多摩地域の「寺」のつく地名

「地名」の由来というものは、他の土地と区別できる特徴的な形状やそこに在るものによって名付けられるのが原初のものでしょう。
したがって、「●●寺」という地名は、そこに「●●寺」があった/あることにより名付けられたのが普通であると思われます。
今回は、現在多摩地域に「寺」のつく地名がいくつかありますが、その由来について見ていきたいと思います。

「寺」地名のリストアップ

まず、「寺」のつく地名のリストアップですが、国土地理院の地理院地図に表示されている地名については、文字検索機能がありますので、それを使ってリストを作りました。
ただし、そのまま検索すると全国を対象として「寺」の文字が検索されますので、「東京都」と「市区町村」を入力して範囲を限定します。
例えば調布市において、「寺」の字が含まれている固有名詞(地名以外にも、寺そのものや寺地名のついた施設を含む)を全て検索すると次の結果が出ます。
地理院地図の画面では、上段に検索の窓があり、その下に検索結果が表示され、更に地図上に検索結果の場所が青色のフラッグで表示されます。

「東京都」・「調布市」で「寺」の文字を検索した結果の画面(画像クリックで拡大)

この中には「市立深大寺小学校」なども表示されますので、地名に限定するために、検索条件に「居住地名」を加えて地名に絞り込みます。
ここでは、「居住地名≒地名」とみることにします。
表示されたものを見ると、ここには「深大寺東町五丁目」などの居住地名がずらりと並びます。

「居住地名」に限定した検索結果

こうして作成した多摩地域の「寺」のついた地名を市町別にまとめたのが次の表です。
具体的な寺名ではない「寺岡」や「寺町」のようなものも含めています。

市町「寺」の付く地名
武蔵野市吉祥寺
三鷹市深大寺
国分寺市国分寺
調布市深大寺
青梅市今寺
あきる野市寺岡
奥多摩町寺地、安寺沢(あてらざわ)
八王子市大楽寺、寺田、寺町、西寺方(にしてらかた)
日野市万願寺、東光寺
町田市真光寺
多摩市連光寺、東寺方(ひがしてらがた)


この一つ一つの地名を別の資料によってその由来を確認していきます。

吉祥寺(武蔵野市)

明暦の大火により焼け出された江戸市中「吉祥寺」の門前の人たちによって開拓されてできた村が起源で、吉祥寺そのものはここへ移ることなく駒込に移転したので、当地には吉祥寺はない。

深大寺(三鷹市)

古名刹深大寺のあった深大寺村(現調布市)の飛地(=深大寺新田)であったことに由来する地名。

国分寺(国分寺市)

聖武天皇が国家鎮護のために各国に建立を命じた寺院のうち武蔵国に建てられた寺が当地にあった。その後、国分寺は兵火で焼けたが、焼失を免れた薬師如来像を本尊として、今は武蔵国分寺薬師堂がある。

武蔵国分寺

深大寺(調布市)

天平年間に満功上人により開創されたとされる多摩地域最古の天台宗寺院(当初は法相宗)に因む地名。今も多くの参拝客・観光客で賑わう。

深大寺山門

今寺(青梅市)

今寺とされる寺は、「青梅市史」によれば822年に開創された報恩寺のことで、それ以前からあった塩船観音に対して開創が新しいので今寺と呼ばれたもの。報恩寺は今も今寺の地にある。

報恩寺参道

寺岡(あきる野市)

「五日市町史」によると、養沢地区の寺岡の地には江戸時代に東渓院という寺があり、その寺に因むものとしている。ただし、明治の廃仏毀釈により寺はなくなったと書かれており、現在この地には寺はない。

安寺沢(奥多摩町)

「奥多摩町誌」の地名考では由来ははっきりしないと書かれている。どうやら「寺」に由来するものでなく、別のことばに対して「安寺」をあてはめたもののようだ。一つの説として日原街道から見て「アチラ側」にあることからの命名かもしれないと奥多摩町誌では言っている。

寺地(奥多摩町)

「奥多摩町誌」では、寺地には現在栃久保にある寿清院があったのでその寺地という意、と書かれている。

大楽寺(八王子市)

「新編武蔵風土記稿」には大楽寺という寺があると記載されており、加えて大楽寺村という村名の起こりになったにしては今は廃寺に近い状態であるとも書かれており、明治初期に廃寺となっている。
こんなことから、実際にあった寺の名前に由来するのでなく、この辺りを領地としていた横山党の一族「平子野(タイラコノ)氏」を起源とする説もある。(タイラコノシ→タイラクシ)

寺田(八王子市)

かつては大寺の寺領があった土地であったと思われるが、その寺がどこかは不明。

寺町(八王子市)

「新編武蔵風土記稿 」によれば、寺院が多く建つ地(=寺町)であったことから付いたという。今も地図上で寺院が密に分布しているのを確認できる。

西寺方(八王子市)

「新編武蔵風土記稿」において宝生寺(現在もある)に由来する寺方村のことが記載されており、明治になって現在の多摩市にもあった寺方村と区別するために「西」を付けて西寺方としたもの。

万願寺(日野市)

「新編武蔵風土記稿」には、必ず古い寺院があったからその地名が付いたと考えられるが古い資料は残されていないのでそれを確認できないと書かれている。「日野市史」においてもそれ以上のことは語っていない。

東光寺(日野市)

東光寺は「武蔵七党」の西党を率いる日奉氏が居館の鬼門よけとして平安時代中期に創建したと推定されており、その後東光寺は廃寺となったが、その子院である「成就院」は今も東光寺のあった場所に立っている。

真光寺(町田市)

「町田郷土誌」によると、村の中央にあった池が夜になると光ったので「真光池」と呼ばれ、嘉慶2年(1388)11月に天台宗の僧の長弁がそこに寺院を開き「真光寺」としたことに由来すると伝わる。今はその寺はない。

連光寺(多摩市)

「新編武蔵風土記稿」での論考によると、場所は分からないが蓮光寺という寺院があったとしている。連光寺村内には寺坂と称する坂があり、さらにその場所は村の東の山丘にあって丘の上は平らで、古い墳墓が大小様々50~60基も散在しており、恐らくはその辺りが連光寺の旧跡なのだろうとしている。寺の廃絶時期については、「吾妻鏡」に蓮光寺が地名として現れているので、鎌倉時代には既に廃寺となっていたと考えられる、とも記している。

東寺方(多摩市)

江戸時代までは寺方村であったが、明治になって八王子の寺方村と区別するために東寺方と村名を変えている。ただ、江戸期までの名称・寺方村の由来に言及した文献を見つけることはできなかった。「新編武蔵風土記稿」においても触れていなかった。

この結果をまとめると次のようになります。

お寺は地域に密着して人々の生活と切り離せないものとして簡単には消えることがないように思えるのですが、この表を見ると、今は無くなって地名としてのみ残っている寺が多いということがよくわかります。
むしろ、今残っている寺がそこの地名となっているものの方が少ない、といった様子にも見えます。

地名を見るとお寺があるように思えるのですが実はそのような寺はない」という場所が多摩には結構あるということがわかりました。

※使用した地図は「地理院地図」を加工しています。