きょうも10月の台風や豪雨による被災者の悪戦苦闘ぶりを新聞やテレビで報じている。昨年3月31日、多摩めぐりの会で初めて「多摩めぐり」を開催して訪ねた奥多摩町日原が10月12日の豪雨で、同町氷川と日原地域を結ぶ唯一の日原街道が土砂崩れで崩落、54世帯が一時、孤立する被害を受けた。その後、簡易的な吊り下げ式の歩道が作られたものの、日原街道の全面復旧は、いまも見込めていない。
同地域にある巨樹の情報拠点である「森林館」解説員の柳本博さんが日原の現状を知らせてきてくれた。その全文を掲載します。
目次
後世に語り継がれる甚大な被害
2019年10月12日、台風19号が関東地方を直撃しました。
アジア名で「ハギビス」と呼ばれるこの台風は、南海上で中心気圧が915hpsの猛烈な台風にまで発達し、日本南部の海水温が高かったことも相俟って、勢力を維持したまま伊豆半島西部に上陸、関東地方を串刺しにするように縦断し、福島から太平洋上に抜けるコースをたどりました。
関東にとっては1958年の狩野川台風以来、関東甲信越地方に大きな被害を与えた台風となりましたが、東京湾を北上、千葉を襲った台風15号に続き、関東に甚大な被害を与えた台風として、後世に語り継がれることでしょう。一年以内には19号台風は名称も付けられるとのことで、深刻な被害を被った長野県・千曲川にちなみ、「千曲川台風」とでも名付けられるのでしょうか。または「北陸新幹線台風」とでも付けられるのかもしれません。
奥多摩湖の降水量上回るか
奥多摩町日原でも台風前面にかかる前線の影響で、12日の午前中から強い雨が降り続き、日原から6kmしか離れていない奥多摩湖畔、小河内のアメダスが24時間雨量580mmを記録、10kmほど離れた秩父市浦山のアメダスにいたっては647.5mmの降水量を記録。ともに24時間降水量としては過去最高を記録しています。
日原集落は、この二つのアメダスの間に位置することに加え、南に2000m近い標高の鷹巣山がそびえるため、台風前面の北西風が山に当たり雨が集中し、この2地点よりもさらに多い降水量があったものと推測されます。
奥多摩駅から日原を結ぶ都道日原街道は、日原川の渓谷沿いに通る風光明媚な道路ですが、深いV字谷の谷底を通るため崖にへばりつくように通っているのが特徴です。12日日中からの雨に加え、夜半には台風本体の雨雲も直撃、奥多摩駅から3.2km地点の大沢集落付近で道路がついに耐えきれなく60mにわたって崩落しました。川の流れが日原川左岸を浸食し、道全体が一瞬にして崩れ落ちたようです。
水道管、電線寸断、交通手段絶たれる
日原地区につながる唯一の道路が崩落したため、地区に住む54世帯92人が孤立状態となってしまい、水道も電気も一時寸断してしまいましたが、電気は翌日には復旧。水道も鍾乳洞近くに集落独自の浄水場があったためにまもなく復旧、ただ奥多摩町中心部へ至る交通手段が完全に失われることとなりました。
奥多摩町の水道は、崩落地点から1kmほど遡った川苔川から引いていたために、道路の下に埋設されていた水道管も寸断されてしまい、奥多摩町全体が一週間ほど断水という状況となりました。
外出できない人に必需品届ける
崩落個所には、かねてから道路への落石防止用のネットが張られていたことが幸いし、この網を支えているステーを利用して吊り下げ式風の歩道が作られることとなりました。工事は順調に進み5日ほどで歩道が完成、人の行き来だけは行えるようになりました。
奥多摩駅前から崩落現場近くの大沢集落までと、日原から崩落地点までの送迎の車も一日数便運行されることとなり、健康な方は青梅まで買い出しにも行けるようになりました。日原集落にお住まいの歩けない方にも定期的に食料や灯油なども支給され、不便ながらも生活はできる環境となっています。
年明けまで待つ本格復旧工事
森林館へもお客さんは誰一人として来ませんが、日原街道が開通するまでは常時出勤して詰めていてくださいとの奥多摩町役場からの要請があり、毎日、崩落個所の上を歩いて行ったり来たりの生活が続いております。
ここに来て小さな重機も入ってきたようですが、大きな重機は路盤が弱っている場所があり、そこを補修してからの工事開始となるとのこと。日原街道が全線開通する見通しは立っておりませんが、来年の春頃までは孤立状態が続くだろうとのことです。本格的に復旧工事が始まるのは年が明けてからのこととなりそうです。
半年間、お客さんの来ない施設での勤務。さみしいですが、貴重な経験ともなると思われます。日原街道開通の暁には、是非ともお立ち寄りいただければ幸いです。
(柳本 博)