東久留米市内には多くの川が流れている

北多摩北部地域8市について、各市を流れる河川の数をそれぞれ数えると、東久留米市は7河川と一番多くなっています。

北多摩北部の市河川の数河川名
立川市5多摩川、残堀川、根川、緑川、矢川
小平市1石神井川
東村山市5柳瀬川、出水川、北川、前川、沢野堀
東大和市4空堀川、北川、前川、奈良橋川
清瀬市2柳瀬川、空堀川
東久留米市7黒目川、楊柳川、出水川、落合川、立野川、弁天川、西妻川
武蔵村山市6残堀川、空堀川、奈良橋川、谷戸川、久保の川、横丁川
西東京市3白子川、新川、石神井川
「川の地図辞典・多摩東部編」之潮(コレジオ)2010年 に掲載されている川を表示。

武蔵村山市や東村山市は狭山丘陵から流れ出す沢筋が川となるので川の数が多くなることは予想できるのですが、そのような丘陵のない東久留米市の川の数が一番多いのはちょっと意外です。
地理院の「陰影起伏図」でみると、東久留米市の北半分はこれらの河川によって低くなった部分と川と川に挟まれた台地上の土地の多いことがわかります。

(国土地理院の陰影起伏図を加工)

東久留米市は市のキャッチコピーとして「湧水のまち東久留米」を掲げているように、市内には湧水が多く湧き出ています。なかでも落合川・沢頭(さがしら)流域は「落合川と南沢湧水群」といわれ「平成の名水100選」に選ばれてもいます。
この事例からも分かるように、山や丘陵は近くにないのですが、随所で湧き出す水が流れを作り、多くの川が形成されたということです。

ざっくりと言えば、この地域は武蔵野台地の地下にある透水層が地表面と接する所にあたり、水が湧き出しやすい地形になっていて、それら湧水を水源として川が流れ出しているのが東久留米市域ということになります。
ちょうど、井の頭池善福寺池三宝寺池といった湧水によって形成された池と同じような地中の構造になっているといえます。ちなみに、東久留米市域から流れ出す川の源流部分の標高は、この3つの池とほぼ同じ50mとなっています。

それでは、東久留米市内の7本の川をざっと眺めてみましょう。

出水川(でみずがわ)

源流部は東村山市萩山小学校付近と思われますがアスファルトに覆われていてよくわかりません。新青梅街道の北側に出ると姿を地上に現しますが、東久留米市に入って新所沢街道をくぐった東久留米卸売市場協同組合から先は黒目川に合流するまで、また暗渠になっています。川の流路であった部分は遊歩道となっており、桜の老木が両側に連なりかつては出水川の土手の桜並木であったことをうかがわせるような場所もあります。

久米川住宅北側の新青梅街道をくぐった所から出水川が姿を現す。(この地点は東村山市)
目の前の新所沢街道をくぐると、後は黒目川と合流するまで暗渠が続く。
暗渠の上は歩道となっており、歩道にはその下が出水川である表示がある。
出水川の土手であった所に桜並木がある。
東久留米市立本村小学校脇で黒目川に合流。

明治39年の地図を見ると、出水川は表示されていません。川と言うには流れが細かったからでしょうか。

黒目川(くろめがわ)

黒目川は久留米川とも書き、東久留米の語源となっている川ですが、小平霊園内の皀莢久保(さいかちくぼ)の湧水池を水源とし、埼玉県朝霞市内で新河岸川に合流する川です。
皀莢久保の湧水の量は降水に左右され、特に冬期は枯れ池になります。

小平霊園内にある皀莢久保。普段は水は枯れている。

昭和の初めまでは黒目川沿いの低地に水田が広がっていたのですが、戦後西武池袋線が複線化(昭和28年)されてからは黒目川流域は宅地化が進み、都市化による水質汚濁などもあって水田耕作ができなくなり、その結果水田のあった場所までもが公社の住宅群などに変貌して今に至っています。

しんやま親水広場。周辺は水田が久留米西団地に変貌した。

ただ、最上流部の柳窪においては、竹藪・雑木林の間を流れ、両岸には武蔵野の雑木林の広がるところがあり、緑地保全地域に指定されています。

新青梅街道をくぐって顔を出した黒目川。竹藪の間を流れる。
柳窪では東京の名湧水に選ばれているが、時期によっては湧水は枯れている。
落合川が左から合流してくる。

※「ヨークさん」のブログ「黒目川を上流へ、清流の川沿いに春を待つ桜並木や樹々をめぐる」もご覧ください。

西妻川(にしづまがわ)

黒目川の一支流となっており、水源地は滝山7丁目の白山公園付近となっています。
現在、白山公園は周辺より1段低くなっているため遊水地の機能を持たせて普段は野球やサッカーのグランドとして利用されていますが、もともとは湧水が湧き出る低湿地帯であったと思われます。

雨が多いと水源の白山公園は水浸しになる。
白山公園内の水の枯れた西妻川。
畑や住宅地の間を細々と流れる。
都大橋の下流で黒目川に合流する。(写真中央部に西妻川の流出口が見える)

楊柳川(ようりゅうがわ)

楊柳川は明治39年の地図にははっきりと示されているのですが、現在では地表からは完全に姿を消しています。
東久留米市八幡町2丁目付近を水源としているとされ、幸町1丁目で黒目川に合流しています。周辺よりわずかに低い部分をくねくねと曲がりくねった道があることから、その道が川筋であることがわかります。
なお、小平市域を流れてきた小川用水の末流が八幡町で楊柳川につながっていたことから楊柳川は小平排水溝と呼ばれることもありました。

八幡町2丁目の暗渠になった楊柳川。

落合川(おちあいがわ)

八幡町2丁目の八幡神社の湧水を水源としています。中央町5丁目の弁天池の水、中央町3丁目の神明山公園のひょうたん池の湧水を合わせ、さらに南沢3丁目で沢頭(さがしら)の湧水竹林公園から流れ出るこぶし沢の湧水が合流して湧水の量の多い流れとなっています。特に沢頭の湧水は1日1万トンの水量があり、東京で唯一「平成の名水100選」に選ばれています。川の中流部多聞寺より下流部分においては「名水100選」にふさわしく、水に親しめる川原として整備されており、川遊びのできる親水区間が続いています。

八幡神社裏の落合川水源付近。
八幡橋から下流においては冬期でも水流を確認できる。
護岸工事をしないで、自然の景観を残すように整備・管理されている。
落合川の支流「沢頭(さがしら)」の湧水。
中流域は湧水を集めて水量が増えている。水の透明度も高い。(南沢1丁目)
湧水の湧き出す場所には、市が表示をしている。
黒目川(向かって右側)に合流。水量は落合川の方が多い。(神宝町1丁目)

立野川(たてのがわ)

東久留米市南沢3丁目の向山緑地公園付近からの湧水を水源としています。浅間町南沢台地の形成する崖線に沿って東へ流れており、途中自由学園のグラウンドの地下を配水管で通り、西武池袋線を越えたところで顔を出し、新落合橋を越えたところで落合川に合流しています。

この竹林の先が水源と思われる。
蛇行する川ギリギリまで宅地となっている。
落合川に合流。(浅間町2丁目)

弁天川(べんてんがわ)

東久留米駅東側のちょっと下がった所にある厳島神社の池が水源になっています。ただ、この池は枯れていることが多く一見水源とは思えない。厳島神社からすぐに暗渠になりますが、都道234号と交わる所までは流路をたどることができ、広い都道にぶつかると流路がたちまち分らなくなります。きっとこの都道が川筋に沿って走っているのでしょう。都道が落合川に近づくと暗渠が都道から少し離れていくのが確認でき、新落合橋の下流で落合川に合流しています。弁天川も水源から末端まで全く水流を見ることのできない川になっています。

水源となる厳島神社の池。ただし、水は枯れている。
ふしぎな屈曲のある道だが、下を弁天川が流れていることを思えば納得。
落合川に合流する地点。現在工事中で近寄れず、遠望するのみ。

明治39年の地図

(クリックすると拡大します。)

明治39年の地図を見ると、川筋のいたるところに水車の記号が見られますが、川周辺の水田記号と併せて、当時の人々の生活が伝わってきます。
神社の建っている場所を見ると、八幡神社は楊柳川と落合川に挟まれた場所に立地し、下里氷川神社は黒目川の脇、南沢氷川神社は落合川の脇、落合浅間神社は立野川の脇というように川の畔に立っているのが目につきます。何か意味があるのだろうかと、ちょっと不思議に思ってしまうのですが、東久留米には密度濃く多くの川が流れていることを考えると、神社と水に何か深い関係があるということではなく、人の住んでいる場所に在る神社は自ずと川に近くなってしまっている、ということなのでしょうね。