戦後青梅市で開催の「愛林日植樹行事」に昭和天皇皇后両陛下が初めてご臨席

 全国植樹祭は、戦後の国土緑化運動の中心的な行事として第1回、昭和25(1950)年、以来、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、全国各地から緑化関係者等の参加を得て、両陛下のお手植えや参加者による記念植樹等を通じて、国民の森林に対する愛情を培うことを目的に毎年開催されている。

戦後始まった、全国植樹祭ですが、戦前の昭和8(1933)年、大日本山林会長・和田国次郎、農林次官・石黒忠篤らにより、神武天皇祭を中心とする4月2日から4日までの3日間を「愛林日」として、全国一斉に愛林行事を催すことが提唱された。

第1回が昭和9(1934)年から、全国的な植樹運動の日として愛林日を実施することとなり、日本初の中央植樹祭が茨城県・筑波山麓の「鬼が作国有林」で行われた。

以降毎年愛林日の行事が実施され、戦争の激化した昭和19(1944)年に中断されたが、終戦後の昭和22(1947)年、徳川宗敬(むねよし)を中心として森林愛護連盟が結成され、愛林日が再開された。

復活第1回愛林日植樹行事が、4月4日東京都南多摩郡横山村(現八王子市高尾)の林業試験場浅川支場において実施され、皇太子殿下(現平成上皇)がご臨席され、学生服を着たまま「鍬を採り、土を掘り」檜を植樹された。

この成功によって森林愛護連盟は翌昭和23(1948)年の開催に向けて「戦前の考えも及ばぬ野望」である、天皇による植樹が企画されることとなった。昭和22(1947)発足の林野局造林課長梶木氏、森林愛護連盟の和田局長らが宮内府に出頭し、『緑化精神の作興の上からも皇室の権威を仰ぎたく、本年4月4日の植樹祭には非公式であったが皇太子殿下のお植樹をお願いした次第であり、ついては来年の植樹祭は全国的規模に拡大したい考えでありますので畏れ多いが天皇陛下のご親臨をお願い申し上げたい』と申し入れ、その結果、天皇皇后両陛下による植樹という「野望」が達成されることとなったとされる。

復活第2回愛林日植樹行事が、国の復興を祈願する意味で、全日本観光連盟・森林愛護連盟・東京都林業会の主催により、昭和23(1948)年4月4日、東京都青梅市永山公園神明平(現鉄道公園下)に、昭和天皇皇后両陛下を初めてお迎えし、檜の植樹が行われた。これが、現在、各地で行われている天皇皇后両陛下の植樹第1号だといわれている。

復活第3回愛林日は、昭和24(1949)年4月4日神奈川県箱根仙石原で開催された。

以降、戦争色を払拭した「緑化」イメージを盛り上げる運動が本格化し、森林愛護連盟という名称が捨て去られて国土緑化という名称に刷新されるのは昭和25(1950)年、第1回以降の開催になった。

昭和23(1948)年4月4日天皇皇后両陛下お手植えの檜

植樹地の碑

参考資料

*竹本太郎「昭和戦後期・現代における学校林の再編」『東京大学農学部演習林報告』