多摩地域勉強中のmaruです。
立川駅北口に「ピタゴラス通り」という名前の通りがあるのをご存じでしょうか?
場所は、伊勢丹横のペデストリアンデッキが通る道。立川駅からシネマシティや中央図書館に向かう際に通る、あの道です。

この通りに面したビルの名前にも「ピタゴラス」が使われています。


いったいなぜ、この通りに「ピタゴラス」という名前がついたのでしょうか?
ピタゴラスといえば、あの定理
「ピタゴラス」と聞いて思い浮かぶのは、やはり三平方の定理です。

直角三角形において、直角を挟む二辺の長さの二乗の和は、斜辺の長さの二乗に等しい。
ピタゴラスの定理 – Wikipedia
こちらの商店街入り口のゲートサイン↓は平成初期(1990年代)にあったものです。

伊勢丹の場所に高島屋があった頃の写真で、現在のピタゴラス通り入り口の部分の写真です。
「THE・ピタゴラス」という感じのサインですね。……やはり「直角三角形」がキーワードでしょうか?
通り名の由来を探して
気になって仕方がなかったので、立川市中央図書館へ調査に向かいました。
調べること数十分。うーん……なるほど、まったくわからない。
ネットでも手がかりが見つからなかったので、最後の頼みの綱としてレファレンス室の扉を叩きました(※自動ドア)。
レファレンス担当の方によると、過去にも2006年に同じ質問があったそうです。そのときも明確な由来はわからなかったものの、次の情報が見つかりました。
名前がついたのは「区画整理」の時?
ピタゴラス通りという名前は、平成2年(1990年)からの土地区画整理事業の計画段階にあたる昭和63年(1988年)ごろ、この地域にある商店街の方の申請によって付けられた愛称なのだそうです。
ちなみにそれ以前の名称は「ニュー銀座通り(またはニュー銀座商店街)」とのこと。
この区画整理は、多摩モノレールの開業に伴って行われたもので、現在の「立川北駅」や「サンサンロード」、「ペデストリアンデッキ」が整備されたのもこの時です。
その後、この情報をもとにレファレンス室の方が市役所に問い合わせてくださり、当時を知る職員の方々の証言によって次のような説が浮かび上がりました。
「この通りの一部の区画が直角三角形だったから、『ピタゴラス通り』と名づけられた」
これは重要な証言の予感!
三角形……かなぁ?
では、その「直角三角形の区画」とはどこなのでしょうか。
職員の方々の話によると、それはこの緑の線で囲んだ区画↓のようです(赤い線はピタゴラス通りになる道)。

……なんとなく、直角三角形っぽく見えるような、見えないような?
実際に現地に立つとそれらしく見えたという話ですが…。うーん。
しかし、その区画は、区画整理によって現在の地図には残っていません。

Oh…。
直角三角形に見えるのかどうか、確認したかったなあ…!
再びレファレンス室へ
やはり何か腑に落ちないなあ…ということで、図々しくも再びレファレンス室に泣きついたところ、レファレンス室の方に核心に迫る資料を見つけていただきました…!
それがこちら↓

なんと、「ピタゴラス」の名称は公募によって決まったものでした。
しかも、賞金20万円!参加賞にはテレホンカード!時代を感じさせる豪華な企画です。
この募集が掲載された『とぅもろう』は、立川商工会議所が昭和中期〜1990年代にかけて発行していた情報誌です。
さらに、翌月の昭和62年7月号には続報がありました。

この記事から、2つの興味深い事実が見えてきます。
「銀座」ではない、新しい名前を
まずひとつめは、ニュー銀座商店街振興組合の理事長の発言です。
「吉祥寺、新宿、渋谷のように、若者が集まる街には○○銀座なんてないでしょ。もう時代が違うんだよね。モノレールも開通することだし、この際だから親しみやすい名前にしようじゃないか」
「ニュー銀座商店街」は、ピタゴラス通りになる前の通りの名称でした。
通り名の変更は、モノレールの開業に合わせて、時代に合った名前に一新しようという意図があったようです。
謎の三角形モチーフも同時期に?
もうひとつ注目すべきは、この記事に掲載されていたこちらの図。

あ、あのピタゴラスっぽいゲートサイン!
驚くべきことに、このサインは名前の募集と同時期に起案されていたようです。
てっきり「ピタゴラス」という名前が決まったあとにデザインされたものかと思っていたのですが……
どうやら、名前とは別に計画されていた可能性が高そうです。
ついに決定、「ピタゴラス」!
そしていよいよニックネームが決定した8月号↓です。

“ピタゴラス“というニックネームがつきました。ヨロシク!!
ついに、「ピタゴラス」という名前が登場!
いや、報告シンプル〜〜!!もう少し、たとえば受賞者の名前や選考理由、由来の説明などがあっても良かったのでは……(小声)
しかし、この記事には重要なヒントがありました。


かなり三角形です。
さらに別の号(昭和63年9月号)に掲載された案内図でも——

こちらもやっぱり三角です。
地図が「三角形」を生んだ?
このように複数の案内図に繰り返し「三角形の形状」が描かれたことにより、「この通り=三角形」という認識が、徐々に商店街や市民の間で定着していったのかもしれません。
今のようにGoogleマップがない時代。
紙の地図やイラストが持つイメージが、記憶の中の風景に強く影響を与えていた—というのはありえると思います。
由来、かも?
「ピタゴラス通り」の名前の裏には、公募・商店街の想い・時代背景、そして三角形というイメージが重なり合っていたことがわかってきました。
確定的な「由来です!」とは言い切れませんが、今回の調査で、かなり由来の核心に近づけたのではないでしょうか。
最後になりましたが、レファレンス室の皆様には本当にお世話になりました。ありがとうございました!
参考文献
- 『立川都市計画事業 立川駅北口駅前土地区画整理事業〈事業誌〉』立川市都市整備部区画整理課, 2006
- 『航空住宅地図帳 立川市版〈1989〉』公共施設地図, 1988
- 『立川商工会議所情報 とぅもろう 第279号~第370号(合冊製本)-1986年5月~1993年12月 欠号300号、356号』立川商工会議所, 2013
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