器や縄文から平安時代の竪穴住居の痕跡もある。
中でも台地下の低地から出土した約1万2千年前の旧石器時代末期の土器と石器によって、従来の生活の拠点は台地上に形成されていたという定説を覆すものとして評価されている。
ガイド:味藤さん
人が生きるためには水が必須です。古代人も飲み水は清らかな方が良いわけです。その点、東久留米市域は豊富な湧き水があって、住むには絶好の場所でした。
立ち寄った2つの遺跡のうち、下里本邑遺跡は、旧石器・縄文・弥生・奈良・平安といった各時代の住居跡が発掘されたことから、この地がどれだけ住みやすい場所であったかがよく分かります。そんなところに思いをはせながら、川べりを歩き、樹木を眺めると、また一味違ったまち歩きが愉しめます。
疲労回復のクスノキ、幕府が植林奨励
この高台にあるのがクスノキの古木だ。国内の十大巨木のうち8本がクスノキで、霊力があると崇められてきた。樹液を嗅ぐと樟脳の香りがする。葉や小枝を浴槽に入れて入浴剤にすれば疲労回復や腰痛、関節痛に効能があり、ニキビや吹き出物予防にもなると伝わる。アロマテラピーで使われるホワイトカンファーはクスノキから抽出されている。
江戸市中を襲った明暦の大火をはじめ、何度も繰り返した大火がきっかけで注目されたのもクスノキだ。火災による影響で建材が激減したことから江戸幕府は全国にクスノキの植林を奨励した。神奈川県真鶴半島にクスノキの大木があるのも小田原藩の手によるものだ。
70カ所の湧水集める1級河川
再び黒目川沿いに出た。柳窪の源流部では少量の流水だったが、降馬橋(おりばばし)や落馬橋(おちばばし)をやり過ごすと、ソメイヨシノ並木があり、川面は本流らしい水量になっていた。古多摩川が作った扇状地を流れ、埼玉県朝霞市で新河岸川に注ぎ、その後、荒川に入る1級河川だ。全長9.8㎞。どの地点でも水が澄んでいる。流域の約70カ所から湧水が湧くという。
新小金井街道に交わる平成橋付近では湧き出る水が水紋を描いているのを参加者が列をなして覗き込んだ。
黒目川左岸から離れること数十mに天台宗の古刹の大圓寺がある。この境内に名木百選に選定された6種が待っていた。日本特産の針葉樹サワラ。ヒノキの仲間だが、ヒノキよりもすっきりしているというのが名の由来とか。木の香りは、ヒノキよりも軟らかく爽やかだ。素人には聞きなれないクスノキ科のニッケイは、享保年間(1716~1735)に原産の中国から輸入され、漢方薬の「葛根湯」に含まれる成分があり、馴染みの樹種だったことを知った。さらにシナモンケーキやシナモンティーでお馴染みの品は、ニッケイの樹皮を乾燥させて作ったものだという。
本堂右手にあるヒトツバタゴは、昔、木の名前が分からず「何の木だ?」と問われ続け、「ナンジャモンジャ」という別名もいただいたとか。長崎県対馬市では山肌が3千本の木の花色で白く見えるほど自生し、国の天然記念物に指定されている。
微風に揺れるダイオウショウの房状の葉
寺に似合うのがボダイジュ(アオイ科シナノ木科属)。臨済宗の開祖、栄西(1141― 1215)が中国から持ち帰ったといわれる。ボダイジュの下で釈迦が悟りを啓いたと伝わるが、釈迦とゆかりがある菩提樹は、クワ科のインドボダイジュだそうだ。
境内には、もう2種の選定木がある。一つはダイオウショウ(大王松)だ。葉の長さに特徴があり、アカマツの葉は7~12㎝、クロマツは10~15㎝。どちらも針葉の葉が2本1組。これに対してダイオウショウの葉の長さは20~30㎝で、葉が3本1組。この日の微風にも房状になった葉が緩やかに揺れていた。
色づきを待っていたのがイロハモミジ。江戸時代に観賞用に生まれたというが、葉の裂片は何枚ある?という疑問から「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」と数えて6片が1枚の葉だと確認したことから、この名がついたといわれる。紅葉だけでなく、人とのかかわりが深いのは料理の彩を演出するのに欠かせないことだ。振動特性に優れていることからバイオリンの裏板やピアノの木骨、エレキギターなどの楽器にもなくてはならい素材だ。
大圓寺に近い子ノ神社境内には足の踏み場もないほどウラジロガシの実が敷き詰めたように落下していた。名前の通り葉の裏が白い。成分のカテコナールは体内の結石を溶かす作用があり、胆石、尿管結石の改善にも効果があることから健康茶としても利用されている。
樹林や森は、永らく人の暮らしに欠かせない命の緑地だった。いま安らぎの場として変容しているが、変わらずに人々の命を永らえ潤し続けていることを改めて感じた。
風景に溶け込む宝さがし楽しんだ
参加された郡司典子さんから事務局に感想文が届いた。
名木ツアーは風景に溶け込む宝探しのようで楽しかったです。ここでも、その景色の継続のために市民の力が働いていることを感じました。道ひとつ隔てた区域が新興住宅地になっているのを見て、全てがあのようになってしまわずに屋敷と森を維持されていくことが歴史の事実を残していく拠点として大切だということを改めて感じました。
日本の文化は木の文化と言われるように昔から人々は木と深く係わりながら生きてきました。樹木は、人に安らぎを与えてくれます。そして光合成により空気をきれいにし、水を貯えたり、様々な恵みを与えてくれたりします。こんな思いを込めながら東久留米市の名木を紹介しました。
ガイド:関根さん
【集合:西武新宿線小平駅 午前9時/解散:西武池袋線東久留米駅 午後3時30分】